××しやすい宇佐木くん

鈍野世海

第1話 大神先輩と宇佐木くん

 宇佐木は大神先輩と付き合っている、らしい。

「大神先輩、隣町にジェラート屋さんできたんだって」

「この間、駅前でチラシもらって。味の種類が豊富なのがうりなんだって。写真も載ってたけど、すごく美味しそうだった。あ、大神先輩が好きな苺味もありそうだったよ。チラシ持ってくればよかったなぁ」

「……」

「本当はそのまま遊びにいっちゃおうかなって思ったんだけど。やっぱり、先輩と行きたいと思って。ね、今度デートでここ行こ」

「……」

「あ、そういえば——」

 昼休み。園芸部の仕事でビニールハウスで育てている花々の手入れを終えた帰り、どこからともなく覚えのある声が聞こえた。

 辿って着いたのは、中庭から死角になっている、校舎裏。覗き込むと、そこには二人の男子が並んで凭れていて、その片方は俺のクラスメイトだった。

 1年A組所属、宇佐木うさぎよる。頭からふんわりと垂れた、彼の髪と同じ薄茶色の兎耳が印象的な、獣人うさぎ族の男子。

 我が高校に通う人間、獣人はおよそ半々だ。獣人の種族は数多だが、その中でもうさぎ族というのは小柄で中性的な部類で、宇佐木も例に漏れない。

 全てが平均な人間男子である俺と話すときも仰いでもらわなければ、目が合わない。面立ちはくりっとした大きな黒い瞳、ほんのりと色づく頬を持っている。

 秋口になって宇佐木が羽織りだしたクリーム色のカーディガンは、将来を見越して買ったというのもあってか、袖がいくらか撓ませたらようやく指先が出るくらいに余っている。俺がその状態で着ていたらみっともなくて仕方ないだろうが、宇佐木の場合は可愛らしいというか、あざとさを感じる。

 そんな彼の隣に座っているのは、大神琥珀おおかみ こはく先輩だった。

 ぞっとするほど美しい面立ちは表情に乏しく、色白の肌に瞳の青みも相まって冷淡な印象をもたらす。灰色の髪は頸までを覆い、獣人の狼族らしく三角に立った立派な耳を持っている。

 狼先輩は一学年上の先輩。そして、宇佐木の恋人……らしい。

 入学当初席が前後だったことをきっかけに、俺と宇佐木はわりとよくつるんでいて、他愛ない雑談の中で本人から大神先輩と付き合っていることは聞いていた。同性愛も、異種族恋愛も珍しくはない世の中ではあるのだが。しかし、なんというか。

 狼族というのは大抵、逞しく凛々しい容姿を持ち、才能にも秀でて、その天賦で多くの他種族や異性を自然と圧倒し魅了する。総人口で見れば狼族は希少な方なのだが、著名人の中にはその姿をちらほら見る。

 大神先輩も、恵まれた背丈、均整のとれた体型、大変整った面立ちという素晴らしい容姿を持ち、噂によれば学業成績も常にトップクラスなのだとか。

 華と才、加えて孤高のオーラを持つ大神先輩が、一度廊下を歩けモーセのように道がひらけ、瞳を溶かし頬を染める男女で溢れかえる。間違いなく、この学校の有名人にして、随一のモテ男と言えるだろう。

 別次元にいるようなその人と日常を共に過ごしている友達が恋人なんて。最初に聞いたときは、ちっとも想像できなかった。そして正直なところ、今でも信じ難いと思っている。

 ふたりが不釣り合いで仕方ない、と思っているわけではない。恋人であるという話を聞く以前からたまに、学校内で宇佐木と大神先輩が一緒にいる姿は目についていた。いつどこでもにこにこと話しかける宇佐木に対する大神先輩の態度は決まって、ドライを通り越して無だった。宇佐木曰く、ふたりは高校以前から面識があるらしいが……その空気感は恋人どころか、友人と呼ぶのさえ怪しいように思えた。

 だから、今日、昼休みをともに過ごしている姿を見て少し驚いた。こうして人目を憚って逢瀬をするような間柄だったのか、と。

 でも。ほんの、一場面しか見ていないけれど。ふたりきりの逢瀬である今もいつも通り、宇佐木が一方的に話しかけるばかりで大神先輩は無反応だった。

 大神先輩は一体、どういう気持ちで宇佐木とつるんでいるのだろう——。

 校舎から昼休み終了五分前を告げるチャイムの音が響いた。宇佐木と大神先輩が立ち上がるのを見て、俺も教室に戻らねばと思ったが。

「先輩」

 宇佐木の、甘さを帯びた声がそっと響いた。

 それに、俺はまた、つい、校舎の陰にいるふたりをちらりと覗いてしまう。

 だいぶ余っている袖から覗く宇佐木の華奢で白い手が、大神先輩のカーディガンの裾を掴んでいた。

 宇佐木はこちらに背を向けているから、その表情は見えない。

 宇佐木の向かいに立つ大神先輩はそれを一瞥するものの、何の言葉も発さなかった。ついには、宇佐木が諦めたようにそっとその手を離すと、大神先輩が、宇佐木の横を通り抜け、さっさと離れていく。

