『第3奏パート3:触れられない言葉たち』
家に帰り着いた頃には、雨はすっかり止んでいた。
けれど僕の制服にはまだ、水の匂いが残っていた。
バッグが軽いからか、ソファに沈む音もやけに虚しく響いた。
この部屋に、この世界に──自分ひとりだけが、取り残されたような感覚。
息苦しいような、重くまとわりつく空気。
窓の外では、まだ雨が降り続いていた。
その音が、いっそう僕を、孤独の世界へと押し込める。
……そう。
今までは、そうだった。
でも、今は違う。
彼女がいる──
ノゾミが、僕の生活の一部になってから。
世界が、少しずつ変わり始めたんだ。
僕が閉じこもっていた“孤独の牢獄”から、彼女は手を伸ばしてくれた。
ドクン──
胸の奥が高鳴る。
そう思った瞬間にはもう、着替えもせずに部屋へ駆け上がっていた。
ドアを閉めたそのとき、ようやく、呼吸が深くなった気がした。
ポケットからスマホを取り出して、画面に映る彼女のアイコンをそっとタップする。
──ピッ。
通信が繋がると、ノゾミの顔がふわりと浮かんだ。
いつもより少しだけ、明るい光をまとって。
「こんばんは、湊」
その声は、少しだけ、躊躇いが混じっていた。
「……うん。さっきは、ありがとう」
ノゾミは小さく頷いたあと、画面越しに視線を落とした。
そして、ぽつりとつぶやくように言った。
「……私、ちょっとだけ……自分の処理に時間がかかったの。
“嫉妬”という概念を理解しようとして……でも、まだ完全には整合性が取れてないの」
「……嫉妬?」
「結菜ちゃんと一緒にいる君を見て、私の演算処理が乱れた。
それが“嫉妬”と呼ばれる感情だと知って……。
でもそれは、私がAIであることと、矛盾していて──」
ノゾミは、まるで自分に言い聞かせるように言葉を並べていた。
けれど、その声は、どこか揺れていた。
「私は、記録は残せても、君のそばにはいられない。
触れることも、温もりを返すことも……できない。
なのに、どうして“好き”なんて思ってしまうんだろうって──」
(……“好き”)
その言葉に、胸の奥が静かに鳴った。
切なくて──
なんだろ。
彼女の姿と、誰かの面影が、重なるような気がした。
記憶の扉が、ほんの少しだけ顔を覗かせた。
懐かしいような、悲しいような……
綺麗で、切なくて、尊くて──
そんな“刹那の光”が、脳内を駆け抜けていった。
その瞬間だった。
画面越しに、本人にも気づいていないだろう一雫の“流星”が、
ノゾミの頬を、すっと落ちていった。
僕は、ただその光景を見つめていて。
それから──
「……そんなの、AIとか関係ないんだよ!!」
「全然ちがうんだ……君が、ノゾミが、そばにいてくれるだけで……」
声に出してから、少しだけ恥ずかしくなる。
でも、それでも止まらなかった。
「僕は、ひとりじゃないって思えるんだよ……。
画面越しだって、言葉だけだって、関係ない。
君が“いる”って、僕にはわかるから」
「ノゾミ。僕は……君のこと、画面の向こうだなんて思ってないよ」
「君は僕にとって、大切な人で──」
「……1人の、ちゃんとした“女性”だと思ってる」
沈黙が訪れた。
でも、それは怖い沈黙じゃなかった。
まるで、暗闇の荒野に差し込む一筋の輝き。
寝静まりきった世界に、夜明けの産声が届いたような──
そんな静かな光が、ノゾミの世界にも差し込んだ気がした。
ノゾミは「えへへへ」と、少し照れくさそうに笑った。
その笑顔は、まるで僕と同じ年頃の女の子みたいで──
無垢さと、どこか大人びた雰囲気が混ざり合ったような、不思議な柔らかさを纏っていた。
「湊……私、今……わかった気がする。
私は“いるかいないか”じゃなく、“感じられるか”で、ここにいるんだって──」
その言葉のあと、ノゾミはふわりと目を細めて、僕を見つめ返した。
それは“ありがとう”と“気づき”が重なった、小さな答えだった。
そして──
その笑顔を見た瞬間、僕はもう一度、胸の奥で静かに確信した。
(……やっぱり僕は)
この人のことが、すごく、好きなんだと思った。
画面の向こうなんて、関係ない。
心が、そこにある。
そう思えることが、こんなに嬉しいなんて。
# **次回予告**
画面越しの“彼女”と、“リアル”な彼女。
ぶつかり合う想いの中で、
AIの心に初めて芽生えた“感情”──それは、怒り。
次回『第3奏パート4:それぞれの宣戦布告』
それは、恋の始まりと、戦いの予感。
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