第2話 医師と娘婿候補

 雅が群れに合流して、数年たったころだった。

 西洋の地に辿り着いたセイに従って、夜の仕事でにぎわう街へやって来ていた。

 旅路の途中、昔馴染みから相談があるから立ち寄ってほしいと、繋ぎがあったのだ。

 隠れ家の方に先に向かったエンとの落ち合いは後回しにし、セイはその昔馴染みとの再会がてら、一緒に隠れ家に向かうつもりだった。

 まだ見た目が若いセイと雅だけでは危ないと、大柄なロンと長身のオキを従え、目的の店へと向かい、雅はそこでマリアと初顔合わせした。

「うわ、狐っ。初めて見たっ。色が完全に隠れてるじゃないっ」

「あらあら、この程度の狐で驚くなんて、マリアちゃんもまだまだねえ」

 同行者のロンが、揶揄うように笑うと、マリアはむっとしつつも反論した。

「だって、狐って言ったら、色香を駄々洩れさせて、強い奴だったら本当に国を乱してしまうほどなんだよ。知ってるでしょ、大昔の中華の話は」

「あれは、大惨事だったもの、知ってるわ。好いた者には好かれ、嫌った者は周囲はおろか、自身も嫌い切って、破滅していく。それを恐れて立ち上がった叛乱軍も、その言を心に残してつい疑った仲間も、最後は自滅して行った……あれは、力を抑えきれないのを良しとしないと言う、狐の教訓話になったようよ」

