喋る野良猫
九月になっても夏の暑さは変わっていなかった。夏休み最後の怪奇調査同好会の集まりは図書室で行われた。授業日よりも早めに開く図書室で涼もうという成り行きで決まったわけだが、空調は普段よりは冷えていなかった。暑くはないくらいの体感温度に、帆夏は机に身を投げ出して文句を言っていた。机に集まっているのは陽菜乃と帆夏、藤森と越谷のみで、一人遅刻者がいた。グループラインでは『おばあちゃんを助けていた』と供述していたが、十中八九嘘だろう。彼を待ちながら雑談すること三十分。ゆったりと扉を開けて悪びれることなく間芝が入ってきた。越谷が遅刻の理由を問いただしたが、間芝はチャットに書いたとおりだと言って空いている席に座った。
机に突っ伏した帆夏が上目遣いで対角に座る間芝を見上げる。
「おばあちゃんなんていう人?」
「名前は聞いてないけど」
「じゃあ嘘だ、どうせ寝坊でしょ」
「本当だってば!最寄りの方で、スーパー帰りのおばちゃんがりんご落としちゃったから手伝ってたんだよ」
典型的な言い訳例すぎて嘘か本当かは不明だった。陽菜乃からしたら遅れた理由よりも早く学校について調べたい一心だったが、間芝はエピソードを裏付けるおばあちゃんから聞いた事を話し出した。
「制服見てどこの高校?って聞かれて話したら、おじいさんが同じ和来高校だったみたいで話弾んだんだ。でも、変な校則が多かったらしくて今とはだいぶ違ってるみたい。昔は私立で同族経営してたらしいよ」
「へえ~おばあさん助けてたの本当だったんだ」
「まだそこ疑惑かかってんの⁉まじだってば」
藤森によれば間芝は授業の日や二人で遊ぶ時もよく遅刻するタイプらしく、部活でも同じことを何度かしていたため誰も本気で信じていなかった。陽菜乃は狼少年みたいだなと呆れて彼を眺めた。作り話ではないという現生徒と高齢者OBとの会話に、だいぶ長い歴史を感じた。そういえば、転入前にちらっと見たホームページに創立百何年と書かれていたような気もする。細かく何周年目か覚えている人はこの中にはいなかった。
今日のやることは他に学校関係の蔵書がないか調べるのと、夏休みの宿題を終わらせるという緩い内容だった。しばらく雑談をしていると、図書室に常駐している先生が声をかけてきた。少し早めにお昼にするから一時間弱くらい空けると言われて先生の背を見送った。越谷によると図書室の隣の教室にも何か本が置いてあるという。普段は図書委員や先生の使う教室であるため知る人ぞ知る場所で、いくつかの書架が設置されているらしい。滅多にないタイミングであるため目を見合わせて受付の向こうの教室を開けることを決めた。先生が見えなくなってから受付の内側に入って、その先の扉を開ける。目の前に縦に五つの書架が並んでいた。窓側奥の四つの棚には触るなの紙が貼られていて、読んで良さそうなのは手前側にあるひとつの書架だけだった。陽菜乃は手前の書架を見ようとして、他四人が反対側の棚の本を堂々と触ろうとしていることに驚いた。
「天久は真面目か。隠してあるこっちに色々あるに決まっとるだろう」
「いやでも、バレたらまずくないですか」
言いながら教室全体を見回す。カメラはさすがになさそうだが何かの拍子にバレたら処分が降りそうで少し不安だった。しかし帆夏は夜の学校に潜入した後からは背徳感に慣れたようでなんでもないように棚を物色していた。越谷が取り出した本を掲げると、みんなの視線が学校物の本に集まった。タイトルは『和来高校(わくるこうこう)1xxx年』と表記されていた。
「昔はわくるだったんだ。どういう意味?」
「今はいこいって読むもんね。みんなはわらいって呼ぶけど」
「高校名なんてどうでもいいよなぁ」
越谷が文章の書かれた二ページ目を読み上げる。由来は自然と調和するという意味だったらしく創立当時の校長の言葉も載っていた。創立当初の校長は庭鳥一彦という名前らしく、越谷の発言に陽菜乃が反応した。
「庭鳥さん……夕日のあれってそういう?」
「何がだ?」
「放課後によく見えるやつです。夕日の前にいる」
「ああ、あれか。わからんがそうだったら面白いな」
