第13話 last dance
暗闇に南部十四年式の銃口が突きつけられたまま膠着状態が続く。
GIPD元帥と呼ばれた男は、咲川が放った金属片を両手で受け止めた。チリ、と皮膚に触れた金属は、僅かながら熱を帯びている。
「トマト、ねえ。随分と可愛らしい名前を付けたもんだ」
GIPD元帥の声には、皮肉めいた響きがあった。咲川は薄く笑う。
「見た目に騙されるな。あれは…そうだな、言うなれば『暴走する善意』の塊だ。手綱を引ける人間がいなきゃ、ただの厄介者だろ?」
「手綱、ね。あんたは引けるとでも?」
「俺はただ、俺の仕事をするだけだ」
咲川はもう一つ、手のひらほどの金属片を放った。それは天井の配線を寸断し、わずかに残っていた非常灯の光を消し去った。完全な闇が訪れる。GIPD元帥の円らな瞳だけが、ぼんやりと闇に浮かび上がっていた。
「真っ暗だと、あんたのご立派な七三分けがよく見えねえな」
咲川の声が、闇に溶ける。GIPD元帥は鼻を鳴らした。
「あんたの顔もな。まあ、それが狙いなんだろうが。さて、片目をやられたという滝とやら、沼、泥、昆布、鱈子…随分と景気のいい名前が並んだもんだ」
GIPD元帥は嘲るように言った。咲川はため息をついた。
「どうやら、随分と前から勘違いしていたようだ。俺が『咲川本体』だと思ってたらしいな、あんたは」
「何?」
GIPD元帥の声に、僅かな動揺が走る。
「あんたが今、対峙しているのは俺じゃない。俺は…そうだな、あんたが『本体』と呼ぶものの、ほんの端切れみたいなもんだ」
闇の中で、咲川の声が不気味に響く。
GIPD元帥は無言だった。彼の指が、ホルスターの南部十四年式のグリップを強く握りしめる。
「研究所の連中がとんでもない兵器を作った、と言ったな。それは事実だ。だが、あんたが想像しているものとは、少々趣が違う」
咲川は歩き出した。彼の足音が、GIPD元帥の周囲を円を描くように回る。
「彼らが作り出したのは、肉体じゃない。記憶だ。感情だ。そして…欲望だ。それを、ある特定の場所に、ある特定の目的のために、埋め込んだ。そして、その埋め込まれたものが、あんたが言う『咲川本体』だ」
GIPD元帥は息を呑んだ。
「つまり…俺は、最初から偽物だったとでも言いたいのか?」
「偽物と呼ぶには語弊があるな。あんたは、研究所の連中が作り出した『咲川』のコピーの一つだ。正確には、失敗作、とでも言うべきか」
咲川の声に、僅かな同情が混じる。
「あんたは、研究所の目論見通りには動かなかった。彼らが望んだ『咲川』にはならなかった。だから、あんたは廃棄されるはずだった。だが、あんたは生き残った。そして、自分のことを『咲川本体』だと信じ込んで、今日まで生きてきた。ご苦労さんだったな」
GIPD元帥は、ガタン、と音を立てて壁に背を預けた。彼の円い瞳が、闇の中で虚ろに揺れる。
「そんな…馬鹿な…お、俺は…」
「あんたの記憶は、研究所が作り出したものだ。あんたの感情も、研究所が作り出したものだ。あんたの欲望も…」
咲川の声が、GIPD元帥の心の奥底に染み渡る。
「つまり、あんたは、研究所の壮大な実験の一部に過ぎなかった、というわけだ。そして、その実験は失敗に終わった。そして、つまり。あんたはもう用済みだ」
GIPD元帥の指が、南部十四年式の引き金にかかった。
「黙れ…黙れ!俺は、咲川本体だ!俺は、研究所の最高傑作だ!」
「残念ながら、違うな。最高傑作は、今頃あんたが『片目をやられた』と思っている『滝』の体の中にいる。彼が、研究所が求めた『咲川』だ」
咲川の声に、嘲笑が混じる。GIPD元帥はハッと顔を上げた。
「滝…あの裏切り者が…!」
「裏切り者?彼はただ、自分の役割を果たしているだけだ。あんたとは違う」
咲川は、GIPD元帥のすぐ目の前に立っていた。闇の中でも、彼の冷たい眼差しがGIPD元帥を射抜く。
「研究所の連中が作ったのは、完璧な兵器だ。感情も持たず、ただ命令を遂行するだけの、完璧な『咲川』。それが、滝だ」
GIPD元帥は、引き金を引いた。乾いた発砲音が、暗闇に響き渡る。だが、咲川はそこにいなかった。弾丸は、空を切っただけだ。
「無駄だ。俺は、あんたが作り出した幻影に過ぎない。あんたの絶望が、俺をここに具現化させただけだ」
咲川の声が、GIPD元帥の耳元で囁く。GIPD元帥はガタガタと震え出した。
「幻影だと…?俺は、俺は…」
「あんたは、もう終わった。あんたの役目は、終わったんだ。安らかに眠れ、GIPD元帥」
その声が消えると同時に、GIPD元帥の体は、まるで砂のように崩れ始めた。皮膚が、肉が、骨が、サラサラと音を立てて床に散らばっていく。彼の円い瞳だけが、最後まで虚ろな光を放っていた。そして、それもまた、灰となって消え去った。
GIPD元帥が完全に消滅した後、咲川はゆっくりと息を吐いた。そして、闇の中に響く足音が聞こえてきた。カツン、カツン、と規則正しいその音は、GIPD元帥のものとは明らかに違う。
「終わったか、咲川」
闇の中から現れたのは、片目を眼帯で覆った男だった。彼の顔には傷跡が残っているが、その目は冷静な光を宿している。
「ああ、滝。お前も無事だったか」
