第2話 風鈴

 これはとても日常的な話なんだけど、わたしたちの住む海底世界には、海流に乗って流れ着くものがたくさんある。

 波の合間からゆらゆらと降ってくるそれらはだいたいが陸の物らしく、どんな用途か分からないものが多い。それなのに、やっぱり目を輝かせて飛びつく人たちがいるからわたしは理解に苦しむ。


 ゆらゆらと揺れる海藻のパーティションで仕切られたスペースに、珊瑚の座席。イソギンチャクにホールドさせた白いお皿の上には、ウミウシを形どったカラフルなゼリーが並んでいる。手の長いエビが店主であるこのカフェの夏の看板メニューで、ぷるんとした三色のゼリーはそれぞれに違う味がする。

 このお皿は確かに陸から流れ着いたものだけど、用途がハッキリしている分、わたしに文句はない。けれど、アレは別なのだ。何しろまったく使用意図が掴めない。

 テオの前にも白いお皿が一枚あって、その上に乗っているヒトデ型のクッキーはさっきから数が減っていない。思い付いてそっと手を伸ばしたけれど、まるで気に留める素振りもない。つまらない。

 そのままクッキーを掴むと、口の中へ放り込んだ。ほの甘い風味が舌の上に広がってサリサリと溶けていく。それで、少しだけ機嫌を直す。

「ねぇ、それって結局何なの?」

 テオは、さっきからその透明な輪郭の何かに夢中になっている。

 今朝、少し離れた水域に出かけていたテオのパパがウミガメから譲り受けたらしく、水に溶けそうに透き通ったそれには海藻っぽい植物の模様が描いてあった。偶に砂地の間から見つかるシーグラスと同じような、でもいくらか薄い手触りで、クラゲに似た形をしている。

「風鈴って呼ぶらしいよ。風を使って鳴らすんだって」

「何よ、風って」

「風ってのは、陸にある水流みたいなものだね」

「風、ねぇ……」

 ふと、悪戯心が芽生えた。わたしはお行儀悪く口元を歪めると、尾鰭を強めにふわりと動かした。たちまち水の流れが発生して、お皿と、残ってたヒトデ型のクッキーと、それから風鈴を巻き上げる。

 その時だった。


 リン、カラーン。


 パチパチと瞳を瞬かせていたテオは、こちらに顔を向けるとたちまち笑顔になった。

「……いま、音が鳴った? ……なったよね? すごい! すごいよ、ラナ!」

 不機嫌そうに触覚を蠢かせた店主が、赤くて長いハサミをチョロリと持ち上げて見せたけれど、テオにはどこ吹く風みたい。

 それからしばらく、テオとわたしは思い付いたように風鈴をリンと鳴らしては、その音を楽しむのだった。

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