第五章

第36話 とある神社

 翌日、彼岸入り。午前中に、志喜は家族とともに墓参りをし、お寺にてありがたい説教を受けた。あおゆき特製のジュースをことあるごとに飲み、徐々に右肩の痛みも違和感も収まりつつあった。

 午後には待ち合わせ場所に行った。小清水が行っておきたいところがあるというのだ。ちなみにチコはいつものおめかし姿、あおゆきはセーラー服姿で、二人ともあやかしの耳は出していない。茅野はロングコートを纏い、小清水はレザージャケット姿である。

 そこは志喜の家から海岸線を更に北上して、山道へ曲がってしばらく進んだところにある古い神社だった。鳥居をくぐり、息上がるくらいに石段を上ってから、朱の太鼓橋を渡り、またも石段を上る。ようやく着いたそこは白い佇まいの大きな社だった。

「ここに祀られているのは天照大御神と月読命と、そして宇迦之御魂神なんだ」

「ウカノ……?」

「稲荷大神と同一視されているキツネの姿の神だ」

「え? だって、キツネはこの島にいないんじゃ?」

「神格の場合は、話は別だ。肉体をもたない神はどこに行くこともできるさ」

「ちょっと待って。今の話し方はさ、神様は肉体をもたないっていう意味にも、神様の中には肉体を持っているのもいるっていう意味の両方考えられるんだけど」

「君はするどいな。その通りだよ。ボクの祖父は肉体を持った方だね。妖怪と言っていたがね、こうして祀られないだけで力は同格だったそうだよ」

 小清水は飄々と話しているが、志喜の眉間の皺が深くなる。

「ちょっと待ってよ。ということはさ、その祖父さんと交流をしたっていうチコのおじいさんてのは、もしかして……」

「神だな」

 断定したのはあおゆきである。小清水は「え? 何か問題でも?」みたいな表情になっている。焦燥は志喜にロボットダンスをさせる。

「え、でも妖怪って……あれ、僕、おじいさんとか言ってたけど、罰当たらないよね、ほのか」

「私に振るな。そもそも私は憑き物を祓うだけだ。妖怪やあやかしの中には神が姿を変えたものもいる。それに神格は人間がそうそうめったに目の当たりにしないものだ」

 さんざん憑き物や妖怪と二人三脚を堪能した男子が、一言でまったく動揺するあたり。専門家としては懸念を十全に話していたのだから、まさに今更弁護もフォローもしようがない。

 一方で、ゴミシンケはあてにはならんといった風な表情を、あおゆきは浮かべる。

「大丈夫だ、都築君。主様は寛容なお方だ。その主様が姫様を託したのだ、都筑君は何も動じる必要はない」

 あおゆきの保障は、胸をなでおろすのに十分だった。

「そだよ。チコはチコ。神様じゃないよ」

「そうだね。お手柔らかに頼むよ」

 チコの無邪気さでなおのこと安堵したのだが、応対に失することがないよう気を付けようと改めたのだった。

「で、ここには何をしに?」

「もちろん、挨拶だ」

 ほっとした感じでそもそもの理由を聞いてきた志喜に、小清水は拝殿の扉を開けながら答えた。賽銭箱に硬貨を入れた。背負っていたボディバッグから、スーパーで買って来たいなりずしのパックを出して備えた。二礼二拍手し、恭しく頭を下げる。志喜たちも同様に柏手を打った。もう一礼をし、頭を上げた。

「些末な質問だけど、やっぱりキツネだからいなりずしだったの?」

「まあ、どうだろ。ボクの好きな物ってのが理由かな。父様も好きだし、じい様も好きだったから。それならって思っただけさ」

「そうか」

「しばらくいいかな? 少し空気を味わいたい」

 そう小清水が言うものだから、各々境内をフラフラと歩いた。

 チコはちょこまかと縦横無尽にあちこち動き回り、あおゆきは参道の脇で腕組みをしてチコの動きを目で追っていた。

 小清水は開けたままの拝殿の扉の前に腰をおろし、まるでそこに何かがいるかのように、置いたいなりずしのパックをにこやかに見ていた。

 志喜と言えば、手持ちぶさたになっていた。灯篭や狛犬に近づいて凝視してみるものの、良し悪しやいわれが分かるはずもなく、不意に見た視線の先に、社の裏手に行こうとする茅野の背中を見た。

 ――何やってんだろ?

