第七章 崩れゆく箱庭と、書き手の誓い

 “ルフナ”――そこは、空と大地の境が崩れ始めていた。


 街の輪郭はぼやけ、建物の一部は空に溶けていた。通りの石畳には無数のひび割れが走り、空間そのものが揺れているようだった。遠くでは塔が崩れ、光の粒となって消えていく。


 ――この世界が、終わりを迎えようとしている。


 凛はひとり、かつての“中央広場”と思しき場所に立っていた。だが、その広場はもはや形を留めておらず、足元の石板さえぐらぐらと不安定に揺れていた。


 そこに、エルが現れた。いつもの落ち着いた表情はなく、顔には深い憂いの影が差している。


「凛……君に伝えなければならないことがある」


 風が吹き、エルのマントが大きくはためいた。空は裂け、断層のように現実が剥がれていく。


「この“箱庭”レフレアは、書き手の願いによって支えられていた。だが……今、その“支柱”が崩れ始めている。理由は、君が“真の記録”を記してしまったから」


「……私のせい、なの?」


「いや。“君の記録”が、他の記録と比べて“本物”だったからこそ、すべての“嘘”が耐えきれなくなった。レフレアは長い間、書き手たちの中途半端な願望や逃避によって、成り立ってきた」


 凛は唇を噛んだ。


「……つまり、私はこの世界を壊した?」


 「違う。“本来あるべき姿に戻した”んだ」


 エルは凛の目をまっすぐ見つめた。


 「この箱庭は終わる。でも、君には選択する権利がある。

 ひとつ、“世界の再構築”を君自身が担うこと。もうひとつ、“現実世界へ戻る”こと」


 「……私が?」


 「君はすでに、自分の名前で未来を書いた。記憶と向き合い、自分自身を肯定した。だからこそ、この世界の“新たな書き手”として、そのまま残ることができる」


 ――このまま、ここに残る?

 ここは美しい。でも、虚構だ。

 現実には不安がある。でも、そこに私の本当の時間がある。


 「私は――」


 凛はノートを開き、真っ白な最終ページを見つめた。

 そのページは、まるで凛自身の“これから”を映す鏡のようだった。


 ふと、誰かの声が聞こえた。あの懐かしい声――母の声、妹の声、昔の友人の声。

 誰もが心配してくれた、声。


 ――戻って、おいで。あなたの居場所は、あっちにあるよ。


 凛は、決意の言葉を万年筆で綴った。


「私は、この世界に感謝する。

 でも私は、私の世界に戻る。

 そして、自分の人生を、

 自分の言葉で書き続ける」


 ノートが淡い光を放ち始めた。

 崩れゆく世界の中で、その光だけが揺らがない。


 「……凛」


 エルが小さく呟いた。どこか寂しそうに、でも誇らしげに。


 「君は、本物の“書き手”になった。ありがとう。君の旅は、終わりではなく“始まり”だ」


 凛の体がゆっくりと光に包まれていく。

 床が崩れ、空が割れる。街のすべてが音を立てて消えていく。


 ――でも、怖くなかった。


 もう、何も迷わなかった。

 この旅が、自分にとって本当に必要だったことを、凛は心の底から理解していた。


 最後に見たのは、エルの姿だった。静かに手を振りながら、微笑んでいた。


 そして――光がすべてを包み込んだ。

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