第11話 マイティ
冷蔵庫の下に吸い込まれたUSBメモリの件で、咲川が「なんでも屋」のミスター・オールマイティに電話をかけたのは、それから小一時間後のことだった。
マイティは、受話器越しに
「あー、冷蔵庫の下ね。よくあるんですよ、そういうの。猫ってのは実に気まぐれだから」
と、まるでそれが日常の風景であるかのように淡々と答えた。その声には、妙な含みがあった。
湖は、マイティがどんな「余計なトラブル」を連れてくるのか、戦々恐々としていた。彼が過去に解決したと称する案件は、どれもこれも一筋縄ではいかないものばかりだったからだ。例えば、なくした鍵を探す依頼が、なぜか地域一帯を巻き込む大規模な宝探しゲームに発展したり、迷子の犬を探すはずが、最終的に隣町の銀行強盗逮捕に繋がったり。彼の「解決」は常に、依頼の本質をはるかに逸脱した騒動を引き起こすのだ。
「で、いつ来られるんですか?」
咲川が問うと、オールマイティは間髪入れずに答えた。
「行きたいのは山々で、今すぐ、と言いたいところだが、生憎と手が離せない。今、ちょっと、世界を揺るがすような秘密組織の会議に潜入中でね。いや、君たちの件も世界を救う鍵だったか。うーん、どっちが重要かな?」
咲川は深くため息をついた。湖は、なぜかマイティの言葉が妙に説得力があるように感じられ、苦笑した。
結局、マイティがアパートに到着したのは、それからさらに三時間後だった。現れた彼は、黒いスーツに身を包み、なぜか右手に薔薇の花束、左手に巨大な釣り竿を持っていた。
「やあ、咲川くん。久しぶりだね、湖くん。君たちはいつも厄介な案件ばかり抱えているようだね。私は今、とある外交官の愛人の誕生日パーティーに潜入する途中だったんだが、君たちの緊急連絡とあらば、地球の危機は優先すべきだろう」
湖は、釣り竿に目をやった。
「佐藤さん、その竿は、一体…?」
マイティは、露骨に眉間に皺を寄せた。
「湖くん、本名で呼ばないでくれたまえ。ああ、この竿?」
マイティは釣り竿を揺らした。
「冷蔵庫の下のUSBメモリを回収するためには、これがちょうど良い塩梅なんだ。長年の経験から導き出された、いわば究極の道具さ。先端に強力な磁石がついている。あとは、猫の毛でできた特別製のミシン糸で、滑りやすいUSBメモリを確実に捕らえる。極めて繊細な作業が要求されるんだ」
マイティは、そう言いながら、何故か床に正座し、精神統一を始めた。その姿は、まるで一流の寿司職人が極上のネタを握る前のようだった。
「おい。佐藤待てよ、別に正座しなくても…」
と咲川が言いかけたが、マイティはすでに瞑想状態に入っており、彼の声は届かなかった。
数分後、マイティは目を開き、
「よォし」と一言。その瞳には、並々ならぬ決意が宿っていた。彼は冷蔵庫の前に這いつくばり、釣り竿の先端を慎重に隙間に差し入れた。
その時だった。アパートのドアが激しくノックされた。
「開けろ!国際機密情報保護局だ!」
湖と咲川は顔を見合わせた。マイティは微動だにしなかった。彼は釣り竿を操ることに集中している。
「一体、何の用だ?」
咲川がドアを開けると、そこにはスーツ姿の男たちが三名、鋭い眼光で立っていた。彼らの胸には「GIPB」と書かれたバッジが光っている。
「情報が入った。この部屋に、世界を揺るがす機密情報が隠されていると。すぐに引き渡してもらいたい」
リーダー格の男が低い声で言った。
「機密情報って…もしかして、猫が飲み込んだUSBメモリのことですか?」
湖が思わず口を滑らせた。
男たちの表情がわずかに歪んだ。
「猫だと?…いや、その情報はすでに回収されたはずだ!」
その瞬間、マイティが
「獲ったゾぉ!」
と叫んだ。彼の釣り竿の先端には、確かにUSBメモリがぶら下がっていた。
しかし、その直後だった。冷蔵庫の向こう側から、もう一本の細い針金のようなものが伸びてきて、USBメモリに絡みついた。そして、あっという間にそれを引っ張り、再び暗闇の中へと消えていった。
「なっ!?」
マイティの顔から、一瞬にして余裕が消えた。
「今のは…まさか、国際機密情報保護局も同じものを狙っていたのか!?」
咲川が愕然と呟く。
「ノンノン」
マイティが立ち上がり、真剣な顔で言った。「あれは、私を常に追い回している宿敵…『シェイド』の仕業だ。まさか、こんな場所で相まみえるとは…!」
GIPBの男たちが、マイティと冷蔵庫の隙間を交互に見つめ、混乱した顔をしている。トマトは相変わらず、レーザーポインターの赤い光を追いかけて、壁を跳ね回っていた。世界の命運は、またしても暗闇の彼方へ消え去り、今度はマイティの因縁の宿敵まで絡んできた。
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