それから手当たり次第でいろんな本を取り出しては昔の学校のことをメモしていった。私立時代の学校の予算や株主関連の表、歴代の校長、学校の建て替えについてなどの情報が集まった。手前から二番目の棚の奥に、一番下の大きいサイズの本に紛れて黒い表紙の小さな文庫本くらいの本が置かれていた。陽菜乃がそれに手を伸ばそうとした瞬間、廊下から足音が聞こえてきた。
「やばい先生帰ってきたっ」
「まだ四十五分しか経ってないよ」
校舎が静かなおかげで遠くからの音もよく聞こえた。あまり音を立てずに扉を閉めて受付から出る。机に着席してすぐに先生が図書室に戻ってきて、心臓はまだバクバクしていた。越谷の下手くそな話題振りに乗っかって変わらず雑談をしていたように取り繕う。それからさっき取ったメモをまとめ直したり課題をしたりして十三時には学校を出た。陽菜乃は一つだけ未練が残ってしまった本のことを帰り際に話した。裏表紙にライアと書かれていたような気がして、気になって仕方がない。最初に旧校舎の屋上に行った時のことを思い出す。視える陽菜乃たちが警戒をしなければいけない理由はすぐそばにあるのかもしれなかった。
夏休みが空けて二学期が始まった。夏休みの課題の提出も終わり、授業一週目が終わるとすっかり気が抜けてしまう。前日に夜更かしをしていた陽菜乃が起きて時間を確認すると昼前の十時だった。いっそ休んでしまおうか。ベッドを被って天井を見ていると弟が静かに表れた。
「ねぇね。おとーさん」
「え?」
「おとー……おと、さん」
父がどうしたのだろう。仕方なく体を起こして部屋を出るとインターホンの音が聞こえた。寝ぼけ眼を擦りながらゆっくりと階段を下りてお茶を淹れる。その間にもう一回インターホンが鳴らされた。不審者か、もしくは家凸系の霊だろうか。どのみち不審ではあるが、父の部屋から長い柄のある網を持ってきて、内側からそっとドアの外を見た。誰も見当たらなくて薄く玄関のドアを開ける。さらに少しドアを押すと鍵を忘れただけの父がそこにいた。
勝手に網を出してくるなと怒られて、安心しながら元の位置へ返した。寝坊したことで朝帰りの父を家に入れられたため、母に寝坊のことは伝えないと約束してくれた。朝から父に会えて気分が良くなったため言われた通りに学校に向かった。
昼ご飯をコンビニで買って、昼休みまで隣の公園で暇を謳歌する。菓子パンを一つ食べ終えると、どこからか悪魔の鳴き声が聞こえてきた。陽菜乃は視覚と聴覚に集中してその悪魔がどこにいるかをベンチから動かないままで探す。
「みゃぁ~~、ふにゃ」
ふと、足元に何かが当たった気がして何気なく下に視線を向けた。悪魔、もとい猫の手が足首に触れていた。それを認識した瞬間、飛び上がった。飛び上がった代償にふくらはぎがベンチにぶつかり、痛みに耐えられず地面にうずくまった。
「大丈夫?怪我はしてない?」
「へ……?」
「あぁ、少し痣になってるね。早く治るようにしてあげるから」
急に人の声が聞こえるようになって辺りを見回す。しかし公園の外には人一人通らず、いるのは猫だけだった。左側にいる猫は足の跡を見て口を動かした。その動きに合わせて声が聞こえた。十秒きっかり使って、何が起きたのか理解した。
「猫が……喋った?」
「久しぶりだね、前は用事があったのか帰っちゃったけど」
「あ、いやそれは……私猫無理だから」
つい猫の言葉に返してしまったが、慌てて距離を取ってベンチに座る。心なしかライトグリーンの瞳が淡く光っているように見えた。ただの野良猫なはずなのに、不思議な力を感じる。あまり猫らしくなくて、この前のように逃げるほど怖くはなかった。陽菜乃が猫は苦手だというと、その喋る野良猫は薄く口を開けた。そして低姿勢になって頭を下げた。
「それは、申し訳ないことをしたね。大抵の人間は猫が好きだから猫に身体を借りていたのだけど、君が苦手なんじゃ仕方がない。でも、私は猫の見た目をしているだけで猫ではないんだ」
「ええ?じゃあ霊の類とか?」
「大まかに言っちゃえばそうだね。もっと言うと、私は亡くなった人の善念から生まれたんだ。器はないからここで死にかけていた野良猫に身体を借りてるんだ」
