Scene13:転送


体育の時間。

列をなして体育館に向かう生徒たちは、まるで操り人形のように無言で整列していた。


俺はその最後尾。教室を出るときから、背中のあたりがぞわぞわしていた。


(嫌な空気……)


体育館に入った瞬間、胸の奥がチリ、と痛んだ。

天井の高い空間には、どこか粘つくような重さが漂っていた。


床に並ぶバスケットのコートラインが、なぜか今日に限って違って見えた。

いや、見えたというより――視界の端で、奇妙なズレが生じていた。


俺は壁際に背中を預けながら、生徒たちの動きを目で追う。

ドリブル練習を始めた生徒たちの動きが、何かに誘導されているように感じた。


(なんだ……?)


そのときだった。

足元に置いていたスマホの画面が、ふっと明滅した。


《Kaleido:三角は、境を曇らせる》


画面を見た瞬間、心臓がドクンと跳ねた。


(まさか……!?)


目を凝らすと、生徒たちが無意識のうちに“△”の位置に並んでいた。

その中心で、淡く光る紋が浮かび上がる。


金色と銀色――三角形の輪郭が、微かに床を照らしている。

けれど、それが見えているのは俺だけだった。


(視えてる……これって、発動条件だったのか)


チェス盤みたいな床。

その配置が、ある形を描いたときにだけ“あれ”が現れる。


そして、次の瞬間――


「やばい!そこから出ろ!」


俺は思わず叫んでいた。


和真が、ちょうどその△の中心に足を踏み入れようとしていたのだ。


だが、声は届かなかった。


その瞬間、空間がぴしりと揺れた。


……空気が、やけに澄んでいた。

本来、そこに漂っているはずの“何か”が、欠けている。

気配だけが、ぽっかりと残されていた。


それが、逆に、恐ろしかった。


(千夜……!)


壁際から一歩前に出た俺は、霧のような存在が和真にまとわりついているのを見た。


霊体――いや、違う。

あれは“形を保っているように見せかけている何か”だ。

ところどころ透けていて、輪郭が歪んでいる。

人間のような姿をしながら、明らかに別物だった。


(あのとき感じた違和感……これだったか!)


千夜はそっと手を伸ばし、和真の身体に触れた。


ずるりと、魂のような光が引き抜かれる。


肉体はその場にあるのに、魂だけが抜かれていくように。


「和真っ!!」


俺は走ろうとした――けれど、踏み出せなかった。


(……くそっ、紺……お前、動かねぇのかよ……!)


俺の中の“狐”――紺は、ぴくりとも動かなかった。

忠犬だから動かない? 違う。

あいつは見てる。状況を測って、まだ“その時”じゃないと決めてる。

……俺の苛立ちすら、黙って観察してやがる。


けれど今、身体の芯がざわめいていた。

まるで、封じられた力が怒りに呼応するかのように。


(それでも……俺が、あいつらを守らなきゃ、誰がやるってんだよ)


そのときだった。


背後からぞわりとする気配が背中をなぞった。


振り返ると、そこに立っていたのは鳳城高人――


……のはずだった。


けれど、一瞬だけ彼の身体が滲んだように見えた。

まるで、別の何かがその身体の奥から顔を覗かせようとしているように――


(……なんだ、この匂い)


人間のものとは違う。

妖のような、でも霊でもない。何かが混じっている。

その“気配”に、俺は本能的に戦慄した。


(こいつ……まさか)


鳳城の視線が、翠を捉える。


その目は、普段の柔らかさとはまるで違っていた。

冷たく、射抜くような、嗜虐性すら帯びた光を孕んでいた。


(これ以上、今の翠に近づけさせるわけにはいかない!)


俺の中に熱が走る。

皮膚の下を炎が這いずるような感覚。


(あいつ……千夜。次に会ったら、ただじゃおかねえ)


俺は牙を剥いた。


――ほんと、世話がかかるふたりだ。


体育館の中央に、ボールがひとつ、虚しく転がっていた。

和真の身体はまるで抜け殻のように、静かに横たわっている。


ただ、沈黙だけが支配していた。


翠は――動かない。

立ち尽くし、声も出さず、息をしているのかすら分からない。


(……こいつって、こんな奴だったか?)


俺の知ってる翠は、もっと――。

いや、それすらもう、自信がない。


でも、いまは……和真を、追わなきゃ。

焦りが胸を焼く。


「なぁ、翠。お前って、一体なんなんだよ」


静寂を裂いた自分の声に、我ながら苛立ちが滲んでいた。


「……」


「俺にとっちゃ、和真なんて正直どうでもいいんだよ。だって、本来は――お前と俺だけで成立してるはずだった」


押し殺していた感情が堰を切ったように溢れていく。

怒りなのか、焦燥なのか、それすら曖昧だった。


横目に転がる和真の身体が映る。


(……和真、ダメかもしれない。このままじゃ、ゆっくり腐ってく)


そのとき――

空気の中に、ほのかに浮かび上がる光。

白金色の、糸のような“気配”が立ちのぼっていた。


魂だ。

蓮の背筋が凍る。


そこに――鳳城が現れた。

まるで壊れものを扱うように、迷いのない手つきで、和真の傍へと歩み寄る。


彼の手には、黒曜のスマートフォン。

その動きは不自然なくらい静かで、逆に不気味だった。


鳳城はスマートフォンを手に取り、静かにカメラを起動する。

レンズの先、白金色の魂が揺れている。


「君がいなきゃ、始まらない」


その呟きは誰にも向けられていないのに、やけに甘く、深く染み込んでくる。


シャッターが落ちた瞬間――

和真の魂は、液晶の奥にすうっと吸い込まれていった。


鳳城の指が、その画面をゆっくりと撫でる。


「……大事な駒だからね。壊すつもりはないよ」


その直後、画面にログが走った。


《 Kaleido -特別記録ログ- 》

《ID転送:0921 → 1290》

《報酬:+91pt(キング補足ボーナス)》

《備考:ID変換補足につき、特別レート適用中》

《注釈:裏ログ群へ送信完了》


蓮は思わず息を呑んだ。


(今の、なんだ……?)


画面には、次の運命の通知が浮かんでいた。


《Kaleido -次回予告-》

《 “欠落”の連鎖が始まります》

《 キングは選ばれ、駒は裏返る 》


鳳城は何も言わず、スマートフォンをポケットにしまい、

静かに、音もなくその場を去っていった。


その背中を、誰も追えなかった。



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