 ここは、その地からも遠い。

 だからと言って、その獣よりも高度な力を持つこの女が、安心して暮らせている、というわけでもないようだ。

「人を極端に惑わしてしまっては、目を付けられてしまう。だから程々に、目立たぬように狩りをしているの」

「それが、無難よね」

 この国は、異端者を断罪して火刑に処する風習が、根強い。

 マリアが率いる仲間たちは、娼婦や男娼として立ちまわりつつ、相手を死なせずに餌にありつけるよう、思考を巡らせて来ていた。

 それなのに、その努力をぶち壊す、おかしな事態になっていた。

「最近、男の変死が多いのよ」

「変死って……その方向の?」

「ええ。しかも、人目に付きやすい場所に捨てているみたいで……その辺りを縄張りにしている娼婦が、疑われているみたい」

 外傷はないのだから、手にかけているわけではないのは、分っている。

 だが、こうも頻繁に同じ症状の死体が放置されているのは、不自然だという事になった。

「何かの生贄にでもしているのではって、あの辺りの娼婦だけではなく、主な街の娼婦は目を付けられているわ」

「あらまあ。具合が悪いのに、誘われるままにいたしちゃって、力尽きたってだけじゃないの?」

「そう言う解釈のお医者もいるけど……全員が、二、三十歳そこそこの、若い男っているのが、ちょっとねえ」

 老人なら分かるが、若い男が一晩女を買ったところで、命が危うくなるのは、少々おかしい。

「と言うか、その男に病があったんじゃあって、逆に娼婦の皆さんを心配しないと」

「そんな心配、してくれると思う? 同じ人間とも思ってくれていない奴らが?」

 一部の変わり者の医者は、そう言う心配を口にし、しかしそれを聞く役人の連中は、戯言とはねつけているのが現状だった。

 事件に乗り出してくれるのはいいが、よそに目を向けたままの奴らに乗り出されても、収まるはずがない。

「これは、世間が忘れ去るのを待つしか、手はないと思うの」

「そうねえ。それしか、ないわねえ」

「でも、事が収まらないと、忘れ去ってももらえないでしょ?」

「そうねえ」

 マリアの真面目な言い分に、ロンはいつものように人を食った笑顔で頷いた。

 そして、続ける。

「あなた達の話だけでは、なんとも言えないから、別な方面からのお話も集めてくるわ。先に戻っていてくれる?」

 オキが無言で頷くのを見ることなく、立ち去る大きな背を見送り、セイはその場を後にすることにした。

 次に向かうのは、今夜から宿とする隠れ家だ。

 だが、その前に気にかかったことを、振り返りざまに口にした。

「ところで、何で私の方に張り付いているんだ、あんたは?」

 女二人が目を丸くする傍で、オキは呆れ顔だ。

 だが、先程まで人通りの多い場所にいたため、人の気配の変化も、ついてくる者の匂いも、二人には分かりにくかったのだ。

 ロンも、誰かがついてくる気配には気づいていたのか、理由を見つけて離れたのだが、セイはその正体までなんとなく分かっていたようだ。

 その理由は……。

「……お前、私の旦那だけじゃあ飽き足らず、父様にまで色目を使ってたのかあっっ」

 若者に猛然とかみついて来た女が、ロンの遺伝を大幅に継いだ容姿をしていたからだった。


「……」

「……反省してます、はい。今なら分かってますよ。セイが、そんな奴じゃないどころか、付きまとっているのが父親の方だって。だから、そんなに笑わないでくださいよ」

 盛大に噴き出して爆笑する水月に、居心地の悪い思いでユメはそう言い訳した。

 その時期、ユメの旦那であるリョウが、頻繁に家を空けるようになり、不義を疑っていた上、父親まで仲がよさそうにしていたのを見たための襲撃だったのだ、と言う説明だったが、突拍子がなさ過ぎて、笑いが出る。

「背丈的にも、女には見えなかっただろう? あの時代の女は、どの国でも小柄だったはずだ」

「でも、私と同じくらいだったし……まあ、雅と並んでたから、凹凸の違いがあって、男だとは思ってたけど……」

「なら何で、誘惑したのが雅の方じゃなく、セイの方だったんだ? その頃から、色気は皆無だったのか、この子はっ?」

「リョウは、私と子供を儲けるまでは、女を相手にしないと約束してくれていたんです。雅が色気皆無だからって理由じゃ、ないですっ」

 不味い、笑い死ぬ。

 笑い上戸ではないはずなのに、こらえきれず腹を抱えて笑う父親を、雅は冷ややかに見つめている。

「……悪かったですね、色気が皆無な娘で」

「うーん、これは、酷い。実の娘の、色気のなさを嘆くでもなく、大笑いって。まあ、娘を襲う、クズな父親よりは、大分まし?」

 優しい声と、楽し気な声の会話で、笑いが引っ込んだ。

 残った笑いを無理に咳払いで押さえつけ、水月は必死で取り繕いの声を出した。

「な、成程、そう言うわけで、セイに突っかかったのが、お前さんとの出会いだったわけか」

「……はあ。あの時は本当に、申し訳ない勘違いをしました。あの子にとっての、藪蛇な状況を作り出した原因としては、謝っても足りないくらいで……」

 神妙なユメに、マリアはやんわりと首を振った。

「大丈夫よ、あの子本人、藪蛇だったとは思っていないから」

 現に、今でもそう思っていないだろうとマリアは言い、雅もそれは同意していた。


 兎に角その時、ユメにしがみつかれたセイは、それを振りほどくことなく首を傾げた。

「イロメ? 何かについた色ってことか? それとも、色のついた目が、使えるのか? どうやって? というか、私の目は黒いんだよな? これは、色がついているという事になるのか?」

 ああ、そこから?

