7【公式発表】宣戦布告、定刻通りに執り行います
昨日の出来事を、僕はまだ完全に飲み込めていなかった。敵の幹部がアポなし訪問を詫びに来て、名刺交換をして帰っていく。そんなこと、前世で読んだどのファンタジー小説にも載っていなかった。僕の手元には、証拠として黒曜石の名刺が残されている。夢じゃない。
そして今日が、その「正式な宣戦布告」の当日である。
約束の午後二時が近づくにつれ、城の一室には妙な緊張感が漂い始めた。
「いつでも来い…!」
ブリギッテは戦闘態勢万全で部屋の隅で素振りを繰り返している。彼女のやる気と僕の憂鬱は見事なまでに反比例していた。
「予定時刻まで、あと3分です。時間厳守はビジネスの基本ですね。魔王軍は信頼できる交渉相手かもしれません」
マキナは優雅に紅茶を淹れながら、なぜか感心している。いや、敵だから。信頼とかそういう問題じゃないから。
コン、コン。
午後二時きっかり。控えめなノックの音が、部屋の扉から聞こえた。
「勇者様、魔王軍の使者様がお見えです」
衛兵の緊張しきった声。本当に来た。しかも、今度は律儀に正面玄関から来たらしい。
部屋に通されたのは、昨日と同じく四天王ヴェノム。しかし、今日は魔王軍の禍々しい旗を持ったインプの部下を二人従え、使者としての体裁を整えていた。
「勇者ヒカル殿。昨日は大変失礼いたしました。本日は、我が主、魔王ガルヴァトロン様からの正式なメッセージをお伝えに参りました」
ヴェノムはそう言うと、持っていた巻物を厳かに広げ、朗々と読み上げ始めた。
「―――まず、この度の勇者としての御就任、心よりお祝い申し上げる。貴殿の輝かしい門出に、魔王軍一同、敬意を表するものである」
出だしから、もうおかしい。敵へのメッセージじゃないだろ、これ。
「しかしながら、甚だ遺憾ではあるが、我々と貴殿ら人類とは、世界の覇権というリソースを巡り、現在、競合関係にあると判断せざるを得ない。つきましては、今後、ダンジョンや戦場といった指定エリアにおいて、両者間の敵対的交渉、すなわち戦闘行為が発生する可能性があることを、ここに正式に通達するものである!」
「―――以上、魔王ガルヴァトロンの名において、勇者ヒカル、並びに人類に対し、ここに宣戦を布告する!」
ヴェノムが巻物を閉じ、厳かに一礼する。ブリギッテはゴクリと喉を鳴らし、僕はあまりに丁寧な文章に、もはやツッコむ気力も失っていた。すると、ヴェノムが僕たちに向かって言った。
「何かご質問は?」
質疑応答の時間があるのかよ!
僕は前職の会議で染み付いた癖で、思わずスッと手を挙げてしまっていた。
「あ、あのー、すみません、質問いいですか?」
ヴェノムの目が、カブトの奥でキラリと光った。
「はい、勇者殿。何なりと」
「えーと、先ほどの布告にあった『指定エリア』というのは、具体的にどこからどこまでが範囲になるんでしょうか? あと、戦闘におけるルール・オブ・エンゲージメント(交戦規定)について、もう少し詳細な資料をいただくことは可能でしょうか?」
僕の質問に、ヴェノムは「おお、素晴らしい! そこに気づかれるとは、さすがは勇者殿!」と、なぜか嬉しそうに声を弾ませた。
「その件に関しましては、こちらの資料をご覧ください!」
そう言って彼が部下から受け取って差し出したのは、分厚い羊皮紙の束だった。表紙には『魔王軍・対勇者戦闘規定書 ver3.2(秘)』と書かれている。
「ぐ、軍師殿…? 敵と、何を話しておられるのですか…?」
ブリギッテが完全に理解の範疇を超えたという顔で僕を見ている。
「合理的です。事前に交戦規定を明確化することで、無用なトラブルを未然に防ぎ、戦闘行為をより効率的に遂行できます」
マキナは僕が受け取った規定書を横から覗き込み、またもや感心している。
僕とヴェノムは、その場で規定書の読み合わせを始めてしまった。
「えーと、第3条『奇襲について』ですが、この『夜間における睡眠中の攻撃は非推奨』というのは、具体的には…」
「はい、それはですね、双方の兵士の士気と健康を考慮した項目でして…」
人類の存亡をかけた宣戦布告は、いつの間にか、世界で最も平和的で、最も事務的な契約内容のすり合わせ会議へと変貌していた。
僕の異世界ライフ、本当にこれで合っているのだろうか…。
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