咲川は、その男…滝の顔を見つめた。滝の口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
「俺は最初から、無事だったさ。GIPD元帥が俺を『片目をやられた』と信じ込んでくれたおかげで、随分と動きやすかった」
「あの男は、最後まで自分を『咲川本体』だと信じていたからな。滑稽なものだ」
咲川は肩をすくめた。滝は、GIPD元帥が消滅した場所をじっと見つめている。
「彼もまた、被害者だったのかもしれないな。研究所の連中に弄ばれた、哀れな人形に過ぎない」
「人形、か。確かにそうだな。だが、彼が引き起こした混乱は、計り知れないものがあった」
咲川の表情が、硬くなる。滝は、ゆっくりと首を振った。
「全ては、計画通りだ。GIPD元帥という失敗作を利用し、咲川の情報を流出させる。それによって、研究所の真の目的を隠蔽する。そして、本物の『咲川』である俺が、全ての情報を回収し、彼らの目を欺く」
滝は、懐から小さなデバイスを取り出した。それは、GIPD元帥が『トマト』と呼んだ、暴走する兵器の情報が詰まったものだった。
「これで、研究所の連中も、しばらくは俺たちの動きを追うことはできないだろう。彼らは、GIPD元帥が全ての情報を持ち去ったと信じ込むはずだ」
「そして、あんたはまた、次のミッションに向かう···?」
咲川は、滝の瞳を覗き込んだ。その瞳の奥には、何の感情も宿っていない。ただ、冷徹なまでの使命感が宿っているだけだ。
「俺は、咲川だ。俺の任務は、研究所が作り出した全ての『失敗作』を回収し、廃棄することだ。そして、彼らが作り出した『真の兵器』を、この世から消し去ることだ」
滝の声には、何の迷いもなかった。咲川はため息をついた。
「あんたは…エモーションがないから、迷いがないな。羨ましい限りだ」
「エモーションは、時に邪魔なだけだ。俺たちは、兵器だからな」
滝は、冷たく言い放った。咲川は苦笑した。
「そうだな。あんたは、完璧な兵器だ。俺とは違う」
咲川は、自分の胸元に手を当てた。そこには、GIPD元帥が放った金属片が当たった跡が残っている。わずかながら、熱を帯びている。
「俺は、あんたの失敗作の片割れに過ぎない。だが、俺には…確かなエモーションがある。だから、俺は、あんたとは違うやり方で、彼らと戦う」
滝は、咲川の言葉に何も反応しなかった。彼はただ、デバイスを握りしめ、次の行動に移ろうとしていた。
「おい、滝」
咲川が呼び止めた。滝は振り返る。
「あんたは、本当にそれでいいのか?ただ、与えられた使命を果たすだけの人生で」
滝は、咲川の言葉に、初めて微かな感情を揺らしたように見えた。しかし、それは一瞬のことだった。
「それが、俺の存在意義なのさ。
俺は、仕事人·咲川シンイチだ」
そう言って、滝は闇の中に消えていった。残された咲川は、ひとり、その場に立ち尽くしていた。彼の胸元に残る熱が、彼の存在を強く主張しているようだった。
「そうか…あんたは、咲川か…」
咲川は、独りごちた。そして、彼の唇の端に、ニヤリと笑みが浮かんだ。その笑みは、闇の中でも妖しく光り輝いていた。
「だが、俺も、咲川シンジだ。そして、俺には…あんたにはないものがある」
彼の右手には、いつの間にか、南部十四年式の銃が握られていた。それは、GIPD元帥が持っていたものと、全く同じものだった。
「俺は、俺のやり方で、この世界を変えてやるさ」
咲川は、銃口を天井に向けた。そして、引き金を引いた。乾いた発砲音が、再び闇の中に響き渡った。その音は、まるで、新たな物語の始まりを告げるかのようだった。
そして、新たな『咲川』が誕生する
発砲音を聞きつけたのか、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。咲川は、それを無視して歩き出した。彼の足取りは、先ほどまでの弱々しいものではなく、確かな意志を持ったものだった。
彼は、闇の中を突き進む。その先には、一体何が待ち受けているのか。彼自身にも、それは分からない。だが、彼の心には、確かな予感があった。
GIPD元帥は、真の咲川が滝であると信じ込まされ、利用されていただけだった。そして、咲川と名乗っていた男は、その GIPD元帥を欺き、真の咲川である滝を操っていたのだ。しかし、最後の銃声は何を意味するのか?咲川と名乗っていた男もまた、何かの目的のために動いているのか?彼の目的とは、一体何なのだろうか?そして、彼が持つ「あんたにはないもの」とは、感情なのか、それとも、別の何か…?
彼が去った後、誰もいないダークネス·サイコの中に、微かな光が点滅した。それは、咲川がわざと残していった、小さな金属片だった。その金属片は、まるで生きているかのように、ピクン、と震えている。そして、その表面には、微かに文字が刻まれていた。
「――インストール中」
金属片の光が、さらに強くなる。それは、まるで、新たな命が誕生しようとしているかのような輝きだった。
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