越谷の思い
兄の康之は十一月八日に亡くなった。康裕はその一週間前の一限に体育で足を挫いていた。親御さんに連絡を入れるという保健室の先生に、じゃあ兄に連絡してくださいと伝えたら一時間後に来てくれた。大した痛みではなかったけれど真っ青な顔で駆け付けてくれた康之を見て嬉しかった。急いできたのか髪型がくずれていたけれど、その時の康裕にはとてもかっこよく映った。「痛いか、大丈夫か」そう言って何度も足の様子を気遣う兄が照れ臭かった。普段は弟に対してぶっきらぼうなところもあったけれど、本気で心配してくれていることが伝わった。
一人ではうまく歩けなかったため康之に連れられて病院へ行って検査をしてもらった。少し腫れていて、薬をもらいテーピング方法を教えてもらって一緒に帰った。捻挫した原因は相手のボールを無理矢理足で奪おうとしてつんのめり転倒したことだった。恥ずかしくて言いたくなかったけれど、責めるつもりのない優しい瞳に安心して体育での一部始終を説明した。そして理詰めで叱られた。理系で冷静沈着な康之は康裕と違って怒るということをあまりしない人だった。怒りながら説教する大人とはまた違った怖さがあって反省させるに足る道理を突き付けられた。
兄のことは好きだった。だからこそ、なぜ死ぬ必要があったのか、何を悩んでいたのかが分からなくて受験勉強に全く身が入らなかった。それでも兄を追うために勉強をしてA判定が取れるまでの日々を積み重ねた。兄が死んですぐは、兄の部屋に入ることが怖くて自室に引きこもっていた。けれど、高校に上がってからはこれでは兄に申し訳が立たないと思い、部屋を開けて何かが残されていないかと辺りのものを退かして物を散らかした。しかし康裕に残された遺書のようなものは見つからず、虚しい中で同好会を立ち上げ直した。先生からは同情や憐みの目を向けられて教室を借りることは容易かった。
同じ”視える”人間を探すというのは効率が悪く、常に宣伝をすることしかできなかった。新一年生が入学してくるオリエンテーションで説明をしてビラ配りを頑張った結果、山本と間芝と藤森が入ってきてくれた。入会してくれた時の思っていた反応とは少し違っていた。表向きの活動にしていた内容をしながら仲を深めていく過程で、純粋に面白そうだと思って入ってきてくれたことがただ嬉しいと思った。
一人静かに兄のことを忘れられないまま、良い話として締めくくろうとしていたところで転校生だという天久が同好会の教室に入ってきた。最初は迷子かなんかだと思っていたが、彼女こそずっと求めていた同士だったとは夢にも思わなかった。同じように調査に身を乗り出してくれる同士ができたことで、今まで静かに願ってきたことがようやく叶った。兄の作り上げてきた怪奇調査同好会の本来の活動を取り戻せたことが本当に嬉しかった。
テスト勉強にキリがついて、身体を解すようにぐっと伸びをした。ふと、久々に兄の部屋に入ろうかと思い立って椅子から立ち上がった。兄の部屋は自分の部屋の向かい側にある。兄の部屋の前に立って、ゆっくりと深呼吸をする。
ドアを開けると、目の前に勉強机が置いてあってその左横は学校関連の棚になっている。そのちょうど向かいに大きな本棚が置いてあり、下には分厚い図鑑や昔の本などが並んでいた。窓を開けたら兄の匂いが無くなってしまう気がして、自分ではこの部屋の窓を空けた事がない。先日の藤森の言葉を思い出して、改めて部屋を見渡した。もし本当にヒントのような何かが置いてあるとしたら、どこに置くだろう。棚の上や机の端など、細かいところを見ていくと、机の隣にある同じ高さの木材質の棚に兄と自分とのツーショット写真が目に入った。兄が高校一年で、康裕が小学六年の頃に野球場で撮った写真だった。隣町の広い公園で主催されるいろんな人が集まるクラブで、お互いにいい成績が出せた大会のとても楽しかった思い出を昨日のことのように思い出す。
「兄さん……」
思わず写真立てを強く握りしめた。そのまま棚に戻そうとして、何の気なしに写真立てをひっくり返してみた。そしてその手が止まる。康裕は思わず二度見した。
『康裕へ。
忘れない、三ヶ月の向こう。』
見間違えるはずがない、兄の筆跡だった。角ばった堂々とした字で書かれた自分の名前を見て、胸がいっぱいになった。
なぜ気がつかなかったんだろう。一番大事な思い出のものなのに。兄が大好きだった康裕を愛してくれた康之の大切な物だったのに。
まるで兄がそこにいるようだった。見つけた温もりを抱えて、唇を強く噛みしめた。
――――――
「これを、見てくれ」
今日は藤森が二年に生物、陽菜乃に物理を教える日だった。テスト勉強会は青春のせの字もなく、塾のような勢いで勉強会が進んでいった。中間テストは期末テストよりかは教科が少ないこともあり、それぞれに担当をつけて教えられるところを学年関係なく教え合うというやり方で回していた。今回のテストの唯一苦手な教科と向き合う時間に陽菜乃は知恵熱を出しそうになりながらも、頭に煙がでるギリギリまで藤森に解説をしてもらっているところだった。文系の越谷は一人課題を終わらせていたらしく、勉強途中に小さな紙を取り出してみんなの前に差し出してきた。
