ある殺人者のラプソディ
きよのしひろ
第1話 パラペット
死んだほうがましだ。
僕は昼休みに校舎の屋上に上がって縁にある腰ほどの高さのパラペットに座り足をぶらぶらさせながら、バスケットコート二面ほどの狭い校庭でありんこみたいにちょろちょろ走り回る男子と、その姿を隅っこから眺めているのか女子の塊は砂糖に群がるありんこみたい。そんなありきたりの風景に心が動くはずもない。
―― 四階建て校舎だから …… 頭の中で高さを計算し、死ねるな。
そう、僕は死線の上に座ってるんだよ。
前方には死の世界が悠然と両腕を広げ、振向けば地獄が待ってる。この線上だけが安穏としていられる場。
はたからはぼーっとしてるように見えるだろうが、実は僕の頭の神経細胞は目まぐるしくシグナル伝達を行ってるんだ。だから忙しいと言っても良い。
昼休みの終わりを告げるチャイムの非情な金属音が流れだすと、ありんこ達は校舎の中へ掃除機に吸い込まれるみたいに消えて行く。
それが可笑しくて、「ふふっ」と鼻で笑う。
見上げると真っ青な空に純白の雲が天国への階段のように連なっている。
僕の耐用年数は今日まで、 ―― あー、あの階段を登れるだろうか? …… 期待するけど自信は無い。
急に、下界が賑やかになってちらっと視線を落とすと、体操着姿のありんこ達が僕の方を指差し騒いでいる。
無視をし目を閉じる。
するとぼんやりとした昔の観たくはない映像が脳内スクリーンに現れるんだ。
―― しょうがない、この映像を見終わったら一歩前へ踏み出すか …… 僕はそう決める。
映像の始まりは幼少期、僕がまだ幼稚園に通う前らしい。
その頃には楽しい思い出が沢山あったなぁ。
家は浅草の二DKアパートでさ、両親とおばあちゃん、それに夫々ふたつずつ年の離れた弟と妹がいたんだよ。
妹は生まれて間がなく毎晩毎晩「ぎゃーぎゃー」うるさい。
父親は忙しくて、土曜日か日曜日にしか家に帰って来ないんだ。
「ただいまー起きてるかぁ」父親は夜の九時過ぎに必ずそう言って玄関の古ぼけたアルミのドアを軋ませながら帰ってくるんだ。
僕と弟は待ってましたとばかりに競って布団を抜け出して父親の胸に飛び付くんだ。
僕は弟なんかには負けない。「おかえりー」と言って抱きつくと、必ず弟は、「ずるい。玄関が開く前に布団からでた」とすねるのさ、可愛いだろう。
「おー、わかった、わかった」父親はそう言って弟をひょいと抱っこするんだ。
「これこれ、ぱぱ疲れてるんだから、お休みの挨拶したら寝なさいよ」
母親はいつも笑顔一杯に水を差す。
僕らは口を尖らせ、しぶしぶ「おやすみー」と言って、明日はどんな遊びをしてくれるのか楽しみにして布団にもぐってたな。
このころまでの父親はでっかくて逞しくて大好きだったんだ。
あ、新しい家が写り込んできた。
そうそう僕が幼稚園に入る直前だったか、僕ら一家は一軒家に引越してさ、僕の部屋もできたんだ。嬉しかったなぁ、それに弟達は小さいから当然当たらないだろう、自分だけだ! という優越感に浸ってた。
今、僕のことを『小っちゃな男』と思ったろう? 「ふふっ」その通りさ。
新しい家に引っ越したら新しいことも起きた。
先ず引越と同時になぜか僕らの苗字が変ったんだ、それと父親が毎日帰ってくるようになった。
その訳を知ったのは確か小学校に入る頃だったなぁ。
と、同時に父親が僕たちと遊んでくれる頻度が少なくなった。妙にピリピリしていて、「なんか怖いね」とか弟と話してたな。
その家には仏間という部屋があってさ、そこにはそれまで見たこともない位牌があって両親は毎朝手を合わせ、僕たちも命じられるまま真似をさせられてたんだけど、誰の位牌かを教えてもらえずに、未だにわかんないんだ。
今考えるに『女』と言う文字が入ってたから恐らく女。けどおばあちゃんは生きてるし、母方の祖母はずいぶん昔に死んでいてどこだったか田舎に墓参りに行った記憶があるから、そのひとでもないし……やっぱり、なんかやばそうだ!
幼い僕らには怖い感じがして、「幽霊が棲みついてる」とか言って、夜、その部屋の電気を消して、ひとりずつその部屋に入ってドアを閉め、百数えるという肝試しをしてた。今思えば笑っちゃう遊びだが当時は真面目に怖かったんだから……。
楽しい思いではここいらへんまでかな?