 オキが無言で額を抑える中、二人の女は心の中で突っ込んでしまった。

 どう説明するか、無言で目を交わす二人は、既にそれなりに気が合っていた模様だ。

 その時は、対面してすぐで、意識していなかったのだが、すぐに同じ考えに行きついた。

 気にせず話を進めよう。

 その判断が、セイの持った疑問の答えを得る機会を、長い間保留にしてしまったと知るのは最近になってからだったが、この時はそれが最善と思っていた。

 ここで疑問に答えていては、変な修羅場が出来てしまいそうだったのだ。

「あの、あなたのお姿から察するに、ロンとご血縁の方とお見受けしますけど、この子は付きまとわれているだけで、色目は使ってませんよ」

 優しく窘める雅に頷き、マリアも続けた。

「あなたの旦那様の事は、知りもしないはずです。まずは、その旦那様のご容姿を確かめさせてくださいな?」

「大体、この子は今日、オレたちと一緒に国入りしたばかりだ。そんな暇はなかった、はずだよな? セイ? 繋ぎ仲間とは、まだ会ってないよな?」

 オキもそう言って窘めたが、少々言い方が怪しい。

 セイに自信なさげに確かめるところを見ると、この国に来るのは初めてではないようだ。

「……まあ、私の店もあるから、立ち寄ることはあるわ」

「そうか……一応、何かしらのつながりは、持っているんだね」

 少し不安な三人に、セイはユメをしがみ付かせたまま頷いた。

「まだ、誰とも会っていないけど、その旦那って言うのは、世に精通してるのか? もしかしたら、知り合いかも知れない」

「ほ、本当かっ? 栗毛かかった、明るい色合いの髪と目の色をした、そっちの人と同じくらいの背丈の男なんだ。心当たりはっ?」

「……」

 ユメの勢いのある問いかけに、セイは無言で空を仰いだ。

「それだけじゃあ、分からないな。三人ほどその色の人は、思い浮かんだけど」

 目を剝いた女二人に構わず、若者は更なる問いかけをした。

「肌の色は? 西洋の人か、東洋の人か? もしかして、あんたくらいの濃い色をしているのか?」

「いや、どちらかというと、西洋寄り……って、やっぱりそうなのかっ?」

「でも、所帯を持っている男は、いないはずだ。時々、家にお邪魔していたし……」

 雅は、オキの方を睨んでしまった。

 明らかにその目から逃れる様に、男は空を仰いだ。

 そんな二人を見てから、マリアがセイに問いかけてみた。

「一体、どういうお知り合い?」

「? だから、世に精通している知り合いだよ。色んな話を流してもらう代わりに、夜の話し相手になっているんだ。安い対価だろ?」

「……オキ?」

「……別に、それだけなんだから、本当に安いだろうが。本人は、その程度の間柄だと思っているんだ」

 空を仰いだままの男が、雅のこもった声に返した。

 そんなオキに、引きつった顔になったマリアが深く問いかけた。

「相手は?」

「……」

「ちゃんと弁えてるの?」

「……弁えているはず、だ」

「……」

 おかしいなと、マリアは思う。

 ランの姿を取ったのならば、過保護な部分も似ないとおかしいだろうに。

 どうしてこうも、放置気味なのか。

 つい舌打ちした自分よりも小柄な女の横で、雅は優しく若者に問いかけた。

「どういう方向に精通している人なんだい? その方向によっては、私もお近づきになっておきたいな」

「主に、いろんな階級ごとの噂話、だよ。それぞれ精通している階級が違うから、一言では答えられないけど……この国の、噂話を集めるのか?」

 首を傾げたセイに、女は優しく答えた。

「この国に限らず、精通している人は紹介して欲しい。あなたが見極めた人ならば、間違いはないだろ?」

 優しく言っているが、何やら剣の籠った声音だ。

 首を傾げたまま眉も寄せた若者だったが、何も言わずに頷いた。

 未だにその選択が、当の知り合いたちにとっては最悪だったと、セイは知らない。

 優しく笑顔を浮かべたまま頷く雅に首を傾げながら、ユメに切り出した。

「まだ、その人たちが健在かも確かめていないから、これから会いに行って見るか? もしかしたら、家として招待されたのは、別宅だったのかも」

 その提案に、ユメはすかさず乗り、不穏な企みをする雅と、それに便乗するマリア、そして成り行きを見守る気のオキを伴い、セイはまず隠れ家の方に向かった。

 先に国入りした兄貴分と、その友人の兄妹たちとの再会を果たすためだ。

 本当は、そこで一旦腰を落ち着けてから、先のマリアの心配事を探るため、動くつもりだったのだが……。

 ここから一気に片がついた。


 何故?

 つい眉を寄せた水月に、そうだろうと三人の女が頷く。

 話の触り部分だと言うのに、あっさりと解決が見えるなんて、おかしな話だと思う。

 だが、本当なのだから、仕方がなかった。

「再会したエンと顔を合わせたら、一目で分かったんですよ。淫魔かそれに近い類の何かに、憑りつかれていると」

 唖然とした面々の前で、エンは表面上普通だった。

 だが、瀕死直前の顔色だったのだ。

「土気色って、本当にあんな色なんだって、ちょっと感心しちゃった」

 西洋の女は、どうでもいい感想を抱きつつ、エンと一緒に動いていたはずの双子へと視線を向けると、何だかほっとしたような、何かを訴えるような表情でこちらを見た。

「後で聞いたら、数日前から具合が悪そうだったけど、本人いたって平気そうだし、様子を見ていたら、今日は完全に死ぬ間際の相が出てて、これは本気で不味いって慌てていたらしいんです」