 不思議に思ってその後を追った。足音を立てずに近づく。雑草が生い茂るそこで、茅野は前かがみの姿勢でいる。志喜が小枝を踏み、その音が鳴ってしまった。振り返った茅野の顔には緊張感があった。

「キセツ、そっからこっちに来るなよ」

「何だよ。ほのか」

「いいから。来るなよ」

 いつになく声の調子が厳しい。確かに茅野の口調はたいてききつい。チコやあおゆきと一緒にいた時でさえ、柔らかみがない口調だった。この張りはあおゆきが得体の知れないものに変化しようとしていたときのそれと同じくらいだった。

「ほのか?」

 ということは、不穏な現象がそこに生じていると思ってしまう。その場の気温が下がる気がした。

「キセツ、聞いてくれ。お前には見せたくないんだ」

「さっさと片付けろ、ゴミシンケ」

 どう答えればいいのか思案する志喜の横に、チコと手を繋いであおゆきが並んだ。

「やっぱりあるのか」

さらに小清水が嘆く。

「あるって、何が? 何で二人が知ってて僕には」

「都筑君、ゴミシンケの肩を持つわけではないが、君は見ない方がいい」

「だな。ボクだって……」

「何だよ、もったいぶって」

 あおゆきだけでなく、小清水までもったいぶった口調でいる。たまらず志喜は前に出ようとした。しかし、チコが手を引いて、暗い表情で首を横に振っていた。

「分かったよ、見ない。けど、何なのか、教えてくれないか」

「それは……確かにこの状況で黙っていると言うのも、私がキセツの立場だったら気持ち悪いが……」

 低い姿勢のまま茅野の視線があおゆきに送られた。

「なんだ、ゴミシンケのくせに、こういう時に私に振るな」

「あんたなら差し障りないかなと、いや差し障っても問題ないかなと」

「まったく、分かった。都筑君。そこにあるのはな」

「うん」

「呪いの跡だ」

「呪い?」

「そう。呪術。誰かが感情に苛まれ、そのいかんともしがたい感情の相手に呪いをかけた痕跡があるということだ」

「そんな。今の時代にそんな」

「時代は関係ないさ。ボクの髪をおちょくる奴らがいたように」

 小清水がつぶやく。

「私の髪を、家柄を陰口している人がいたように」

 茅野が吐き捨てるように言った。

「いつとても、人は人を憎む」

 あおゆきが結論する。

 チコの手が震えていた。それが志喜に教えていた。いかにおぞましいことなのかを。

「まったく、午前中に一仕事したってのに」

「ぐずぐず言っているな。それもゴミシンケの仕事だろ」

「わーてっるての」

 茅野は鞄から小型の日本酒の瓶と塩の入った袋を取出し、恐らくそこにあるであろう呪いの痕跡の辺りにふりかけ、そして祝詞だか経文だかを唱えた。

 志喜はそれをただ茫然と見つめているよりほかになかった。

「そやつがここに来たのも、こういう理由もあってのことだろう」

 あおゆきがポツリとつぶやいた。

「暁が?」

「ボクはそこまで感じられないけれど、ボクとゆかりのある場所でそういうことが無ければと思ってね。お賽銭だけでなく、お供え物をしたのは神格にこの領域を清浄化してもらって、こういうことができないようにしてもらえる力になればと思って」

「できないようにって」

「清浄化した領域には、そういう邪念をもった者は入って来れないから」

 志喜には言葉がなかった。

「シキ……」

 チコが心配そうに志喜の顔を窺っていた。

「チコ……」

 ――大丈夫だよ

 志喜はそう言わなかった。言えなかった。けれど、チコを心配させたくなくて彼は手を握った。しっかりと。

「終わった。行こう」

 一仕事を終えた茅野が合わせていた掌を離した。

「そうだな。今日はこれくらいにしておこう。明日は何も予定ないのだろう? それなら午前中から出かけることにしよう。行き場所はボクが考えておくから。案内頼むよ」

「ああ、分かった」

 志喜の応答にはまったく力がこもっていなかった。

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