第2話

西の国境へ向かう道中、一行は沈黙に包まれていた。馬車の揺れが、リリアーナの心臓の鼓動とシンクロするかのように、ドクン、ドクンと鳴り響く。彼女の隣には、眉間に皺を寄せたアレンがいる。その顔には、決意と、そして微かな疲労の色が浮かんでいた。

セシリアとフィオナは、別の馬車で先行している。アレンは、リリアーナを危険に晒すことへの葛藤を抱えつつも、彼女の「異端」の力が、この絶望的な状況を打破する唯一の希望であると信じていた。そして、何よりも、リリアーナ自身が、この使命を受け入れたことが、アレンを突き動かす原動力となっていた。

「アレン様…本当に、私で、お役に立てるのでしょうか…」

リリアーナが、不安げな声で呟いた。その声は、馬車の軋む音にかき消されそうになるほど微かだった。

「ああ。お前だけだ、俺の魔力を制御できるのは」

アレンは、リリアーナの小さな手をそっと握りしめた。その温かさが、彼女の不安を少しだけ和らげる。

「ですが…教皇庁は、私の浄化の儀について、まだ何もご存じないはず…」

「ああ。だからこそ、今、この場でしか、お前の力は使えない」

アレンの言葉に、リリアーナはハッとしたように顔を上げた。彼女の碧い瞳が、アレンの目を真っ直ぐに見つめる。二人の間に流れる空気が、少しだけねっとりとしたものに変わる。狭い馬車の中、二人の距離は物理的にも心理的にも、急速に縮まっていくのを感じた。

「…もし、私が…アレン様の魔力を吸い出しすぎたら…?」

リリアーナが、少しだけ潤んだ瞳で問いかけた。その言葉には、アレンの身を案じる気持ちと、そして、どこか期待にも似た響きが含まれているように聞こえた。

「その時は…俺の責任だ。存分に吸い取ってくれ」

アレンは、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。リリアーナの頬が、さらに赤く染まる。その表情は、聖女としての厳かさとは裏腹に、まるで純真な乙女のようだった。

「アレン様…」

リリアーナの唇が、小さく震える。馬車の揺れが、二人の体をわずかに揺らし、互いの距離をさらに縮めた。触れ合いそうなほど近くにある彼女の顔に、アレンの視線は吸い寄せられる。

その時、ガタン! と大きな音を立てて馬車が急停止した。

「何だ!?」

アレンが身構える。外から、セシリアの鋭い声が聞こえてきた。

「魔族の先遣隊だ! 数は少ないが、油断するな!」

窓の外を見ると、地平線の向こうから、黒い影が数体、こちらに向かってくるのが見えた。彼らは、人間を模したような姿だが、皮膚は漆黒で、異様な角が頭から生えている。

「くそっ、こんなところで!」

アレンは剣に手をかけた。リリアーナは、心配そうにアレンを見つめている。

「アレン様…まだ、浄化の儀は…」

アレンの魔力は、先ほどリリアーナが吸い出したばかりで、まだ十分ではない。しかし、このままでは、彼女まで危険に晒してしまう。

「大丈夫だ。少しばかり、体を動かせば、魔力も巡ってくる」

アレンは、自分に言い聞かせるように呟くと、馬車を飛び出した。外では、既にセシリアが巨大な両手剣を構え、魔族の一体と対峙していた。

「いくぞ、魔物め!」

セシリアの雄叫びが響き渡る。彼女の剣は、まるで生きているかのように唸り、魔族の体を両断した。黒い血が飛び散り、魔族の体が塵となって消える。

「さすがだな、セシリア!」

アレンは声をかけると、自分の剣を抜いた。剣身が、月の光を浴びて鈍く光る。

「アレン! お前は魔力を温存しろ! 私とフィオナでなんとかする!」

セシリアが、新たな魔族に斬りかかりながら叫んだ。フィオナも、杖を構え、詠唱を開始する。

「『炎よ、集え! 猛き炎の槍となれ!』」

フィオナの杖から、紅蓮の炎が渦を巻き、魔族の一体へと向かっていく。炎の槍は魔族の体を貫き、その動きを止めた。

しかし、魔族の数は、セシリアの言葉以上に多かった。次から次へと、新たな魔族が森の中から現れてくる。

「くそっ、キリがないぞ!」

セシリアが舌打ちをする。アレンも、剣を振るいながら、周囲の状況を把握しようとした。その時、一体の魔族が、アレンの背後から迫ってきているのが見えた。

「アレン様! 後ろ!」

リリアーナの叫び声が聞こえる。アレンは振り返る間もなく、迫りくる魔族の気配を感じた。しかし、体の動きが、一瞬だけ遅れる。魔力不足による、わずかな判断の遅れだった。