集中している陽菜乃と藤森は待ったをかけたが、その紙を覗き込んだ間芝は仰天した声を上げた。うるさい音量に仕方なく首を動かすと、その紙には『康裕へ』と書かれていた。
「越谷さん、これって」
「お兄さんの見つけたんですか」
「これってもしかして何かのヒント的なやつ?」
各々の反応を見届けた越谷は意味ありげに頷いた。なんとなく放課後に入った時からそわそわしていたと思っていたが、とんでもない隠し玉をもっていたとは思わなかった。陽菜乃がそっとテキストを閉じると間芝たちも倣ってノートやテキストを閉じた。四人はテスト勉強よりも越谷に注目していた。四人の視線を受けて、越谷は嬉しそうに意気揚々と話しだした。
「昨日見つけたんだ。兄の部屋にあった、木材質の棚に俺と兄のツーショットの写真立ての後ろに貼ってあったんだ」
「エモ!やっぱりお兄さん何か残してたのね」
「ああ。おそらくこの”三ヶ月”は亡くなる三か月前を指していると思う。亡くなったのが十一月の八日だから八月八日に何かしたのかと思ったんだがメモには何も書かれていなかった。夏休みだから活動も限られているはずなんだがな」
間芝が紙を手に取って考える。紙質的に何も隠されてはいないと思うのだが真面目な顔で蛍光灯に当ててそっと机に戻した。そして隣の藤森の肩を揺らす。
「これ偽札やで!印キラキラ光らへん!」
「当たり前だろ、そもそもこれお札じゃないし」
「印ってなんのことだ?」
「たぶん間芝の冗談です。文字以外になんも書いてないし」
微妙なボケとメッセージの謎に越谷が反応した。こんな時におどけられる間芝を半眼で眺める。ふと、一時的に保管している猫についていた紙が普通紙よりも変な触り心地をしていたことを思い出す。越谷も印で気がついたのか、丸い小さな缶を棚から取り出した。蓋を開けて、花壇の怪奇を調査しようとしたときの副産物を掲げた。横に回して一人一人確認したが模様は光らず角度をつけても何かが出てくるような仕掛けはなかった。
最後に触った藤森があっと声を上げた。兄から弟へのメッセージを綴った紙と重ねると、ぴったりと同じ大きさになっていた。縦七センチ、横八センチの紙は存在しない。紙質は異なるが同じ人物が意図的に切ったと推測できた。はさみで切ったようなガタガタはなく、元々の用紙のような自然な形をしていた。カッターという言葉が出てきて、兄がスライド式のぺーパーカッターを持っていたと越谷が証言した。
「ってことはこの猫に託された紙もヒントになるんですかね」
「可能性はあるな」
「絶対そうじゃない?なんか意味ありげだもん」
そのままヒントの謎解きが始まりそうになったが、タイミング悪く最終下校のチャイムが鳴った。続きは明日しようと缶の中に二つの紙を入れて棚に仕舞った。その様子を見守る亡霊が人の形をしていることに陽菜乃は目を見張った。昨日までは輪郭は丸くぼんやりとしか見えていなかったはずなのに、急にしっかりと輪郭が見えるようになった。ゆったりと帰宅の準備をして順番に教室を出る。のろのろとテキストを鞄に入れて、最後に電気を消す直前に窓を見ると亡霊の姿は消えていた。
「越谷さん、なんか肩が重いとか憑かれてる感じしませんか?」
「なんかいるのか。背後霊とかか?」
「やっぱり自分の後ろは気づかないんですかね。あ、写真撮りますね」
越谷に許可をもらって、スマホのレンズを同好会の教室の窓が映るようにカメラを向けた。すると霊はこちらに気がついたのか横にスーッと移動して窓から見えなくなってしまった。やはり悪い霊なのだろうか。窓を思い切って開けると左の下の方に人影が見えた。今日も人の形に見えている。影の靄が少し晴れるというのはどういう時に起こりうるのか、今度父が帰ってきたときにでも聞いてみようかと考え事をしながらも仕方なく窓を閉める。スマホをしまうとその霊は何事もなかったかのように現れた。今のところ害は与えられていないと思うが陽菜乃が怪奇調査同好会に来た時からずっといるため、不安の種が大きくなってきている。再度スマホを窓に向けると霊は逃げた。
「どうだ、撮れたか」
「いやそれが……カメラ向けるといなくなるんです。窓の外に隠れちゃって」
「なぜだ?人見知りなのか」
「知りません。越谷さん、何か身に覚えないんですか」
「さあ?わからん」
