薄暮堂(はくぼどう)
Y.K
第1話「夕暮れの店と、迷い猫」
その店は、いつも夕暮れだった。
通りに面しているはずの窓からは、柔らかな橙の光が差し込み、埃の舞う空間をそっと照らしている。けれど、外に出てみるともう夜が始まっている。不思議なことに、この店の中だけ、時間が遅れているようだった。
──ガチャリ。
古びた木の扉が軋みながら開く。
入ってきたのは、見慣れぬ少女だった。うつむいたまま、店の中をきょろきょろと見回している。戸惑いの気配が、その小さな背中ににじんでいた。
「……いらっしゃい」
僕はカウンターの奥から声をかけた。
この店の名前は、僕にもわからない。ただ、気づいたらここにいて、気づいたら誰かが訪ねてくるようになった。
僕の役目は、“ここにたどり着いた人の話を、少しだけ聞くこと”らしい。
少女はおそるおそる椅子に腰を下ろし、手の中の小さな紙切れを僕に差し出した。
「ここ……この猫、見ませんでしたか……?」
そこには、手描きの白猫の絵と、名前が書かれていた。
「名前は、ユキ。三日前から帰ってこなくて……たぶん、私のせいなんです」
少女の声は、いくらか震えていた。
聞けば、飼い猫のユキは、少女の家がゴタゴタしていた日に姿を消したという。両親の大きな声。止められなかった涙。その日に限ってユキを叱ってしまったこと。
「私……あの子に、嫌われたのかもしれません」
僕はそっと、カウンターの奥に目をやった。
棚の一番上、古いラジオの横。
さっきまでいなかったはずの、白い猫が、こちらをじっと見つめている。
「──会いたい?」
少女は小さくうなずいた。
その瞬間、風もないのに扉がふわりと開いた。
夕暮れの光のなか、白猫が店の外へと歩いていく。まるで、導くように。
「急いで」
僕の言葉に、少女は立ち上がる。
その足取りは、さっきよりもずっと軽かった。
……ふと、カウンターに目をやる。
そこには、ユキの絵が描かれた紙切れが、一枚だけ残されていた。
夕暮れはまだ、店の中に差していた。
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