「はあ」
分からないことが多くて、もう一つ残っている焼きそばパンにかじりつきながら話半分に説明を聞いた。人には他の動物と違って知能と豊かな感情がある。亡くなった後に、やりきれなかった感情や大きな感情は魂からあふれ出す。そうした感情は地球の自然と結びついて非科学的な現象を引き起こす。それが怪奇と御子に分けられる。ネガティブな感情は憎念となって自然現象と結びついた時に怪奇になり、ポジティブな感情や願いや祈りなどは善念に変わって自然現象と結びついた時に御子になる。人々の願いの結晶が御子であり、喋っている彼の正体だと言った。
陽菜乃はパンを頬張りながら、要はいい奴だと端折って理解した。パンを食べ終わって校舎前に見える時計を確認する。まだ四時間目の時間にほっとして視線を猫に向ける。
「それで、要件でもあるの?」
「君にはまだ少し早い話かもしれないけど、伝えなきゃいけないことがあるんだ」
「ふぅん」
「君の通う高校の風習で昔から生贄がささげられていて、ライアの人か普通より霊を感じる人が毎年レッドムーンに」
「ぶふぅっ!ちょ、ちょっと待って。待って?」
ペットボトルを取り出しながら話の続きを促す。食後に喉を潤そうと緑茶を飲み始めているととんでもないワードが出てきて、飲んでいたお茶を吹き出した。気管に入って思い切り咳き込む。情報量が多くてついていけない。というかしれっと重要事項を聞いた気がする。呼吸を整えてから、改めてスマホの録音機能をスタートしたうえで最初から説明をお願いした。猫の皮を被った御子はかみ砕いてゆっくり説明を始める。
「君の通う和来高校は普通の学校じゃないんだ。ここには精霊が多く宿っていて自然の力が溢れかえっている。そんな森だから何も感じない人でも近寄りがたくて更地状態が続いていたんだけど、ライアの人間がここに学校を作った。精霊も視えるし会話もできるような強い霊能者だったから、学校を建てることで一般的な人と霊を棲み分けられるのではと考えたんだ」
しかし精霊たちは了承したわけではなく、人工的に作り変えられていくこの地球を自然の力で成り立たせるために、設立した初代校長本人に交渉を仕掛けた。精霊が代償に選んだのは初代校長の命だったが、校長は学校を守るんだと言って精霊との交渉を聞かずに同じライアの友人を代わりに寄越した。それに怒った精霊は周りの空気を汚して彼を病気へ追い込んだ。生贄として助かったのはその友人のみで、ライアとしての素質の高い人を取り込めるまで精霊は校長室にずっと居座っている。
それが今まで続いている風習の生贄だった。レッドムーンでは怪奇の力が強まるという通説が流れているが実際は自然の力が膨張する特別なタイミングで、自然の力に調和できるライアの存在が生贄として捧げられていた。
「これがレッドムーンに起きている全容だよ。そして君ほどの霊能力者が来てしまった。精霊は次に絶対君を指名する」
「そんな……仮に学校をやめて逃げてもだめなの?」
「見つかっちゃったからね。どこにいてもきっと追いかけられる」
レッドムーン、つまり十一月十一日に迎えが来る。今年の指名は陽菜乃。ぞっとして陽菜乃は猫嫌いなことも忘れて猫を引っ掴んで抱き上げる。ぐらぐらと揺らしながら恐怖と不安を猫にぶつけた。
「そんなどうしようもないこと、なんでいうの。死を待つしかできないって言うの?嫌だ、聞きたくなかった。最悪。良い奴じゃなかったの?どうしたらいいの……」
「落ち着いて、話はまだ終わってないから。君は死なない。なんのために私が生まれたか言ったでしょ。学校に潜む怪奇は生贄にされた彼らの泣き声。そして私は彼らの祈りの声だよ」
眠くなるような優しい声で慰められて、はっとした。助けてくれるためにコンタクトを取ってくれたことに気がついて、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。御子は猫の姿のまま腕の中で姿勢を正した。肉球を頬に押し付けられてビクッと肩を震わせる。猫の顔がドアップになったかと思うと口にちうと吸い付かれた。一瞬の出来事に困惑していると、満足げな顔をした猫は鼻を舐めて右手を挙げた。