地獄への入口は、犬の事件だったと思う。
それは、……
ある日、友人宅で犬を飼い始めたのが羨ましくて兄弟で、「犬が欲しい」と訴えたら、父親がけんもほろろに、「犬は嫌いだ」の一声。
その時の風神様のような父親の顔を忘れられない。
その頃からだと思う。父親はひとの気持ちを考えずに我を通すようになって母親でさえ逆らえなくなったようなんだ。
お土産とかも買ってこなくなったし……。何かがあったのかも?
唯一クリスマスだけはサンタさんがプレゼントをくれるので、ものすごい楽しみにしてたんだけど……さ。
仲の良かった友達の家にはサンタさんのプレゼントだというおもちゃに溢れていて羨ましかった。それもみな友達が欲しかったものばかりなんだ。
幼稚園の年長さんになっても、僕の望まないおもちゃばかりをサンタさんが置いてゆくので、
「ほかの子はみな欲しがった物を貰ってるのに僕だけどうして?」と、母親に食い下がったら、父親が鼓膜が破けるほどの声で、
「わがまま言うな、世の中には貰えない子もいるんだ!」
その上夕ご飯も抜きにされ、自室で泣いてたら、おばあちゃんがおにぎりを持って来てくれて、泣きながら食べたんだよなぁ。
おばあちゃんはいつだって僕らに優しくて、何でもいいなりで怒った顔を見たことが無いんだ。
そんなおばあちゃんに欲しかったおもちゃをおねだり、おばあちゃんは笑顔で肯いてくれて、「お父さんには内緒よ」と僕の望みを叶えてくれたんだよ。
でも、どうして世の中にサンタさんがプレゼントをしない子がいるのかわからなかった。
今思えば当たり前のことだけどその頃は純粋にサンタさんを信じてたからさ。
父親の優しさは影をひそめてしまった。親に反発するのが怖くなって、何でも言いなりになったし、欲しいものがあっても言えなくなった。
僕がそんな風なのに、あーそれなのにさ、弟たちは要領よく色んなものを買ってもらっていて、僕はいつも羨ましくて、
―― 自分はこの家の子じゃ無いんじゃないか …… と思うようになったんだ。
そして怒られた夜には決まって、
『 女の人がビニール袋の中で寝ていて、だんだんそれがしぼんでいって女の人が目を覚まし暴れるけど恐ろしい顔をしたまま死んじゃう 』
という夢を見てしまう。それが怖くて眠らないよう目をカッと見開いているんだけど、子供の事だものいつの間にか寝てしまいその夢をみちゃうんだ。
そして、朝起きると、おねしょしていて、「弟はしないのにお兄ちゃんのあんたがなんでおねしょなの!」
散々母親に叱られるんだ。その夢を高校生になった今でも見るんだから不思議だよなぁ。
あ、断りを入れるまでもない話だが、「さすがにおねしょはしてないです」
今思えば、夢見るようになったの引越してからだよなー。
脳内スクリーンの映像が小学生時代に突入。
そう、自慢じゃないが、初めてのテストで僕の優秀さが証明されたのだ。満点ばかり。
自分でもびっくりしたが、父親も周りもみな褒めてくれる。僕は自信に溢れていたなぁ……。
笑い話になるのけど、当時の僕は『自分は性格も良い』と思っていたから女の子にもてるはずだと信じてたんだ、現に数人の女の子が良く笑顔で話しかけてきていてね、女の子の誕生会にだって呼ばれることが度々あったのさ。
それなのにいつのまにかその子らはみな他の男の子とお喋りをするようになってさ、『ひとりぼっち』という言葉を覚えたし、その時にできた『心の空洞』はこうして死線上にいる現在まで埋められてはいない。
その頃の事件と言えば、思い出すのは今映像で流れ出した鼠の死骸事件だ……、
僕が学校から帰ると、異臭がすると両親が大騒ぎをしていることがあって、僕も臭いを嗅いで、「床下からじゃない?」と言ったんだ。
そうしたら父親が思った以上に血相を変えてキッチンの床下収納口から下を覗き込んで、「うわーっ、鼠の死骸がごろごろしてる!」
そこには鼠の死骸が沢山あって強烈な臭いを発してたと言う。僕らは早々に部屋に追いやられ、深夜まで両親が消臭のための作業をしていたようなんだ。
気になって弟と覗きに行ったら、えらい剣幕でどやされた。
死骸を何かに入れて捨てるだけしか思い浮かばない僕は何時間も親が何をしているのかわからなかったけど、翌朝には臭いは消えていた。
思うに、鼠のご馳走と毒が床下にあるんじゃないか? だからって床下を探す勇気なんて僕にあろうはずは無いよ。
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