第1章:エピローグ
「……えっ、なに、これ?」
寝起きの頭では状況がうまく呑み込めなかった。
もふもふとした何かが身体に巻きついていて、そのぬくもりだけが、やけに現実的だ。
「なにって……寝ぼけてんの、翠。まさか……」
「まさかって?」
ぼんやりと辺りを見回した僕の目に映ったのは、信じがたい光景だった。
銀色の毛並み。赤く大きな瞳。鋭くとがった牙を持つ口元――それが、すぐ目の前にあった。
「ひゃっ!」
息が詰まる。噛まれる、そう思った。
「ははっ、やっぱこの姿じゃビビるか!」
楽しげな声が響く。どこか聞き覚えのある声音だった。
「なにこれ、犬……? 狼……?」
「本当に覚えてないの? 昨日のこと」
その“狐”は、僕の隣でずっと添い寝していたらしい。
「……狐、だよ」
その言葉で、昨夜の記憶が脳裏に蘇る。――あれは夢なんかじゃなかったんだ。
思わず肩を落としたそのとき、階下からバタバタと駆け上がってくる足音が聞こえた。
バンッ!
勢いよく扉が開く。
「翠っ!」
肩で息を切らしながら、真っ赤な顔の和真が部屋に飛び込んできた。
彼の目に映ったのは――今にも僕に飛びかかろうとする、銀色の巨大な狐。
「離れろ! 翠、大丈夫か!」
勢いのまま、狐と僕の間に割って入る。
「ぷはっ、最高すぎる……!」
狐が笑い声を上げたかと思うと、くるりと身をひねり、姿を変える。
昨日見た、“僕と同じ顔”――紺が、そこにいた。
「こ、
ベッドの上で、紺は腹を抱えて笑い転げている。
「ごめんごめん、ちょっとした悪ふざけ。そんなに怒んなって」
「お前……っ!」
和真の顔には怒りが浮かび、震える手を必死で抑えていた。
紺はそれをいなしながら、僕へと手を差し出す。
「翠、昨日の話、覚えてる? しばらく、君のそばにいるって言ったよね」
「う、うん……」
「大丈夫だよ。僕は翠の味方だし、邪魔なんかしない。信じて」
「……紺。紺、なんだよね?」
「うん。そうだよ」
まっすぐな眼差し――どこか優しさを宿していた。
「……俺は反対だ」
和真が低く言い放つ。
「あんな目に遭ったのに、なんでお前を信じなきゃいけない。俺は絶対に認めない」
普段は穏やかな彼が、ここまで感情をあらわにするなんて。
僕は戸惑っていた。
「和真は黙っててよ。これは僕と翠の話だから」
紺が静かに言う。
「ねぇ、翠。改めて聞くけど……僕、君のそばにいてもいい?」
向けられる視線は真っ直ぐで、迷いがなかった。
――僕と同じ姿をした、“僕”
「……うん。いいよ、紺」
そう答えた瞬間、紺は嬉しそうに飛びついてきた。
「本気かよ、翠……」
和真が、肩を落とすように呟く。
「紺。いいか、翠がいいって言っても、俺は認めてないからな。またあんなことになったら、絶対に許さない」
その視線に、紺は「やれやれ」とでも言いたげにため息をついた。
「……そもそも、自分たちのせいじゃないか、それ」
「まぁまぁ。僕、紺が悪い子だとは思ってないよ。だって助けてくれたのは紺だったし。それに……」
言葉を飲み込む。
――この気持ちの理由を、知りたい。
もっと紺のことを、知りたい。
そんな好奇心が、僕の中で膨らんでいた。
「そうと決まれば、学校に行こうよ。僕、学校に行ってみたい!」
紺は子どものようにはしゃぎ、飛び上がる。
「で、時間、大丈夫?」
ふと掛け時計を見上げた紺の言葉に、僕ははっとする。
「えっ、今何時!? 和真!」
時計の針を見る。
――やばい、こんな時間……!
「急いで準備しないと!」
「うわ、マジでヤバイじゃん。翠、まだパジャマだし!」
和真の言葉に現実へ引き戻される。
僕はまだ、まるで夢の中にいたような格好のままだった。
「ああ……今日の朝礼、小林の進路指導だったよな。急げ、翠!」
慌てて準備を始める僕を、紺はきらきらした眼差しで、どこか嬉しそうに見守っていた。
第1章 完
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