「っ…!」

魔族の鋭い爪が、アレンの肩を掠める。鈍い痛みが走り、制服の肩の部分が裂ける。

「アレン様!」

リリアーナが、馬車から飛び出そうとするのが見えた。

「来るな! 危険だ!」

アレンは叫んだ。しかし、魔族は、アレンの言葉を嘲笑うかのように、さらに数を増やしていく。セシリアとフィオナも、他の魔族に足止めされ、アレンを援護することができない。

アレンは、迫りくる魔族の群れを前に、絶望的な状況に追い込まれていた。このままでは、リリアーナまで危険に晒してしまう。

その時、アレンの脳裏に、リリアーナの言葉が蘇った。

「…アレン様は、私が…恥ずかしいのですか?」

そして、彼女の潤んだ瞳。アレンは、自分が何をすべきか、明確に理解した。

「リリアーナ…!」

アレンは叫んだ。リリアーナは、息を呑んでアレンを見つめる。

「頼む…今すぐ、浄化の儀を…!」

アレンの言葉に、セシリアとフィオナも驚愕の表情を浮かべた。こんな戦場で、一体何をしようとしているのか。しかし、リリアーナは、アレンの言葉の意味を瞬時に理解したようだった。彼女の顔が、一気に赤く染まる。

「で、ですが…こんな場所で…!」

リリアーナは、周囲の目を気にして躊躇する。しかし、アレンは、そんな彼女に容赦なく言葉を叩きつけた。

「躊躇するな! 俺たちの命がかかっているんだ! 今、ここでやらなければ、全員死ぬぞ!」

アレンの言葉に、リリアーナはぐっと唇を噛み締めた。そして、意を決したように頷いた。

「…わかりました。アレン様のためなら…!」

リリアーナは、ローブの裾をわずかに持ち上げ、アレンへと駆け寄った。彼女がアレンに近づくにつれ、アレンの体内の魔力が、まるで彼女に呼ばれているかのように、強く脈打ち始めた。

「魔族め! 邪魔をするな!」

セシリアが、叫び声を上げながら、アレンとリリアーナを守るように、魔族へと斬りかかっていく。フィオナも、魔法を連発し、時間を稼いでいる。

リリアーナは、アレンの目の前まで来ると、躊躇なく、その場に膝をついた。そして、ゆっくりと、アレンの制服のベルトに手を伸ばす。周囲の魔族の咆哮や、剣と剣がぶつかる音が響く中、リリアーナの手が、アレンのそこへと触れた。

「っ…!」

アレンは、思わず息を呑んだ。戦場の喧騒の中で、しかし、リリアーナの触れる場所から、熱く、そして快楽にも似た感覚が、全身へと広がっていくのを感じた。それは、羞恥と、そして興奮が混じり合った、複雑な感情だった。

リリアーナの顔は、既に真っ赤に染まっている。彼女の碧い瞳は、アレンのそこを見つめ、集中している。荒い息遣いが、アレンの耳に届いた。

「…うっ…アレン様…すごい魔力です…」

リリアーナが、苦しげに、しかしどこか恍惚とした声で呟く。その言葉に、アレンのそこは、さらに熱を帯びた。

体内の魔力が、文字通り吸い取られていくのがわかる。それは、単なる魔力の減少ではない。アレンの身体の一部が、彼女の奥へと吸い込まれていくような、濃厚な感覚だった。

「くっ…!」

アレンは、全身に走る快感と、魔力流出の感覚に、思わず呻き声を上げた。その声は、セシリアとフィオナの耳にも届いたのだろう。二人は、一瞬だけアレンの方に視線を向け、すぐに戦場へと意識を戻した。

「早くしろ! リリアーナ!」

セシリアの焦った声が響く。魔族の数は、さらに増えていた。

リリアーナは、アレンの言葉に促されるように、さらに集中力を高めた。彼女の指先が、アレンのそこを、ゆっくりと、しかし確かな動きで滑っていく。まるで、魔力を絞り出すかのように、ねっとりと、そして執拗に。

「ひぅ…!」

アレンの口から、情けない声が漏れた。しかし、その声と同時に、体内に漲る魔力の感覚が、急速に増していくのがわかる。魔力暴走とは異なる、純粋な魔力の流入だ。

リリアーナの「浄化の儀」は、アレンの体内の魔力を吸い出すと同時に、彼女自身の聖なる魔力をアレンへと流し込んでいるのだろう。それは、アレンの魔力を清め、純粋なものへと変える働きをしていた。

