第六章 “箱”の正体と、選ばれた理由
“ハコノモリ”は、静かな森の中にあった。
空は鈍色に沈み、木々は深い緑に包まれていた。まるで世界が息をひそめ、凛の到着を待っていたかのようだった。
森の入り口には、不思議な標識が立っていた。
>「ここは、すべての記録が始まり、終わる場所」
細い獣道のような道を抜けると、そこには無数の**“木の箱”**が並んでいた。
大小さまざまな箱が、まるで墓標のように地面に置かれている。どの箱にも鍵穴があり、そしてそれぞれに名前が記されていた。
――“ミカエラ”、“サムエル”、“アレン”、“ユナ”……
そして、最奥。ひときわ大きな一本の木の根元に、ぽつんと置かれたひとつの箱。
見覚えがあった。それは、あの日、凛の部屋のクローゼットの中にあった箱と同じだった。
ゆっくりと近づくと、箱の前に誰かが立っていた。
「来たね、凛」
エルだった。変わらぬマント姿で、箱の横に佇んでいた。
「……この箱は……私の?」
エルは頷いた。
「そう。これは“君の記録”。正確には、君の“選択の記憶”が保存された箱だ」
凛は足を止める。自分の記録――自分の“選択”。
「この箱には、君がこの世界に来る直前、どんな思いで箱を開けたか、どんなものを捨てたか、すべてが刻まれている」
凛の手の中で、例の小さな真鍮の鍵がかすかに熱を持っていた。
鍵は、この箱のためにあったのだ。
恐る恐る、凛は鍵を差し込む。
――カチリ。
音がして、蓋が開いた。
中には一冊の小さなノートがあった。自分の原書とは違う、まるで“日記”のような装丁。手に取ると、確かに見覚えがあった。大学時代、よく使っていたメモ帳に似ている。
開くと、そこには見覚えのある文字――自分の字が並んでいた。
「転職活動がうまくいかない。履歴書の山を見るたびに、自分の価値がどんどん薄れていく気がする」
「誰にも相談できない。笑ってるけど、本当は怖い。将来が見えない」
「どうしてこんなに頑張ってるのに、報われないんだろう」
「……世界が、一度壊れてくれたらいいのに」
最後の一文に、凛は息をのんだ。
その言葉を、あの夜、箱を開ける直前に書いていたのだ。
「君が書いたその“言葉”が、この世界への扉を開いた」
エルが静かに語った。
「“世界を壊したい”という思いは、強くて純粋な願いだ。けれど、この世界“レフレア”は、壊された記憶と願いを集めて再構築する“箱庭”。君の叫びが、ここに届いた」
「じゃあ……私は、逃げたんじゃなくて……壊したの?」
「いや、違う。“自分自身を見つめ直す旅”を選んだんだよ。壊すことは再生の始まりでもある」
凛は、もう一度日記を見つめた。
たしかに、そこには苦しみも、弱さも、たくさん記されていた。けれど――
「……書いたね」
エルが言う。
「今の君なら、“書き換える”ことができる」
凛は静かにノートを開き、ペンを走らせた。
「私は、過去を壊したんじゃない。
未来のために、“今の私”に戻る道を作った」
その瞬間、箱がゆっくりと光を放ち、空中に浮かび上がった。
無数の他の箱が、それに共鳴するように音を立てて震える。
空を見上げると、木々の隙間からこぼれる光が、まるで金色の雨のように降ってきていた。
「君は、自分の記録と向き合った。もう、歪みに飲まれることはない」
エルが初めて、心からの笑みを浮かべた。
「さあ、最後の場所へ行こう。君が、“この箱庭に書き加える最後の一文”を記す場所へ」
「……最後?」
「君の旅は終わりに近い。だが、それは“終わり”ではない。“始まり”なんだよ、凛」
風が吹いた。木々がざわめき、足元の草が凛の旅路を指し示す。
凛はノートを胸に抱え、次なる街――崩れゆく境界の街、“ルフナ”へと歩き出した。
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