第25話 失敗の証人
「おっじゃましまーす!」
現れたのはサラだった。顔にはいつものように遠慮のない笑みが浮かんでいる。
「あれ? 取り込み中?」
「今、終わったところだよ」
エリオが軽く背伸びをしながら席を立ち、資料をまとめる。去り際、ちらりとカイルを振り返った。
「情報が必要になったら、いつでも来い」
「……いいのか?」
カイルが聞くと、エリオはぶっきらぼうに言った。
「……もちろん、タダではないぞ」
それだけ言い残し、白衣の背は扉の向こうに消えていった。
「それで?」
サラはカイルの方を向き、にっこりと笑いながら言った。
「うんうん、元気そうで何よりだよ〜」
そのままカイルとネマの間に入り、両手を大きく広げて声を張る。
「そんな君たちに、ビックニュースがありま〜す!」
「ギルドから、呼び出しだろ」
カイルが先に答えると、サラはきょとんとした顔で小首を傾げた。
「そうだけど……誰から聞いたの?」
「ちょっと、ね」
曖昧に笑ってごまかすと、ネマがちらりとカイルを見た。問いかける代わりに、その瞳が静かに揺れていた。
「ま、いいけどさ。とにかく、ギルドから呼び出しだよ! ……ここだけの話、大きな依頼かも」
サラが声を潜めて二人に耳打ちをした。ネマは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにぱっと表情が明るくなった。
「……また何か、やれることがあるのかな」
一方カイルは、これから起こることを思いながら、暗澹たる気持ちになった。
⸻
ギルドに向かうと、リアンが二人を迎えた。応接室でリアンは、封蝋で綴じられた依頼書をネマの前に差し出した。
「実は私は、とある高貴な方からのご依頼を預かっています」
ネマは黙って聞いていたが、最後にはやはり、いつかと同じ言葉を口にした。
「私、やるよ」
そう言って、ネマはカイルをまっすぐに見た。
「お父さんとお母さんの研究を、最後まで見届けたい。二人が何を考えて、何に届かなかったのか……自分の手で、確かめたい」
その瞬間まで、カイルはどうやって逃げるか考えを巡らせていた。自分たちには到底できないだとか、工房で小さな仕事をしている方が性に合っているとか、色々な言い逃れが頭に浮かんだ。
しかし、カイルをまっすぐ見据えるネマの、その目の意志、その目の熱、その目の覚悟を見ると、逃げ出そうという気持ちは、完全に挫けてしまった。
……言えない。言えるわけがない。ネマにとって、これはただの研究ではないのだ。両親の足跡を辿り、目指した場所に辿り着き、二人の名誉を取り戻すための戦い。
カイルは、力無く頷くので精一杯だった。
⸻
夜。工房に戻ったカイルは、無言で夕食の準備を始めた。
ネマはその背中をしばらく見つめていたが、やがて声をかけた。
「……お兄ちゃん。昨日から、少し変だよね」
カイルの手がぴたりと止まる。
「倒れたのもそうだし、エリオさんに話した賢者の石の素材……どうやって知ったの」
カイルは、ゆっくりと包丁を置いた。
少しだけ目を伏せて、何かを言いかけるが、言葉が出てこない。
「……お兄ちゃん」
ネマがもう一度呼びかける。その声は、決して責めるようではなかった。
ただ、知ろうとしている。何かを共有したいと思っている。
「私には、教えてくれないの」
カイルはようやく口を開いた。喉が渇き、その声は少ししわがれていた。
「……未来を知ってるって言ったら、信じるか?」
ネマはぎょっとしたようにカイルを見た。
一瞬だけ口を開きかけて、何も言わずに閉じる。
驚きと疑念と、ほんの少しの信頼が、表情の中で交錯していた。
カイルは、息を吐いて、ゆっくりと言葉を継いだ。
「明後日、王都からの荷馬車が来る。その中に、父さんと母さんの研究ノートがあるんだ」
「最後から三分の一くらいのところに、詩が書いてあるページがあって……それが、賢者の石の暗号になってる」
静寂が落ちた。
キッチンの上で、包丁の刃に差し込む月の光が、微かに反射していた。
ネマは少しだけ視線を落とした。何かを飲み込むように、唇を結ぶ。
やがて、ぽつりと、呟いた。
「正直、まだ信じられない」
「でも、話したいことがあるなら、全部話して」
それからカイルは、すべて話して聞かせた。
エリオに語った両親の症状は、本当はネマ自身に起こったことだったこと。
エリクサーは万能薬などではなく、飲んだ人間の身体を水に還してしまう毒であること。
星墜石のブローチによって、自分が星返しの夜に戻ってきたこと——。
ネマは一度も口を挟まず、ただ真剣に聞いていた。
全て話し終えた時、ネマは椅子の背にもたれたまま、しばらく天井を見つめていた。
ネマは深く息を吸い込み、息を胸の奥に沈めた。
「……やっぱり、信じられない。というより、信じたくないかも」
カイルは俯いた。
しかし、次の言葉は予想していなかった。
「でも……ありがとう」
ゆっくりと顔を上げると、ネマは少し疲れたように笑った。
「お兄ちゃんが、必死になってくれてるって、分かるから」
カイルは何も言えなかった。
ただ、胸の奥が熱くなるのを感じた。
カイルは取り繕うように笑いながら、涙をこぼさないように言葉を探した。
「今日はもう、ご飯食べて、すぐに休もう。昨日、ちゃんと寝てないだろ?」
「……お兄ちゃんこそ。ずっと無理してたでしょ」
二人は静かに笑いあった。
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