女神の代理人 2
「どうしたの?」
そう声をかけると、姉の方が遠慮がちに目を逸らした。俯いた視線の先には手を繋いだままの妹。小さな手指が、いとけない口の中に入っている。
「こちらへ、いらっしゃい」
優しい誘いに、はにかんだ笑顔が応えた。二人が輪に加わったことを確かめ、話を続ける。
「……けれども、時が経つにつれて人々は大切なことを少しずつ忘れていってしまいました。
それは、自分たちの心が他の人たちや神様たちと繋がっているということです。
いいえ、人だけではありません。
動物たちや草花、動くものも、動かないもの……この地にあるすべてのものは、心の奥底で繋がっているのです。
けれども、心の中の宝物を忘れた人たちは、神様の姿が見えなくなり――、
……やがて、人々は、互いに憎んだり争うようになりました」
眉を下げていく子どもたちに、穏やかなまなざしが注がれる。
「そんな人々の様子を見ていた女神様は、とても悲しみました。遠い遠い、遙か昔に約束を交わした王様も、きっと悲しんでいるに違いない、と」
「はじまりの約束の王様だね!」
「この国を守ろうって女神様と約束してくれた人!」
楽し気な視線を受け留めながら、少女が続ける。
「このままでは、人々の心は砂漠のように乾いてしまう。渇きを潤すものが必要だ」
ゆっくりと少女の両手が祈りの形を作ると、瞳の奥で不思議な光が煌いた。
「誰か!」
打って変わった力強い声に、思わず子どもたちの目が見開く。
「誰か、この声が聞こえる者があるか!
もしあるならば、共にこの世界に愛と光を注ごう。永遠にこの国の者が幸せであるように。適う者には証として光の如き力と深き海の如き智慧を授けよう――」
〈 小さきもの、心あるものたちに祝福あれ! 〉
「わああ!」
突然、目の前に広がった虹色の粒子に歓声が上がる。
「……こうして、今もこの国には、私たち神声者とともにアールダイナ様のご加護があらゆるところに宿っているのです」
きらきらと舞う光にも劣らない子どもたちの表情に、語る少女の顔もほころぶ。
「パティアお姉ちゃん、もっとお話してよぅ」
「精霊と五人の旅人のお話は?」
ねえねえ、と白いワンピースの裾を引っぱりながら続きをせがむ子どもたちを、パティアが申し訳なさそうに見遣る。
「ごめんなさい、今日はこれから大事なご用があって――」
「え~っ、何の用事?」
むくれた表情で見上げる男の子を、優しく撫でながら答える。
「……少し、特別なお掃除、かな」
神声者は、神声言語という特殊な言語と文字を使い、願いや祈りを具現化することができる。今、子どもたちに授けた祝福の加護もその一つだ。
神声術の修練方法もそれが行われる神祭庁も、全ては秘匿されている。
神祭庁の所在さえ知られてはいない。
修練後、資格を得た者たちは町や村へ派遣される。
パティアがこの村に来たのは、半年ほど前になる。
神声者は、冠婚葬祭や豊作祈願などの祭事を担う祭祀者としての役割を果たす。
悩みごとや夢解きの相談、豊富な薬草の知識を活用した治療などの他、徒人には感知できない魔や穢れの祓いをしてくれる彼女たちは、人々にとって敬愛の対象だった。
「えー、お掃除? 違う人じゃだめなの?」
「今日いかなきゃだめなの?」
「手伝ってあげる! そしたら早く終わるもん」
「いつ帰ってくるの?」
無邪気な質問攻めに、苦笑交じりで答える。
「明日には、戻りますよ」
「ほんと?」
「じゃあ、またお話してくれる?」
拗ねた表情が一転、わくわくと期待顔になった男の子にこくり、と頷いてみせる。
「やったー!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
口々に言いながら帰っていく小さな後ろ姿を、手を振りながら見送る。
なんだかくすぐったいような、嬉しいような――。
こんな気持ちは、本当に久しぶりだった。
違う人じゃだめなの?
まっすぐに、自分自身を求められた。
あんなふうに、誰かに必要とされたことは初めてかもしれない。
ふと、懐かしい姿が脳裏をよぎる。
ゆったりと波打つような美しい髪に、眼鏡の奥から伝わる優しい眼差し。
神祭庁の教育機関である修導院で、十年間をともに過ごしてくれた大切な人だ。
もし、“お姉ちゃん”と呼びかけたら。
ファーネリ様は、どんな顔をみせてくれるのだろう。
想像しかけて、自嘲する。
そんなことは、許されない。
常人ならざる力は、厳格な戒律と自己修練を成し遂げた者にしか扱うことができない。そこに個人としての意思が入り込む余地は皆無だ。
己のすべてを女神に、人々に捧げられる者でなければ女神の声は扱えない。
『また、めぐり逢う時に』
やわらかく包み込むような表情と声が蘇る。
それは、別離と再開を約束する言葉だった。
晴れて一人前の神声者となった彼女を祝福しなければならないのに、
寂しくてたまらなくて。
姉の姿は涙でいつまでも揺れていて、よく見えなかった。
姉のように慕っていたファーネリとともにこの国と人々のために仕えること、それがパティアの願いだった。
幼い頃からの夢が、ようやく今日叶う。
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