11.彼女の覚悟 - side 深青

 *


 母に言われたことが頭の中から離れてくれないまま一日が経過した。

 今日、私は自分の部屋から一歩も外に出ていなかった。これまで通りの「深青」を演じながら生活できる気がしなかったからだ。


『あなたと光貴は姉妹なだけで、違う人であることに変わりはなかったのにね』


 「違う人」。そんな言葉が母の口から出てくるとは、夢にも思わなかった。

 だって、私は両親にとっては光貴の代わりでしかなくて、「私」のことなど今までもこれからも見えていないはずだった。

 少なくともこんな言葉、前回の時は聞いたことがなかった。


『どうして、今になって』


 母の前でこぼれ落ちた、あの時の言葉が私の気持ちの全てであったことに後々気付いた。

 光貴がいなくなってからは、光貴の代わりを演じなければいけなかった。そうしないと、「私」が消されたという事実に押し潰されて呼吸もできなくなりそうだったからだ。

 せめて誰かの期待に応えることで、なんとか「存在している」輪郭を保っていたのだと思う。


 母の言葉はまるで、今まで暗い箱の中で閉じ込められていたのに、そこに急に一筋の光を差し込まれたような感覚がした。

 それは、もしかしたら光貴がいた頃に浴びていた光と同じものだったのかもしれない。


 ――でも。


「……ここまで来たら、今更どうしたらいいかなんて、分からないよ」


 ただでさえ、多感な時期だと言われる中学生の頃から演じてきた身だ。演技をするのが当たり前になってしまった私は、その光を見ても希望を抱けなかった。

 寧ろ、両親の前で光貴の仮面を外すことに恐怖すら感じているように思う。


「……怖い?」


 思考回路がそこまで回ったところで、ふと私はそう呟いていた。

 演技から外れるのが、怖い? 私はずっと、誰か一人でもいいから「私」を見てほしかったのに?


 じゃあどうして、その希望通りの状況に辿り着けそうなのに、私はこんなにも怖いんだ?


 その時、カーテン越しに窓際の光が急に強まった。恐らく、ずっと雲に覆われていた太陽が顔を出したのだろうか。

 その光を見た時、私の脳裏に思い出される映像があった。




『深青ー! 早くこっちおいでよ!』


 幼い頃の光貴が、子どもらしい可愛い水着を着て、同じく幼い私に向かって、走りながら手を振っていた。

 そんな彼女を私は必死に追いかけていた。


『光貴、深青! あんまり遠く行かないのよ!』


『はーいっ』


 そんな声を背中に受けつつ、私は光貴の元へ走って行く。なんとか追いついたと思ったら、今度は手を引かれて、その弾みで海の中へ足を踏み入れた。


『わっ! なにするの!』


『へへー、深青、今からあたしと勝負だよっ!』


 そんなことを言いながら、光貴は波打ち際をぴょんぴょんと跳ねていく。そして水をぱしゃっとかけてきた。私もそれを真似て、光貴にかけた。

 飛沫が真夏の太陽に照らされて、子どもながら綺麗だと思った。




 あの頃は、光貴がいた頃は、紛れもなく私は「私」だった。大好きな姉と一緒にいることが、本当に幸せだった。

 それが今はいなくて、もう私の記憶の中にしかいない。思い返せば、光貴がいなくなってからは「私がこう言ったら、自分のことのように考えてくれる光貴はこう言ってくれただろうな」と考えることが多かったかもしれない。


 そこまで思って、ハッとした。私は「光貴」を演じることで、今は亡き姉の存在を近くに呼び寄せていたのだ。

 知らず知らずのうちに、私は幻想の光貴の存在に支えられて生きていたのだと、ここでようやく気付いた。


 私は、今になって「私」を取り戻すことで、今度こそ光貴が自分の側からいなくなってしまうことが怖かったのだ。

 今まで「光貴」を介して誰かと繋がってきた事実があるからこそ、そこに「私」はいない。でも、そこに「私」と相手だけが残されたら、前のようには繋がれない。


 もう、「演技」がなくなってしまうと、私は誰とも繋がれなくなってしまう。

 彼もそうだ。彼は本当の私を知らない。


 誰とも繋がれなくなるくらいなら、演技をやめたら孤独になってしまうことに気付いてしまうくらいなら、私はもう最後まで「演じ切って」しまった方がいい。

 もう、「私」を見つけてほしいなんて望まない。……でも。


 せめて、演技のフィナーレくらいは、私自身で決めたい。

 ――じゃあ、そのフィナーレに相応しいのは。




 その日の夜、私はスマホを片耳にあてて、相手からの返答を待っていた。


『――もしもし?』


 呼び出し音が途切れ、通話が繋がった。相手は彼だった。


「もしもし、雅哉くん? 急に電話したいって言ってごめんね。大丈夫だった?」


『あぁ、うん。大丈夫だよ。土曜日のことで相談があるって言ってたけど、どうかした?』


 彼の返事を受けて、私は言葉を発した。


「ごめん、やっぱり行き先、海から変えていいかな?」


『……えっ?』


「――急で申し訳ないんだけど、行きたいところがあるの」


 ベッドの前に置いてあるドレッサーの鏡に、丁度私の顔が映っている。

 そう言った私の顔に、もう迷いはなかった。

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