Scene18:忘却

ひゅん、と風を切る音が聞こえた。

足元には、焼け跡のついたカラスの羽が舞い落ちてくる。

ゆっくりとそれを拾い上げると、その下に金色の鈴が転がっていた。


チリーン、チリーン……。


――カラスたちよ。許しておくれ……。


かすかに、老婆の姿が浮かんだように思えたが、すぐに消えてしまった。


「そうだったのか……カラスは、あの老婆を生き返らせたかったんだな。

それに気づいた狐に、利用されてしまった……。

この鈴は、助けを求めた老婆の願いだったんだな……」


鈴は掌の中で、からん……と割れて、粉々に消えていった。


残されたのは、この空虚感だけ――。


僕は、あのとき、すべてを投げ出してしまった。


「翠……」


和真が歩み寄ってくる。

けれど僕は、彼の顔を見ることができなかった。


「和真は、全部知っていたんだろ……それを責める気はないよ。

……今は、ただ……」


僕の瞳から、すっと涙が流れた。


シャラン、シャラン……。

悲しさを帯びた、やさしい音が響く。


もう、二度と逢うことは叶わないのだろう。――あの、袈裟の男に。


でも、それ以上のことを思い出すことはできなかった。


和真は、何も言わずに、ただ僕の肩をそっと抱き寄せた。


「翠!」


漣が、僕の前に立つ。

ゆっくりと右頬へと手を伸ばしてきた。


右頬の鳥居は、生々しい赤で彩られている。


「九尾の狐よ。我は安倍晴明なり。お前を従属とする。

紺と名乗り、漣とともにあれ」


「狐」の文字が鳥居の中で渦を巻き、狐の目が現れる。


「……御意」


その眼には、もはや敵意はなかった。


「ふふ……和真。僕、どうやら安倍晴明と融合しちゃったみたい」


緊張と疲労が吹き飛んだのか、思わず笑いが込み上げてくる。


和真は、なんとも言えない表情で僕を見つめていた。


「僕の身体の中には、漣と紺、そして僕自身は清明……

なんか、ややこしくて、笑えてきちゃうね」


「翠。俺は“巫”としてじゃない。

人として、ずっとお前のそばにいることを誓うよ」


――和真の誓い。それは懺悔にも聞こえた。


僕は、小さく頷いた。


和真が両手を合わせ、空を切る。

その瞬間、空間が歪み、校舎が見えた。


少し離れた場所に、由奈が倒れていた。

でも、彼女の胸はかすかに上下している。――確かに、生きていた。


その姿を見て、思わず涙がこぼれそうになった。


傍に駆け寄ると、血色の良い肌、傷ひとつない身体に戻っていた。

胸の奥から、安堵の息が漏れる。


「ふぅ……これで、本当に終わったんだな」


「ああ。由奈自身に、今回の記憶が残らないように消しておくよ」


僕は、由奈の額に人差し指と中指をそろえてかざした。

口元から、自然と祝詞が零れる。



――ゆらり、ゆらりと、遠くへおもむけ。



一瞬、水色の光がふわりと現れ、空へとすっと流れていった。


「翠……」


心配そうな顔で、和真が僕を見ている。


「大丈夫。清明は僕であって、僕は清明だから……」


―――― 第2章 完  ―――― 



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