 俺は慌てて、ただの通りかかった生徒のふりをして、その場を離れる。その間際に見た、大神先輩に置いて行かれて間立ち尽くしていた宇佐木の後ろ姿が脳裏に濃く焼き付いていた。

 もともと垂れている耳が、心なしかしょんぼりとした印象を齎して。俺の方がなんだか胸が苦しくなってしまった。



「宇佐木ってさ、本当に大神先輩と付き合ってるの?」

 放課後の掃除中、クラスメイトのひとりが宇佐木にそう投げかけた。

「付き合ってるよ」

「その質問何度目?」と宇佐木が箒で掃き掃除をしながら呆れているように、この話題はもう何度も繰り返されている。しかし、俺も投げかけた男子の気持ちが分からないでもなかった。

「だって、さぁ」

「だって、なに」

「お前と大神先輩が一緒にいるところはたまに見るけど、なんか」

「お前だけが恋する乙女みたいっていうか?」

「ぶっちゃけ、相手にされていないように見える」

「そうそう、それが見てて可哀想になんだよね」

 同じ掃除当番の男子たちが顔を見合わせながら口々に言っていく。いくらか揶揄の声色が混じっているのはさておいて、言葉だけを取れば俺も概ね同じ考えだった。なまじ、あの昼休みの光景まで見てしまったから。

 宇佐木は彼らをじとっと睨んでから、ため息を吐くと。

「本当に、付き合ってるもん」

 この状況でその答えは余計拗ねているように聞こえてしまう。と思ったのは、俺だけじゃなかったようで、男子たちは顔を見合わせ掃除の手も止め、ちょっと面白い噂話に興じるようにさらに言葉を重ねたり、宇佐木に疑念を投げかけたりする。

 宇佐木は最初のうちは受け応えていたものの、やがて飽き飽きした様子で箒をロッカーに片付けると、鞄を肩にかけた。

「ゴミ捨て、よろしく」

「あ、宇佐木、ずるいぞ」

「口ばっか動かしてまともに掃除してなかったやつらがやるのは当然でしょ。じゃ、また明日」

 くるりと身を翻し、宇佐木は教室を出ていく。なんとなくその姿が気になってしまって、俺も掃除道具を片付けると他の男子たちの「お前まで!」と責める声を背に、宇佐木を追った。

「宇佐木」

「なに」

「えっと」

「君まで、俺が先輩に相手されてないって言いたいの」

「いや、その……心配なんだ。宇佐木」

 そう言うと、宇佐木が足を止めた。

 こちらを振り向いた宇佐木は、眉を下げて微笑む。

「先輩は俺に付き合ってくれているわけでもなければ、俺を相手にしていないわけでもないよ」

 宇佐木が言った。

「本当に」

 静かなその念押しが、果たして自分に言い聞かせているのか、それとも根拠があるものなのか、俺には分からなかった。

 そうしてそれ以上の言葉を交わせないままに玄関にたどり着くと、宇佐木は二年の靴箱の方へ向かう。

 大神先輩との待ち合わせだろう。帰り際、たまに見かける光景なのだが。

「あんた、大神くんと付き合ってるとか言ってる一年だよね」

 上級生と思しき女子三人組がやってきた。頭に生えている耳の特徴からしてそれぞれ犬、猫、鼠の獣人らしく、いずれも制服を着崩し化粧をし、だいぶ派手な容姿をしていた。

「大神くんに付きまとうのやめてくんない? 大神くんが迷惑してるって気づいてないの?」

「付き合ってるとか言いふらしたり、帰りに待ち伏せしたりさぁ。恥ずかしくないわけ」

「身の程わきまえたら? 大神くんまじかわいそぉ」

 ……モテるというのも、大変らしい。

 おそらくだがきっと別に大神先輩と仲がいいわけではない……彼の性質を鑑みるとむしろ相性が悪そうなのに勝手に彼の感情を語って厄介な絡み方をしてくる彼女たちに、宇佐木はちっとも臆する様子は見せなかった。どころか、大仰にため息を吐く始末。