「これで怪奇に呑まれずに済むよ。憎念と善念は打ち消し合うからね」
「そうなんだ、よく分かんないけど良かった」
猫と対面して喋ったことで、御子のおかげで少しだけ猫嫌いが収まった気がした。御子は猫の姿で基本公園にいるらしく、いつでも会えると教えてくれて少しだけ不安な気持ちが晴れた。鞄を握り直して公園を出ようとすると、公園の前で帆夏が立ち尽くしていた。
「帆夏さん、いつからそこに……」
「陽菜乃ちゃんは猫嫌いなのよ。なのに野良猫とキスしてるだなんておかしい。私の陽菜乃ちゃんを返してよ‼あなたは誰なの⁈陽菜乃ちゃん学校に来てないからおかしいと思ったら、何があったの⁉陽菜乃ちゃんはどこに行ったの⁉」
「帆夏さん、とりあえず教室戻りましょう」
普段ならあり得ないことをしている自覚はあったけれど、学校を出て来た帆夏に改めて言われると猫が猫じゃないことの異常さを強く感じた。認知症のおばあちゃんをあやす看護師になった気持ちで学校に入って、ちゃんと本物だと伝えた。もちろん理解されるはずもなく、放課後に事情を説明するから落ち着いて午後の授業を受けてほしいと何度も言い聞かせて昼休みが潰れた。
五限の授業は運悪く担任の授業だった。授業後に遅刻についてネチネチと説教を垂れる担任に体を丸めつつ、机の下でスマホでメッセージアプリをこっそり起動する。帆夏への本人確認と同時に昼のことを早めに共有しておくべきだと思い、人のいる場所では話しづらい内容のため、旧校舎の教室で話すことがあるとグループチャットで送った。
既読がついて、藤森が即レスを返してくれた。表情を変えないままバレないように指を動かしていたら反省しているのかと詰められた。思い出したように言い訳を使う。
「いや実は、今日の十時に父が帰ってくる予定だったんです。ゆっくり寝ていたのは本当なんですが、父を迎えてくれって言われていたのでどのみち遅刻予定でした」
「朝帰り、か。まあ、天久にもいろいろ事情があるのだろうな、失礼した」
何か勘違いをされた気もしないが、とにかく無事に切り抜けられてよかった。心の中で父に平謝りをしておいた。六限も無事に過ごしてHRの後、足早に教室を出ようとしたら廊下で担任に止められた。
「天久。あまり無理はするなよ。何かあったら言ってくれ」
「はい、ありがとうございます……」
絶対面倒臭い勘違いをしているが、母に伝言が行く前に適当なところで話をつけないと怒られてしまうことは明白だった。明日にでも訂正しようと決めてとりあえず旧校舎へ向かった。
怪奇調査同好会の全員が教室に集まったところで、昼に会った猫、もとい御子のことを話した。一部の録音音声を流しながら、怪奇と御子の正体と、レッドムーンの日に何が行われていたかについてを話す。各々の反応は小さかったが驚いているのがわかった。すべてを話し終えると、誰かのため息が複数聞こえた。
「……まず、情報共有ありがとう。兄が自殺したのは、生贄にされると情報が残せないことが分かっていたから先に亡くなったのだろうな」
「きっとそういうことだと思います」
「陽菜乃ちゃんが猫に触れていたのは、御子ってわかったからなの?ただの猫じゃないから触ったの?」
「えっとそれは、話に夢中になって気がついたら抱き上げてて」
「そうだったんだ。昼は散々ひどいこと言ってごめんね。でも私本当に心配したんだから」
「分かってます。心配してくれてありがとうございます」
うちわを仰ぎながら、間芝は話を戻した。「天久さんが生贄に選ばれるって言ってたけど大丈夫なの?何か手を打てないの?」という質問に、多分大丈夫だと答える。御子曰く、唇を重ねることで
話が済んだところで教室を後にする。最近はほとんどの同好会は活動をしておらず、旧校舎に頻繁に出入りしているのは怪奇調査同好会のみだった。
だから、無邪気な声の主が指していたのは陽菜乃たちのことだと思った。
「そこのおにーちゃんおねーちゃんたち、ボクと遊んでくれる?」
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