横では机をくっつけて静かにワークやら提出する課題を解いていた。今日の担当は陽菜乃なので先輩達はできるだけ自分で解けるようにと格闘していた。それでも二年の範囲は問題のジャンルと使う式が分かれば答えを導くことは容易かった。陽菜乃は授業を聞かずに課題の内職を進めているためテスト四日前の今日には全てが終わって暇だった。越谷もまた頭が良いらしく教える必要がないため、代わりに今まで気にしていた亡霊の疑問について尋ねていたところだった。写真に撮って見せたら何かわかるかと思ったが、これでは打つ手なしだった。彼に悪いことが起きないことを祈って合掌しておく。テスト直前ということもあり怪奇調査はストップしているが、最終下校前の20分ほどを謎解きの時間に充てることで妥協していた。
「陽菜乃ちゃーん、もう無理だよ~できない」
「惜しいですね、ちょっと休憩してから始めますか?」
「うん!充電してもいい?」
「いいですけど、ちょっ急に抱きしめないでください」
「ハグってストレス緩和に効果あるんだよ」
「何で私なんですか」
「そこの二人に軽率にハグしてたら好きになっちゃうでしょ、私のこと」
同好会の唯一の女性枠だから何しても良いと思っているのだろうか。強く腕を回されて苦しい。非力な陽菜乃は抜け出すことを諦めて周りに助けを求めた。勉強の手が止まった二人は恋バナを始めていた。遠回しに帆夏のことは興味がないと言っていて笑ってしまった。聞き専で参加していると急に話に巻き込まれた。
「天久さんは好きなタイプとかあるの?」
「恋愛よく分かんないです。タイプとか言われても……」
「じゃあかっこいいと思う芸能人とかは?」
「芸能人も分かんないです。あとファザコンなんで」
「えーっ!陽菜乃ちゃんお父さん好きなの?この時期に?」
至近距離でデカい声をだされて鼓膜と心臓にヒビが入ったかと思った。出張で家にずっといるわけじゃないから未だに掴めないこともあるし、顔は良い方だと思う。家にいることが少ない分母親よりもしっかり愛情が感じられるから好きなのだろうと思う。私はお父さん大っ嫌い!と叫ぶ帆夏にやっと解放されて話題が親の愚痴に移った。勉強の勉強を見ながら自分への復習を兼ねているとすっかり時間が過ぎていった。キリがついたところで勉強時間を終えて、越谷が大事に保管している缶を取り出す。藤森はすっと手を挙げた。それに帆夏が追随してきた。
「ヒントってこれだけなのかな。他に何か紙があるなら探した方が良いんじゃない?」
「それは私も思うけど、どこにあるか分かんない手前とりあえずこっちで分かること整理した方が良い気がする」
五人の真ん中に紙を二つ置いて話を進める。越谷は三か月近くで行った怪奇調査のメモをまとめてきたらしく、それを読み上げた。調査場所は全部で六つあって、しらみつぶしに調べることもできなくはないが夏休みに入ってしまうことが懸念された。帆夏は読み上げた三ヶ月間の調査メモを手繰り寄せてヒントになりそうな小さな紙と見比べる。調査メモは簡潔に箇条書きにされていた。
・図書室のピアノとオルゴール
・夜にグラウンドで走り回るなにか
・風の音に紛れた手裏剣
・ネットに挟まれたてるてる坊主
・夜の屋上
・廊下に響く足音(色んなとこで目撃)
陽菜乃は三ヶ月で六つしか調査できていないことに引っ掛かりを感じていた。実際に自分たちでいくつか回ったけれど、そこまで深掘りできるものはなかった。ここに書いていないことで別件の調査内容があったのではないかと伝えると、越谷も同じように考えていたらしくそれが分からんのだと困ったように唸った。
「みか、づき……みかづき?」
「どうした山本。みかづきって何だ?」
「三ヶ月が期間じゃないなら、三日月とも読めそうだなーと思って」
「三日月だとして関係ありそうなのは屋上とか?」
「廊下の足音もそうじゃね?」
あまりにも情報が少ないため帆夏の意見を信用して、テスト後に夜の学校に忍び込むことを決めた。翌日からはテスト勉強会だけになり、中間テストの焦りは一時的に怪奇への関心を薄れさせた。
「天久、前言ってた窓のやつってずっといるのか?」
「そうですね、私が怪奇調査同好会の教室に入った日からいますよ」
「じゃあその教室の地縛霊みたいなものなのか?」
同好会メンバーでの帰宅途中に越谷が不安げに前の話について振ってきた。その霊については未だに分からないが、陽菜乃は口元に手を当てて考え込む。良い霊か悪い霊か微妙に判別が難しく何とも言えない状態だった。話を変える間芝に四人の足が止まる。
「ところで、この同好会って名前いつまでこうなんですか?」
「それ思ってた。先生に部活申請しに行く?」
「でもめんどくね?うちの学校同好会と研究会はあってないようなもんだしさ。予算もいらないし」
越谷は真顔で宣言した。「他に一二年生が入らなければ同好会で問題ない」と。どこかに宣伝する機会は入学時期のみで、その時には俺がいなくなるから申請しようがしまいが何も変わらないという道理にそれもそうかと納得してしまった。名簿には陽菜乃の名前が載っているから特に問題はないらしい。同好会のままでいいというみんなの意見によって名称は変わることなく定期テストが始まった。
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