Scene6:予兆

喉の奥が焼けるように熱い。


高熱にうなされているかのように、全身から汗が噴き出していた。


呼吸をするたび、気管が膨張し、ヒューヒューと不気味な音が鳴る。


視界には霞がかかっていて、その中心になにかが浮かんでは消える

――繰り返すように。


一体、それが何なのかは、わからなかった。


昨晩から降り続く雨は、いつのまにか暴風雨に変わっていた。


窓を叩く雨音が、室内にも鋭く響き渡る。


……自分の身体に、何かが起きている。


その確信だけはあった。


昨日まで何の違和感もなく食べられていた料理。全部、好きなものばかりだった。


今日の夕食も、私の大好物のからあげだった。


なのに――。


揚げたての香ばしい匂いを嗅いだだけで、込み上げてくる吐き気が止まらない。


喉の奥が酸っぱくなり、胃の中のものが波のようにせり上がってくる。


トイレに駆け込み、すべてを吐き出した。


それでも、まるで何も出ていないかのように、苦しさは続いた。


最初は風邪か、もしくは食中毒かとも思った。


……でも、違う。


そんな生ぬるいものじゃない。


なぜなら、私の目の前に――。


黒い塊が、ずっとこちらを見ているから。


それは幻覚なんかじゃない。

確かに、そこにいる。


そして、ずっと私を――見ている。

直観でわかる。あれは、“みえてはいけないもの”。


私は布団に潜り込み、強く目を閉じた。

見たくない。もう、消えて。お願いだから。


でも――祈りは届かない。

まぶたの裏にも、それは焼きついていた。

私の前から離れるつもりは、ないらしい。


チリーン……チリーン……


昨日、拾ったあの鈴が突然鳴りはじめた。


「……え? なんで……? 引き出しに入れてたのに……」


音は、机の方からしていた。

宝物みたいに思えて、大事にしまっておいたはずなのに。


チリーン……チリーン……


誰もいないはずのこの部屋で、誰が鳴らしてるの?

ゾワッと、全身が凍りつく。呼吸すらままならない。


カァァァァ……カァァァァァ……


窓の外じゃない。すぐ近くで――カラスの声。

ぎょろりと目を見開いて、机の上を見る。


そこにいた。


犬くらいの大きさの、真っ黒なカラス。

鋭い嘴。光る眼。私を見ている。


――怖い。怖い、怖い、怖い。


泣き叫びながら、何度もドアノブを回したが、まったく開かなかった。

もう駄目だと諦めかけた、そのとき――

「ガチャッ」と重い音を立てて、ドアが突然、開いた。


私は逃げることしか考えられず、這うようにして廊下を進み、階段の前までたどり着いた。

その瞬間――足がもつれ、視界がぐるりと回転した。


「あっ……!」


頭から壁にぶつかりながら階段を転げ落ち、最後は下の床に叩きつけられた。

額の皮膚が裂け、血が髪にべっとりとまとわりつく。

壁にも血の筋が残り、視界の端でそれが赤黒く滲んでいた。


「いたい……いたいよ……」


泣きながら、痛みに耐え、指先で床をかきむしるようにして這おうとする。

必死で前に進もうとした――早く……早く、ここから逃げないと……


だが、その瞬間。背後から――


羽音が迫った。


「……!」


部屋から飛び出してきたカラスが、私の足を鋭く掴んだ。


ズズズズズズ……!


「やめてえええええぇぇぇぇぇっっ!」


両足が強く引かれ、つんのめった身体が後ろへ引きずられる。

床に爪を立てて必死に抵抗したが――

メリメリと音を立て、両手の爪が剥がれていった。


痛みと恐怖が限界に達したその瞬間、世界がぐらりと傾いた。


――そして、ふいにすべてが、静かになった。


視界が暗くなり、私はまるで水の底に沈んでいくような感覚に包まれた。


「……っ!? はぁっ、はぁっ……!」


飛び起きると、私は自分の部屋の布団の中にいた。

息が荒く、全身は汗でびっしょり濡れている。

喉が焼けるように乾いていた。


夢――だったのか?


そう思ったその瞬間、腕に鈍い痛みが走る。

めくってみると、そこには――うっすらと、爪が剥がれたような跡が残っていた。


鼓動が一気に早まる。


夢じゃない。

あれは、現実だった。


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