数秒後、リリアーナはハァハァと荒い息をしながら、アレンから顔を上げた。彼女の顔は汗と涙で濡れ、唇はわずかに開いている。その表情は、先ほどの苦痛に満ちたものから一転、どこか艶めかしいものへと変わっていた。

「アレン様…」

リリアーナの碧い瞳は、潤んで、アレンを見つめている。その瞳には、羞恥と、そして濃厚な愛憎が入り混じったような感情が宿っていた。

「…ありがとう、リリアーナ」

アレンは、リリアーナの頭をそっと撫でた。そして、彼女の言葉に応えるかのように、体内の魔力が、まるで滝のように溢れ出すのを感じた。

「させるかぁぁぁ!!」

アレンは叫び声を上げると、剣を構え、迫りくる魔族の群れへと飛び込んでいった。その動きは、先ほどとは比べ物にならないほど、素早く、そして力強かった。

「な、なんだ…この魔力は…!」

セシリアが、驚愕の表情でアレンを見つめる。フィオナも、目を見開いていた。

アレンの剣は、まるで嵐の如く、魔族の群れへと降り注いだ。一撃で一体、また一体と、魔族が塵となって消えていく。その剣筋は、まるで神速の嵐のようだった。

「リリアーナ! お前は後ろに下がっていろ!」

アレンは叫んだ。リリアーナは、アレンの背中を見つめながら、静かに頷いた。彼女の顔には、まだ紅潮が残っていたが、その瞳には、確かな希望の光が宿っていた。

アレンの活躍により、魔族の先遣隊は壊滅した。しかし、戦いはまだ始まったばかりだ。西の国境では、さらに大規模な魔族の群れが、彼らを待ち構えているだろう。

「アレン、大丈夫だったか!?」

セシリアが、血を振り払いながらアレンに駆け寄ってきた。フィオナも、安堵の表情でアレンを見つめている。

「ああ、問題ない。リリアーナのおかげだ」

アレンは、リリアーナに視線を向けた。リリアーナは、少しだけ照れたように俯いている。

「一体、何をしたんだ? お前、さっきまで魔力不足だっただろ?」

セシリアが不審そうな顔でアレンとリリアーナを交互に見つめた。アレンは、どう説明すべきか言葉に詰まる。

「その…ちょっとした、特別な…儀式で…」

アレンは、曖昧な言葉でごまかそうとした。しかし、セシリアの視線は、鋭くアレンとリリアーナの間に注がれている。

「特別な儀式、ねぇ…」

セシリアの口元が、ニヤリと歪んだ。

「…なんか、お前たち、やけに顔が赤いし、それに…リリアーナ聖女のローブが、ちょっと乱れてるような…?」

セシリアの言葉に、リリアーナはさらに顔を赤くして、ローブの胸元を慌てて押さえた。アレンは、内心で冷や汗をかく。この女騎士、本当に勘が鋭すぎる。

「気のせいだ! さあ、急ぐぞ! 国境へ!」

アレンは、強引に話を打ち切り、馬車へと向かった。セシリアは、まだ何か言いたげな顔をしていたが、フィオナがそっと彼女の肩を叩いた。

「セシリア。今は、目の前の危機に集中しましょう」

フィオナの言葉に、セシリアは不満げな顔をしながらも、頷いた。

再び馬車に乗り込んだアレンとリリアーナ。車内は、先ほどよりも、さらに濃厚な空気に包まれていた。窓の外の景色は、魔族の侵攻によって荒廃し、希望のない世界が広がっている。しかし、アレンの隣にいるリリアーナの存在が、アレンの心に、確かな温かさをもたらしていた。

「アレン様…」

リリアーナが、震える声でアレンの名前を呼んだ。アレンは、彼女の顔を見た。彼女の碧い瞳は、アレンの瞳を真っ直ぐに見つめ、何かを訴えかけているようだった。

「…次の魔力供給は、もっと…」

リリアーナが、そこまで言って言葉を止める。彼女の顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。しかし、その瞳の奥には、確かな欲求の光が宿っているように見えた。

アレンは、リリアーナの言葉の意味を理解し、そして、自分もまた、彼女の言葉に呼応するかのように、身体の奥で熱が膨らむのを感じた。

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聖女様、お願い、俺の魔力を吸い出してくれ!~破滅寸前の世界で、なぜか聖女だけが俺の"アレ"に反応するんですが?~ @tomomoo

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