 それに高飛車そうな猫族の女子がひくりと眉を釣り上げる。

「なに、その態度。あんた自分が相当痛いやつって自覚ある?」

「ないです」

 きっぱりと応えた宇佐木は、「でも、まぁ」と続けた。

「分かりました。今日はまっすぐ帰ります。ただ、そうしたところで」

 そして、うさぎ族の少年は、にっこりと微笑む。

「大神先輩と一緒に帰れないと思いますよ」

 馬鹿にされたと思ったらしい猫の女子が顔を赤くして、きーっと怒りを露わにする。それを他の女子たちが「妄言でしょ」などと言って宥め出す。

 火を焚べた張本人である宇佐木は、そんなやりとりは興味ないとばかりに颯爽と一年の方の靴箱に向かい靴を履き替え、玄関を出ていこうとした。が、間際で「あ」と踵を返し、やりとりを呆然と傍観し立ち尽くしていた俺の方に近づいてきた。

 手招きされ、首を傾げながらも顔を寄せると、彼はひそめた声で耳打ちした。

「もし、なにかあったら。大神先輩に、俺は駅前のマックで待ってるって教えてあげて」

 なにかあったらってなに。教えてあげてって。

 瞬時に疑問が脳裏を駆け巡るも。

「よろしくね」

 宇佐木はにっこり微笑むと、今度こそ玄関を出ていった。

 勝ち誇った様子で化粧を直し始めた女子たちを大神先輩が選ぶことはないとは思う。だが、だからといって……先に帰った宇佐木のことをわざわざ探すだろうか。昼休み、宇佐木の言葉にひとつも返事を返さなかったあの人が。

 人と話すことがあまり得意ではない俺にとって、入学当初、席が前後ということだけが理由だったとしても声をかけてくれた宇佐木は、恩人のような存在だった。彼のおかげで、他のクラスメイトとも話せるようになったし、宇佐木は裏表なくて、明るくて、いいやつだ。

 そんな宇佐木が、一途に熱心に思いを寄せている相手が……昼休みやら放課後を一緒に過ごしてはくれるらしいものの、誰がどう見ても宇佐木を相手にしているように見えないような人。

 昼休み終わりに、大神先輩の裾を掴んで、そっと話した宇佐木の手を思い出す。彼の恋の終わりに、幸福があるようにどうにも思えなかった。中途半端しないでさっさと振ってあげてよ大神先輩、なんて気持ちを抱いてた。

「あ」

 女子たちが上擦った声をあげ、あたりの気配が色めきだす。大神先輩が玄関にやってきた。

 相変わらず孤高な雰囲気にひんやりとした麗しさを持っている。

 大神先輩は周囲の目をちっとも気にせず二年の靴箱に向かった。そこで待ち構えていた女子三人組が、先までは徒党を組んで後輩を攻撃していたとは思えないしおらしさを持って大神先輩に声をかける。

「大神くんも今帰り?」

「ね、あたしたちと一緒に帰らない?」

「ずっと気になってたんだけど、クラスが違うでしょ? 話しかける機会がなかなかなくて……」

 大神先輩はそのどれひとつにも答えず——こちらを振り返って、目があった、気がした。

 長い足で大神先輩はこちらに近づいてくると、どうやら目があったのは気のせいではなかったらしく、俺のすぐ前に来て見下ろした。

「宇佐木は」

 大神先輩の声を聞いたのは何気に初めてかもしれない。声さえも低く麗しいのか。じゃ、なくて。それよりも。

 今、なんて——。

「お前、同じクラスだろう。宇佐木は、まだ教室か」

「宇佐木くんなら、さっき帰ったよ」

 猫族の女子が、口を挟んだ。

「……帰った?」

「ねぇ、それより——」

「なにかしたのか」

 大神先輩が、女子たちの方を向く。その群れは瞬時に青ざめ、ひゅっと息を呑む音が響いた。

 俺も、大神先輩が顔を動かす直前に、見てしまった。ただでさえ迫力を持つアイスブルーの瞳が、氷柱のような鋭さと冷たさを宿す瞬間を。

「な、なにかって」

「あたしたちはただ」

「大神くんが困ってると思って……」

 女子たちが言葉を重ねるほどに、大神先輩の纏う空気が重く冷たくなり、灰色の髪の毛がそっと逆立つ。

 周囲には他の生徒もいたが、誰もが大神先輩の放つプレッシャーに気圧された様子で、中には泣きそうになっているものもいて、大惨劇でも起きた現場のようになっていた。

「あ、の。大神先輩」

 そんな中で声をあげれば、皆の視線が一気にこちらに集まる。もちろん、渦中の大神先輩の鋭い眼差しも、向けられる。俺は真っ向から浴びるその恐ろしい表情に息苦しさを覚えながらも、言葉を続けた。