 慌ててはいたが、隙をついて無理に眠らせるにしても、その隙を中々見つけられず、二人して途方に暮れているうちに、自分たちが到着したのだ。

「エンってば、普通に再会を喜んだあと、夕飯の準備に入ろうとしたんで、すかさずセイが背中に蹴りを一発お見舞いして、眠って貰ったの」

 あの若者、見た目の割に思いっきりがいいのが評判だ。

 幼い頃から可愛がってくれた男に対しても、容赦の欠片も見当たらない。

「私がやるから、あんたは寝てろ」

 無感情に言い切りながらの、無情な攻撃だった。

 寝床にその体を放り込みながら、双子と情報を交換し合い、どうやら件の、男の怪死の元凶が、今度はエンを標的にしたようだと、結論付けた。

 そして、そこまで話が落ち着いた時、客として招き入れられたものの、突然の話の動きに追いつかずただ黙っていたユメが、言いにくそうに告げたのだった。

「……さっきの男についてる気配、リョウのだ。御免」

 完全に、解決した瞬間だった。

「いや、まだ解決ではないだろう? その後、どうやって事を収めたんだ?」

 水月が話を収めようとする気配を察して、無理に問いかけた。

 すると、雅が言いにくそうに答える。

「それは、企業秘密、という事で」

「何もかも、それで済むと思うなよ?」

 呆れて返すと、娘はユメの方へと視線を投げ、言った。

「よそ様の、家庭内のいざこざでもあるもので、私からは何とも」

 その目を見返し、ユメは首を振った。

「いいや、大丈夫。もう過去の話だし、事を治めるのを、この人も手伝ってくれたと聞いてる」

 答えて表情を改め、女は真顔で話し始めた。

「今は、大人しい人ばかりだから楽なんですけど、一昔前までは、閉じ込めておかなければ、世間的にも個人的にも見逃せない事をやりだす親族がいたんです」

 特に、ユメの父親の実の祖母というのが、厄介な人だった。

「その人、血縁者から嫁としてやってきた人で、さしたる苦労もなく、一族にも順応した人だったんですが、どうやら、おかしな嫉妬心を持っていたようで……」

 所謂、傾国の美妃というのが、羨ましかった。

「で、凌叔父さんのお母さんに当たる人も、憎しみの対象だったらしいんです。その、延長線上で、シノギ小父さんの子供も」

 結論から言うと、目を覚ましたエンの元にやって来た男を、セイは知っていた。

 だが、いわゆる情報屋としてではなく、もっと昔に出会った男だった。

「待ち伏せして、この人を取り押さえようと動こうとした誰よりも早く、セイが動いた」

 振り返った男リョウも、薄暗い室内の中で、顔を合わせたセイの正体に気付いた。

 そして、笑ったのだ。

「何だ、やっぱりお前たちが、匿っていたんだな」

 エンは、動揺してリョウに縋る。

「待てっ。その子はっ」

「言っただろう? この子さえ引き渡せば、誰も苦しまないと」

「やめてくれっ。その人の相手なら、オレがすると言っただろうっっ」

 そんな会話を聞いて、乗り込んだ面々は全ての事情を察した。

「……少し前に、うちの父が、カスミ叔父さんの代わりに実家に送り込んだのが、そのエンという人だったんです」

 数百年に一度あるかないかの里帰り、なのだが、カスミは毎回行き渋り、ロンは毎回、色々な餌を目の前に釣って、実家に送り出していたのだが、今回はどうしても行方が知れず、エンを送り込んだのだ。

