第十二話 ち屋さん(お題:色水)

 弟が小さい頃の話だ。

 ある夏の……多分七月くらいの頃だったと思う。

 昼下がり、僕は家の縁側で、弟の遊びに付き合っていた。

 当時の弟は四歳で、色水遊びにハマってた。食用色素を溶かして色をつけた水をあれこれ混ぜ合わせ、おもちゃのコップに注ぎ、「おきゃくさん、どーぞ」と渡してくる。僕は「どーも」と受け取って、コップを持った手を後ろ手に回し、中身を地面に捨てていた。

 弟が食紅を溶かした赤い色水で手をベチャベチャにしていた時だった。

「おーい、おーい」

 塀の向こうから声がした。

 見ると、塀の向こうからこちらを覗くジジイがいた。ハゲてて、顔はしわだらけで、目もしわに隠れて見えなかった。

「なに?」

 よせばいいのに、弟がジジイに話しかけた。

「血をくれー、血をくれー」

 ジジイが細い指をこちらに向けて、そう言った。

 僕はジジイを無視して室内に逃げようとしたが、弟は、

「なあに? どうしたの?」

 と、返事してしまった。

「それをくれー、血をくれー」

「これ?」

 弟は赤い色水が入ったコップを持って、トコトコと塀に近づいていった。止めなければ、家の中に弟を入れなければ、と思ったが、その時は何故か、身体が動かなかった。

「はい、どーぞ」

 弟がコップをジジイに渡した。ジジイはコップを受け取ると、弟の手の中に何かを落とした。そしてジジイはどこかへ歩いていった。

「兄ちゃん、なんかもらったー」

 弟の手には、古そうな小銭があった。後で調べたところ、数百年前のお金らしい。本物かどうかは分からない。弟は自分の色水が売れて嬉しそうだった。

 その夏の間、ジジイは何度か現れ、「血をくれー」と言った。親も僕も気をつけていて、弟を一人で庭先に出さないようにしていたけど、その度に弟は赤い色水を渡しにいった。夏が過ぎ、秋が来ると、ジジイは現れなくなった。次の年の夏も、ジジイは来なかった。

 今も、ジジイの姿は見ていない。弟は当時のことをすっかり忘れたみたいで、ゲームに夢中になっている。

 でも、押し入れの小箱の中には、あの時貰った古銭が眠っている。それを見るたび、あれは夢じゃなかったと思い出す。

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