Scene23:天秤
僕は、異様な空間に立っていた。
ここは天なのか、地なのか。――あるいは、その狭間なのか。
天井はない。見上げれば、星々が浮かぶ夜空……のように見える。
だが、よく目を凝らせば、そのひとつひとつが“目”のように蠢いていた。
壁のようなものには血管のような筋が浮かび、赤黒く脈動している。
地面はぬめりを帯びており、歩くたびに“鼓動”のような音が足元から響いた。
まるで、世界そのものがひとつの巨大な生き物――
それも、永い眠りから目覚めようとしている“神”の体内のようだった。
――そして、目の前に。
高くそびえる玉座に、ひとりの男が座していた。
男は、血に濡れたような赤い能面を顔に嵌めていた。
その面には幾筋もの赤黒い亀裂が走り、まるでかつて流れた血が乾き、今なお呻き続けているかのようだった。
漆黒の衣には、実際の鴉の羽が織り込まれているのか、動くたびに微かな羽音を立てる。
それは人の装束というより、神獣の剥製――あるいは、死神の遺骸に近かった。
男の周囲の空気は歪み、空間そのものが崩れ去っていくような錯覚を与えていた。
「金の申し子よ。そなたを、待っていた」
重く響く声。
――ここはどこだ? 和真は?
僕の身体はどうなった?
次々と疑問が頭の中を駆け巡る。
「ここに導くのは、曖昧でなければならなかった。……こちらへ」
玉座から手が伸びる。
その指先には、鋭い爪簪が光を孕んでいた。
僕は辺りを見渡した。
そして、改めてここが“生と死の狭間”にあることを理解した。
玉座の傍らには、無表情のまま立つ鳳城の姿があった。
立ち尽くしていると、後ろから金色の玉座が現れ、僕の身体を掬い上げる。
そのままゆっくりと、鞍馬天狗と向き合う位置へと移動した。
「我が名は――
このゲームの“最終者”となった者だ」
「そちが
「……お前は、何がしたいんだ・」
「――消えた小役角。あやつも、元は人間だった。」
「怨念に身を焦がし、形を保つほどに、何を守ろうとしたのか……。
所詮、人間ごときが“秩序の番人”を気取ろうとは――片腹痛いわ」
「だがな。あやつのなかに“誠”があるのなら……
我のなかの“正義”もまた、あって然るべきではないのか?」
僕は睨みつけた。
だが鞍馬は、まるで赤子の駄々のように受け止めたらしく、鼻で笑った。
「我はずっと、この世を見てきた。……そう、ずっとだ。
お前たち人間が繰り返してきた歴史――その“天秤”であり続けてきた。」
「だが……気づいたのだ。もはや、その必要などないと」
「…………」
「清明。……そちも分かっているのだろう?」
人間ほど無意味な存在はない。湧いては消える、蛆虫のようなものだと。」
ヒヤリとした視線が、僕を貫いた。
「そういえば……」
ギィー……ギィー……ギィー……
首を紐で繋がれた鴉が、一羽、鞍馬の肩で暴れた。
「我の鴉のなかに、雑魚が混じっていたな」
ギャッ!――甲高い鳴き声と共に、その首が容赦なく捻じ切られる。
鴉の亡骸は、ぽとりと僕の膝の上へと投げ込まれた。
「流石だな、安倍晴明。その力は、確かだ」
次の瞬間、鴉の亡骸は黒い靄となり、僕の手の甲へと戻っていった。
「――いつから、我の存在に気づいていた?」
鞍馬の視線が、ふっと鳳城へと向けられる。
「……ははは。そうか。鳳城か! あれを通して、我を知ったのだな?」
「……そうだ」
――ここには、和真の身体がある。
下手に動いては、きっと――駄目だ。
鞍馬の声が、どこか楽しげに昂っていく。
「人間が崇めた神に、生贄を捧げてきた。……それは善行なのか?」
己らの所業は、意味嫌ってきた“悪”と何ら変わらぬ。
だが、それを“崇高な祈り”だと信じて疑わない。」
その声は、まるで虫けらを弄ぶかのような愉悦に満ちていた。
「ククク……鳳城。あれは“人間と交わりし子”よ」
鳳城は、無表情のまま前を見据えていた。
――そのとき。
鞍馬の視線が、僕の背後に集中した。
「――匂うな。……混ざりものの、匂いがする」
(……和真の中の、巳神に気づいたのか!?)
背筋を冷たい汗が這い、染み出す。
だが、ここで狼狽すれば――
奴の意のままになる。
――どうする……?
「そう、清明。和真とやらは、お前が大切にしていたようだな
ならば――あやつの首と、この天地の均衡。果たして、どちらに価値がある?
くくく……」
見透かされた―――!
「鳳城。あやつの首を、獲ってまいれ」
鳳城は、駒のように躊躇なく動き出した。
「鳳城!」
大声で叫ぶも、僕の身体は玉座に縫いとめられたかのように動かなかった。
「いいではないか。鳳城は、我がつくった駒。意志など、とうにない」
鳳城は静かに、和真の傍へと歩み寄る。
その手には、細身の短剣が握られていた。
ためらいなく、刃先が和真の首元へと突きつけられる。
「なぁ、清明」
「もどかしいだろう?
――和真を解放する代わりに、我とともにあると誓うか?
それとも……お主の“信じる正義”を、貫くか?」
「さて……どうする?」
身体が、強張った。
鞍馬の言うとおりだ。
僕は自分のなかの“善悪”で、この決断を下していいのか……?
―――いや、違う。
和真は……何を、願う?
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