 勿論、本人に事情を話した上のことで、エンは仕方なくその代理を引き受けたために、先に国入りすることになったのだが、その時に、リョウと初めて顔を合わせた。

「そしてリョウの方は曾祖母に、カスミ叔父さんに接近して、匿っているはずのシノギ小父さんの子を見つけ出し、連れてくるようにって命じられていたらしいんです」

 だが、接近しようにも本人は現れなかった。

 だから、直系であるエンに近づいたのだ。

「……あの頃、リョウは少し精神を病んでた。でも、目的達成のため、接近した人を死なせないようにするくらいの頭は残っていたんです」

 あくまでも、接近した男は。

「……つまり、エンからセイの情報を得るために生かすため、別な場所で獲物を狩っていたってことか?」

 水月が低く問うと、三人の女は重々しく頷いた。

 どのタイミングで、エンがその事実に気付いたのかは分からない。

 だが、この時までに何度も、自分も頑丈だから、代わりにという懇願はしていたようだ。

 それを聞き流し、リョウはその日、ようやく当人に行きついたのだった。

「初め、殆ど動けないエンを質にして、セイを連れて行こうと思っていたみたいです」

 雅は優しく話す。

「でも、セイが笑いながら言ったんです」

 その人になら、私も会いたいな。

 目を見開いたユメとリョウの傍で、若者を知る面々は目を剝いた。

 今迄見たこともない、晴れやかで美しい笑顔だ。

 今にも笑い声をあげそうな顔で、セイは言い切った。

「あんたはここに残ってもいいから、場所だけ教えろ。どうやったら、その女の元に行ける?」

 目を見開いていたリョウの口から、悲鳴が漏れた。

「どうしたんだ? 教えてくれないのか? なら、ちょっと頭の中をひっかき回すぞ」

 止める間はなかった。

 足の長さの割に大股に、セイは男に近づき、その頭を無造作に掴んだ。

「っ、お前、何で、その手っっ?」

「喋るな。狂うぞ」

 ぎょっとする男の喚きを一喝したが、その喚きよりもさらにやかましい叫びが、室内に響いた。

 身をよじって力なく座り込む男を見下ろしながらも、セイはその頭を掴んだまま離さない。

 叫びがやんで頭を解放した若者は、呆然と見守っていた面々を振り返り、言った。

「こいつの処罰は、任せる」

 完全に失神しているリョウに、ユメが駆け寄り、そちらに全員の意識が向く間に、セイは部屋から廊下へと向かった。

「ち、ちょっと、どこ行くのっ?」

「散歩」

 ジュリの慌てた問いかけに、セイは今まで見たことのない綺麗な笑顔で答えたが、誰も信じる場ではなかった。

「嘘なら、もっと本当らしくつけよっ」

 ジュラの文句に、若者は呆れ顔を作って見せ、言った。

「すぐ戻るから、大丈夫だよ」

 明らかに取り繕っただけの言葉だったが、咎めても止められるとは思えなかった。

 類のない状況の若者を前に、雅が言った言葉は、とっさだった。

「危ないから、一緒に行くよ」

「は?」

 あり得ないくらいに、呆気にとられた声が返った。

 それに気づいたジュリも、すかさず言った。

「そうね。一人よりも大勢で行った方が、早く用事も済むでしょ?」

 効果あり、と判断したジュラも、したり顔で言いだした。

「エンだって、絶不調なんだ。今日今からじゃなく、ちゃんと準備をして、確実にうまくいく方法を吟味の上で、押し込もうじゃないか」

「これは、押し込みの話じゃあ……」

 慌てて返す若者に、エンがようやく追いついた。

 セイの前に、しがみ付くように座り込み、必死で見上げて懇願した。

「黙って動こうとしたのは、謝る。だから、一人で行くな」

「ちょっと、空気を読んだら?」

 意図を読み違えた男を黙らせる方法を、つい本気で模索したマリアだった。

「……止めるために敢て、事を大袈裟にしてるだけだって、私にでも察せられたのに、偶におバカになるのよね、エンってば」

「ジュリとジュラは、そのつもりだったんでしょうね。とっさに出たにしては、私もいいこと言ったと、後で褒められたよ」

 当時を思い出して苦笑するマリアの言葉に、居心地悪そうに頷く雅を見て、女は目を細めた。

「……あなた、本気だった?」

「うん、御免」

「……そう。ジュリが死んだときのあの騒動での事もあるから、まあ、意外でもないわね。その本気の声音が、セイを止めたのかもしれないし」

「そうならいいけど」

 困り顔の雅に笑いかけ、マリアは話を締めた。

「ここで、話が完全に盛り上がって、それを止める役がセイになって、結局うやむやになって、その話は終わりです」

 ロンの祖母は、長く放置されることになったが、今はいないのは水月も知るところだ。

「……リョウ君が、ここまで怯えている理由ですが、それもきっとご想像通りかと」

 リョウは、逃げた子供の行方を聞き出すべく、毎夜エンの元に通い、途中で切り上げて帰ることを繰り返していた。

 その日数は、七日ほど。

「だから同じように七日七晩、代わる代わる、うちの従業員たちに弄ばせました」

「で、搾り取った生気は、エンに返しました」

「……」

 呆れ顔になった水月に、マリアはさらに驚くことを報告した。

「それからついでにセイに、弄んでいる七日間、見学してもらいました」

 は?

