エピソード2
机の上には、
彼がプレートを運んでから、俺――
だが、それは気まずさではなく、俺が口を開くのを彼が待っている、そんな空気だった。
「昂。今まで……」
ようやく俺が言葉を発したとき、
「誠……」と昂がやわらかな声で応じた。
俺は麻婆豆腐をぐっと口に運ぶ。
辛味が舌にビリッと走る。
「辛ッつ!」
「ふふふ……今日も山椒、しっかり効かせてるよ」
昂が少し得意げに笑う。その表情を見て、思わず俺も笑みを返す。
「昂。俺はいまだに分からないんだ……。なぜ了は消息が分からなくなったのか。いや、それも――お前にさえ言わずに」
俺の言葉に、昂は短く頷いた。
「うん。そうだね……」
「……あれから、夢に了が出てくるんだ。俺の前に立って、何かを伝えようとしてる。でも声が聞こえない。そして、悲しそうな顔で消えていくんだ」
スプーンを机に置き、俺は頭を抱えた。
「そうね。了は……本当に、どこに行ったんだろうね」
昂の顔からも、さっきまでの笑顔は消えていた。
ふと視線をあげると、リビングの奥にあるベッドが目に入る。
ベッドサイドには、小さな鉢に入ったサボテンが置かれていた。
「……あのサボテン?」
昂が視線を送った先、窓辺の光に照らされて影を落とす小さな鉢。
「あれは了が大事にしてたやつだ。“麗蛇丸”って名前らしいよ。花は咲かない種類らしいけど――」
昂は少し笑って、どこか遠くを懐かしむように目を細めた。
「了は言ってたよ。『咲くかどうかなんて、決めるのは俺じゃないだろ?』って」
その言葉が胸にじんわりと染み込む。
……らしいな。
思わず俺も、ベッドサイドのサボテンを目で追っていた。
昂の言葉に、ふと記憶が遠くへ引き戻される。
俺とは違い、いつも礼儀正しく、穏やかで、誰にでも優しかった。よくモテていたし、教師にも目をかけられていた。俺とは正反対まではいかないが、ふたりでつるんでいると周囲からは意外そうな目で見られていた。
だが、俺たちは自然に一緒にいた。
放課後、よくパソコンを持ち寄ってアプリやサイトを作ることに熱中していた。
「誠、こんなの作ってみた。ちょっと見てよ」
了が作ったアプリを起動する。
「ん?これ、なんのアプリなんだ?」
「ふふふ……ふたりだけの世界が作れるアプリだよ」
「世界?」
「そう。耕して、家を建てて……誰もいない場所に、自分たちのルールを置いてくんだ」
あの頃の了は、本当に楽しそうだった。
大学も同じ学科へ進み、やがて同じ会社に就職。
システムエンジニアとして、また並んで机を並べる日々が始まった。
そして、ある大型プロジェクトの開発メンバーに抜擢されて――その頃から、了の様子が少しずつ変わり始めたのだ。
「了は、本当はもう……」
昂が言いかけた言葉に、俺は静かに首を振った。
「いや、あいつは大丈夫だ。絶対。……俺が探し出す」
いたたまれない空気を振り払うように、麻婆豆腐を口いっぱいに頬張った。
「うん、僕も信じてるよ。だって、誠がそう言うんだもの」
昂の顔に、少しだけ笑みが戻った。
――――そう、こんな別れ方なんて絶対に許さない。
……俺が、絶対に探し出す。
沈黙が一瞬落ちたとき、どこか遠くで小さな爪の音が床を鳴らした。
「……シロ」
俺がそっと名前を呼ぶと、リビングの奥の影からシロがのそのそと現れた。
ふわふわの白い毛並みに覆われた小型犬――ビションフリーゼ。
了が大事にしていた犬だ。
俺の足元まで来て、シロは静かに丸くなる。
吠えることはほとんどない。普段から家の中で過ごすのが好きな、穏やかな犬だ。
その姿に、自然と笑みがこぼれた。
「了のことだから、犬の名前も“ビット”とかにすると思ってたよ」
ふと、過去のやりとりが浮かぶ。
───
「ビット、とかって名づけないんだな」
高校時代、了の家に初めてシロがやってきた日。
俺がそう言うと、了はソファの背にもたれながら笑っていた。
「ふふふ……なんでも結びつけるのは、よくないよ。そのままシンプルなほうが、時にはベストなこともあるんだ」
シロはふたりの間で丸まり、あの時と同じように静かに尻尾を振っていた。
───
シロを見ていると、了の声がふいに重なるような気がした。
生きているものは、ちゃんとそこに存在し続ける。
なのに、了だけが――まるで、世界からふっとこぼれ落ちたように、どこにもいない。
「了、シロは……元気にしてるよ。よく食べるし、俺にもすっかり懐いてくれた」
昂が言いながら、シロの背をやさしく撫でた。
「そうか……ありがとな、昂」
俺はシロの柔らかい毛に触れながら、目を閉じた。
まだ、終わってない。
シロがここにいて、了の痕跡がちゃんと残っている限り――
あいつは、まだ戻れるはずだ。
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