「う、宇佐木。駅前のマックで。待っている、そうです」

 どうしようもなく上擦ってしまう声で、どうにかそう言った途端。大神先輩の険がにわかに晴れた。そして大神先輩は颯爽と靴を履き替えるなり、玄関を出ていく。

 その背を、その場にいた誰もがしばらく呆然と立ち尽くしながら見送っていた。

 宇佐木から話を聞いて以来ずっと、心配だった。本当に大神先輩と付き合っているのか、それは宇佐木ばかりが想いを寄せる辛い恋ではないのかと。

 だが、案外そうではないらしい。そうではないことを、本当に宇佐木はわかっていたらしい。

 あっという間に遠ざかった逞しいその背中は間違いなく、宇佐木を求めて焦れているように見えた。



 とはいえ。

 それならそれでなぜ大神先輩は宇佐木にろくに構わないのだろうという疑問が俺の中に残った。

 翌朝、中庭で園芸部の水やりをしていると、宇佐木がやってきた。

 珍しいと思ったら「昨日はありがとね」とお礼を言いにきてくれたようだった。お礼を言われるようなことはしていないのだが。むしろ余計な心配をしてしまって申し訳ないくらいなのだが……しかし、せっかくだからとついでに一晩中考えて苦し紛れに出したその可能性を尋ねてみた。

「え? 大神先輩は恥ずかしがり屋なのかって?」

 ぱちりと瞬いた宇佐木は、間もなく、盛大な笑い声を上げた。

「先輩のことそう言う人初めて見た。全然、恥ずかしがり屋じゃないよ」

「おっかしー」と宇佐木が腹を抱える。

「じゃあ、なんで、先輩は宇佐木にあんな態度取るんだ?」

「あー、それは」

 宇佐木は珍しく言葉を淀ませる。

「…………から」

「え?」

 聞き取れず首を傾げると、宇佐木はふんわりと垂れた耳をきゅっと掴んで、ほんのりと染まった頬にもじもじと寄せる。

「俺が、発情しやすいから」

「へ」

 ぱちりと俺は瞬く。

「大神先輩は俺のことを愛でたくてしょうがないんだけど。先輩に愛でられると、俺、すぐ発情しちゃうの。だから、大神先輩は、我慢してくれてるの」

「宇佐木」

 と、宇佐木の背後に現れたのは、話題の人。

 大神先輩はさらりと宇佐木の腰に手を回し抱き寄せた。更に、頭一個分は下にある宇佐木の頭上に顎を乗せる。少なくともそれは、関心がない相手にする仕草でもなければ、恥ずかしがり屋ができるような仕草でもない。

「お、大神先輩。どうしたの、学校で、珍しい」

 ともすれば、宇佐木は俺よりもはるかに驚いた様子だった。その頬は先よりもあからんでいて——。

「先輩。あの……」

「……」

「あんまり、くっつかれると、俺……大神先輩」

 そう言いながらも宇佐木は自ら大神先輩に体を擦り寄せ、言葉と瞳の輪郭は蕩け、頬はりんごのように火照っていく。心なしか、あたりに蜂蜜のような甘やかなにおいが漂い出す。

 なんだか見てはいけないものを見てしまっている気がする——と、大神先輩が軽々と宇佐木を横抱きにした。

「先輩」

「一時間目、宇佐木は体調不良で休みだ」

 大神先輩が、俺を見て言った。

「いいな」

 見て、というか、睨んで。灰色の髪の毛もわずかに逆立っていた。

 手に持っていたジョウロを胸に抱きながら「は、はい」と俺が答えると、大神先輩は宇佐木を攫って去っていった。

 一人残された俺は、しばらく立ち尽くして、やがて緊張で詰まっていた息を深く吐き出した。

 なるほど、発情。なるほど、我慢……。

 昨日のあの光景を見て、大神先輩もちゃんと宇佐木のことが好きなんだなと思ったけれど、もしかしたらそれどころじゃないのかもしれない。

 そういえば。狼というのはたったひとり、番った相手のみと生涯を共にするのだったか。

 のあ二人が一時間目の時間をどう過ごすのか、つい想像しかけそうになったが、友人のそんな姿を考えるのは気まずい。なによりそれだけで馬ならぬ狼に蹴られてしまいそうな気がしたから、すぐに思考を停止した。

 俺は水やりを再開しながら心の中で「先輩俺に嫉妬しないでください寿命が縮みますから、末長くお幸せに」と祈るに留めた。

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