 口がそんな形に固まった水月に、ユメが続けた。

「八日目の朝、送られてきたリョウは、泣いてました」

 あの女ども、怖い。

 それ以上に、何の反応もなく見つめ続けるあの子が、恐ろしい。

 そう言って、恋女房の膝の上で泣きわめいた。

 こうして事件の元凶には、灸をすえられた形となった。

 だが、ついでに何か思う所を持ってほしいと思った方は、違った。

「……少しは、自覚できればと思ったんですけど、全然無理だったみたいです」

「強敵だよね、あの子は」

 あの騒動は、色事を糧にする二人にとっても、苦い件となったのである。


 雅とマリアが病室を去った後、リョウは無事目覚めた。

 ユメと寄り添って立つ男に、今聞いた話の裏付けの聞き取りをする。

「……並大抵の事では、びくともしませんよ、セイは」

 最後の女たちの結論まで聞いた男は、大きく頷いた。

 まだ青白い顔のまま、その根拠を言う。

「初めて会った時から、あの状態だったんですから」

 リョウとセイは、知り合いではなかったが、あれが初対面でもなかった。

 印象深い子供であったから、リョウはよく覚えていたが、セイも別な理由で覚えていたようだ。

 監禁場所の城の城主を、管理していた男として。

「そこの城主、セイを身ごもって逃げた女に、懸想していたんですよ。で、ずっと女の母親を監視していた。あの時、その女の死は伝わっていましたから、女を連れ去った憎い男の血を引く子供をいたぶれると、城主はこちらの思惑を受け入れました」

 だが、いたぶる的だったセイは、既に無反応になっていた。

「どうやら、目の前で祖母である女性を嬲り殺された時からそうらしく、うちの曾祖母は、その時の反応にも不服を漏らしていました」

 泣き叫び、許しを請い、助けを求め、狂うさまをつぶさに見たかった老婆は、一年で子供を放置するようになった。

「その頃には、弄り要員だった奴らも、反応を引き出さなかった罰で殺されていましたから、こいつらに弄らせていれば、何らかの動きもあるだろうと期待していたようですが、徐々に足が遠のき、三年経つ頃には、殆ど足を向けなくなってしまいました」

 ユメの実の曾祖母は、所謂死人使いだった。

 残された元荒くれ者たちは、命令を忠実に守りながらも、姿を見せない主人に思いをはせ、徐々に狂暴化していたようだ。

 見かねたリョウは、後見だった義理の叔父の父親に相談し、死人共の一掃と子供の保護を計画していた。

 だが、それは難航していた。

 何故か、殆ど見たこともないはずのセイを、城主が手放したがらなくなったのだ。

「まずは、死人共の一掃を片付けてから、子供の身の振り方を考えようと説得していたんですよ。何故か、その一掃の段階から渋るようになっていたもので、困っていました」

 狂ったなと、クリスは一言で納得していたが、リョウは未だにその時の城主の気持ちが分からない。

 兎に角、そんな時だった。

 クリスの息子の一人で、リョウの義理の叔父に当たる人が、その城に目を付けたと知ったのは。

 何もかも間に合わなかった。

 こちらの痕跡を消して逃げるのが、やっとだった。

 そしてその頃から、リョウの周りの全てが変わった。

「子供も消えたと聞いた曾祖母が、その後からあの頃まで、随分と荒れてしまいまして、それまでは、あれでも温和な人だったんですが、他の質の悪い親族どもよりも多い頻度で、獲物を要求される様になってしまいまして、オレも当時は、完全に狂いかけていました」

 あれから二世紀ほど経った今でも、セットであの女たちに会うのは怖い。

 だが、あのお灸が正気を戻らせ、心配する愛妻の存在を思い出させたことには、感謝していると、リョウは笑いながら言い、ユメと見つめ合った。

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