第21話 星のかけら

夜のレンガの町。

シンジとクロは時計台へ急いで駆け上がった。老婦人から渡されたスパイスの小瓶を握りしめ、二人は一歩ずつ、時計台の最上部へと近づいていく。


時計台の頂上は、冷たい風がびゅうびゅう吹き荒れていた。シンジが息を切らしながら上を見上げると、巨大な鐘がまるで満月のように輝いている。

その表面には、古い文字や模様が刻まれており、中央にはプレアデス星団を模した七つの窪みがあった。クロはシンジの肩に乗り、興奮した様子で鼻を鳴らす。


「シンジ、あれに、おばあさんのスパイスを入れるんだ!」


シンジはクロの言葉に従い、スパイスの瓶を開けた。中からは、銀色の微粒子がキラキラと光を放ち、まるで生きているかのように輝いている。彼はそれを、鐘の窪みの一つに振りかけた。その瞬間、鐘全体が淡い光を放ち始め、シンジは自身の心臓が激しく動悸しているのを感じた。


「なァ、クロ。これ、本当に大丈夫か?」


シンジの声は、風にかき消されそうだった。しかし、クロはただ「鳴らせ!」と鳴くばかりだ(実際は、にゃあああああん)。


意を決したシンジは、近くにあった太いロープを掴み、渾身の力で鐘を鳴らした。


ゴォオオン……!


深く重い音が、夜の町に響き渡る。その音は、ただの音ではなかった。それは、まるで町の時間そのものを揺らすような、不思議な波動を伴っていた。音の波動が町のレンガを伝わり、街灯がチカチカと点滅する。そして、時計台の文字盤が、ゆっくりと逆回転を始めた。


シンジは目を丸くしてそれを見ていた。時計の針が、夜空のプレアデス星団から、別の星へと向きを変えていく。その時、彼の頭の中に、まるで誰かが直接話しかけてくるかのような声が響いた。


『ようこそ、わが息子。時の狭間へ』


声の主は、かつて彼の父と名乗っていた男の声に似ていた。シンジの父は、天才的な時計職人であり、同時に、この町の秘密を探っていた人物だった。


「父さんなの……か?」


思わずシンジが呟くと、時計台の窓の外、夜空に浮かぶ星々が、まるで液体のように歪み始めた。そして、星々が一点に集まり、そこから光の柱が、時計台の中へと降り注ぐ。その光は、シンジの握るスパイスの瓶に吸い込まれ、スパイスはさらに強く輝きを放ち始めた。


その頃、フィフィのカフェでは、ムハンマドたちが固唾を飲んで事態を見守っていた。時計の逆回転、光の柱、そして、マリアナが焼いたパンケーキの味が、彼らの記憶を呼び覚ましていた。


「このパンケーキは……過去を、そして未来を繋ぐトリガーだったのかもしれん」


ムハンマドはそう言って、再びパンケーキを一口食べた。すると、彼の脳裏に、もう一つの記憶が蘇る。それは、彼が宇宙飛行士だった頃、船内でマリアナ特製のスパイスを使った時のことだ。


宇宙船の操縦席。スパイスの香りが広がると、船内の計器が狂い始め、窓の外には、存在しないはずの惑星が見えた。ムハンマドは、それは単なる故障だと思っていた。しかし、今思えば、あれは故障ではなかった。マリアナのスパイスは、宇宙と地球、二つの世界を結びつける触媒だったのだ。


ムハンマドは立ち上がり、店の奥の壁にかかっている、もう一つの古びた時計へと向かった。その時計は、普段は動いていない。しかし、今、文字盤の針が小刻みに震えている。ムハンマドは、時計の蓋を開け、そこに隠されていた古びたメモを見つけた。メモには、拙い文字でこう書かれていた。


『親愛なるムハンマドへ。もし、このメモを読んでいるなら、あなたは私の秘密に気づいた証拠です。星のかけらは、未来への羅針盤。そして、この町の時計台は、その羅針盤を動かすための装置です。』


メモの筆跡は、紛れもなく、マリアナのものだった。ムハンマドは、紙切れを握りしめ、窓の外の時計台を見上げた。光の柱が、空へと伸びている。


「そうか……マリアナ……」


彼は、愛する妻が、自分に託した本当の願いをアンダースタンド。彼女は、ただ美味しいパンケーキを作りたかったわけではない。星と地球、二つの世界を結びつけ、皆を幸せにしたかったのだ。


その時、食堂のドアが勢いよく開き、一人の男が入ってきた。男は、黒いコートに身を包み、鋭い目つきでムハンマドを見つめている。


「ムハンマド・イブン・アハルマド……」


男は、ムハンマドの名前を静かに口にした。


「我々は、君の妻が残したスパイスを追っている。

そのスパイスは、この町の時間の流れを狂わせる危険な代物だ。今すぐ、それをこちらに渡せ···」


男の言葉に、フィフィや湖が立ち上がる。しかし、男は一瞥もせず、ムハンマドにだけ視線を向けていた。


「もし、このスパイスが、君の言う通り、未来への羅針盤だとしたら?」


ムハンマドは、動じずにそう問いかけた。男は、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに冷たい表情に戻った。


「そのフューチャーは、我々が作る。君の妻が夢見た、スイートなフューチャーではまったくない」


男がそう言い放った瞬間、外で再び、ゴォオオン、と鐘の音が響いた。時計台から伸びる光の柱が、さらに強く輝きを放ち、町の空に、いくつもの小さな光の点が現れ始める。それは、まるで星屑が、空から降り注いでくるかのような光景だった。


そして、その光の一つが、カフェの窓をすり抜け、ムハンマドが握るメモへと吸い込まれていった。メモは一瞬にして光を放ち、その光の中から、マリアナの微笑む顔が浮かび上がる。


「ムハンマド……あなたに、私の未来を、託します」


幻影は、そう囁くと消えた。ムハンマドは、光の残滓が残るメモを握りしめ、男を睨んだ。彼の目には、もう悲しみはなかった。あるのは、妻の想いを守ろうとする、強い意志だけだった。


「お前に、このフューチャーは渡さない」


ムハンマドの言葉に、男は嘲笑うかのように口元を歪めた。その時、男の背後から、もう一人の男が現れる。その男は、コック帽を被った、どこか見覚えのある顔だった。


「おや、おや。ミスター・パンケーキ、君まで出てくるとはな」


男がそう言うと、コック帽の男は、ニコリと笑った。


「未来は、誰にも渡さないさ」


彼のその言葉は、まるで、全てを掌握しているかのような響きを持っていた。


夜空の星は、まるでバニラシェイクのように歪み続けている。



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