34 潜入捜査(ルシア視点)

「この街……何かが引っかかるんだよね」


 ルシアはあらためて周囲を見回した。


 暗殺者として培った観察眼――。


 それを生かし、違和感の正体を探る。


 具体的な何かではない。


 町行く人々の微妙な表情や、歩き方、身のこなし、漂う空気の流れ、匂い、聞き漏れる会話の調子――それら街を構成する要素の一つ一つを探り、組み合わせ、推測する。


 ルシアはやがて街の中心部にある宿屋にたどり着いた。


 とりあえず、今夜の宿はここだ。


「おや、旅の方ですかい?」


 宿屋の主人は愛想よく出迎えてくれた。


「そ。ここは栄えてるみたいだね」

「この街はフォルバ様のおかげで本当に豊かですから。領民はみんな、フォルバ様を敬い、感謝しているんですよ」

「へえ、いい領主様なんだ?」

「それはもう」


 よどみのない返答。


 けれど、その笑顔はどこか作り物臭いとルシアは感じていた。




 それから数日。


 調査の末、ルシアはある一つの疑念にたどり着いた。


 夜になり、宿屋を抜け出すと、領主であるフォルバ伯爵の屋敷へと向かう。


 事前に調べたところによれば、領主らしく厳重に警備されているようだが――。


(あたしにかかればザルよね、ザル)


 ルシアは己の実力に絶対の自信を持っていた。


 失敗などするはずがない。


 やがて屋敷に到着した。


 物陰から正門をうかがうと、警備兵が何人もいて、やはり正面突破は無理だろう。


 ルシアは裏手に回り、軽やかに塀を乗り越えた。


 獣人ならではの身のこなしと跳躍力だ。


 庭の茂みに身をひそめながら、屋敷に近づいていく。


 警備の目をかいくぐり、屋敷の書斎に侵入することができた。


 そこには、ルシアが探していた『証拠』がそろっていた。


(人身売買の台帳――)


 フォルバ伯爵が違法な人身売買を取り仕切っている……そして、それはどうやら宮廷の中枢にまで関係しているようだ。


 ここに来る前にカミーラに聞いたとき、彼女は暗にそう匂わせていた。


(ま、こんなのはジルダには任せられないよね)


 闇に生き、闇に蠢く――自分のような裏社会の人間だからこそ暴けるものもある。


 証拠を手にしたルシアは、静かに部屋を後にした。




 後は警備の目をかいくぐり、脱出するだけだ。


 ルシアにとっては造作もないことだ。

 と、


「そこまでよ、子猫ちゃん。他人の持ち物を勝手に持ち出すなんて、ちょっと手癖が悪いんじゃないかしら?」


 背後から突然声が響いた。


「……!」


 ルシアはハッと振り返る。


(暗殺者であるあたしが――こんなにあっさり背後を取られるなんて)


 歯噛みしながら前方を見据える。


 人間をはるかに超えた暗視能力を持つ彼女は、闇の中にはっきりと相手の姿を捉えていた。


 褐色の肌に白銀の長い髪、刃のように尖った耳。


 そして漂う強大な魔力――。


「エルフ……いや、ダークエルフだね」

「ゼノヴィアよ」


 彼女が名乗った。


「……いつからあたしに気づいてたの?」

「最初から、よ」


 ルシアの問いにゼノヴィアが笑う。


「まったく、情けない警備どもよね。だけど私は違う。屋敷の全域に張り巡らせた探査魔法であらゆる侵入者を捉える――」


 ゼノヴィアがスッと目を細めた。


「誰も、逃がさない」


 言って、腰の剣を抜いた。


 ぶんっ!


 次の瞬間、超速で繰り出される剣を、ルシアは大きく跳び下がって避けた。


「……けっこうやるみたいだね。上級騎士並みか、それ以上――」


 さすがにあの姫騎士レナや元勇者のゼオルには劣るだろうが、それでも十分に一流の太刀筋だった。


 戦士ならぬ暗殺者のルシアでは、純粋な剣の勝負になれば勝ち目はない。


「……ま、勝つつもりもないけど」


 そう、暗殺者にとっての勝利は正面からの戦いを制することではない。


 生き延びて、任務を達成すること。


 ただ、それ一つだ。


(そうと分かれば、逃げの一手だね、これは)


 ルシアは内心でつぶやいた。






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