第21話:勘違いしている凡才以下(お題21日目:海水浴)

 ヤナラ塩湖には、燦々と太陽の光が降り注いでいる。フィムブルヴェートの外には、この湖など比較にならない広さの「海」という水溜まりが広がっている、と語ったのは、師匠だったか。

「『霧』の外を見たことも無いくせに、耄碌してやがりましたわね」

 露出の高い水着に身を包み、ハンモックに寝そべって、大汗をかいた赤鎧のヴィフレスト兵に大団扇を扇がせて風を送ってもらっている女は、サングラスをずらしながらぼやいた。

 フィムブルヴェートでは、湖や川で泳いで涼を取ることを、『海水浴』と呼ぶ。大陸がまだ『霧』に覆われていなかった頃の名残だというが、眉唾物だろう。

 烏の濡れ羽のような漆黒の髪をかきあげ、近くの台に置いてある、きんきんに冷えたエールの注がれたカップに手を伸ばした時。

「エ、エキドナ様!」

 あわてふためいた兵が向こうから走ってくるのに気づき、女は優雅なバカンスを邪魔された苛立ちに、顔をしかめた。

「何です? 美しくない慌てぶりで。わたくしの邪魔をすればどうなるか、わかってやがりませんの?」

「は、ははっ! 申し訳ございません! しかし」

「しかし、何?」

 サングラスの下から灰色の瞳を覗かせて、女――エキドナ・フォンデールは兵を睨み付ける。しかし、続けられた報告に、海水浴にも関わらずしっかりと化粧を施した顔が、驚愕に満ちた。

「反乱軍に竜族が合流し、ウィルソン・ガルフォード捕獲にも失敗いたしました! 奴らは既にハルドレストから行方をくらましております!」

 エールを取ろうとしていた手がぶれて、カップが台からこぼれ落ち、地面にぶつかって砕け散る。

「……何故!?」

 ぎりぎりと、真っ赤な唇が歪む。

「わたくしの策は完璧だったはずですわ! わたくしは天才なのだから! だのに、腑抜けのガルフォードを取り逃がしやがったんですの!?」

「どうやら、竜族に説得されて奮起したようです。兵を全滅させたのも、ハルドレストを抜け出したのも、ガルフォードの指示のもとかと」

 エキドナは目を見開いて、寒くもないのにぶるぶると震える。ウィルソンを足蹴にして、自分のほうがお前より優れていると、ヴァーリ様に必要とされているのは天才の自分のほうだと、嘲笑ってやるはずだったのに。

「ヴァーリ様は酷くお怒りで、腹いせに家臣を『鬼』に喰わせております」

 兵はがたがた身を震わせながら、鬼王の命令をエキドナに伝える。

「かくなる上は、ガルフォードが合流する前にヒオウ殿下を討ち、反乱軍を殲滅せしめろと。さもなくば」

「それ以上はもういい!!」

 怒れる虎のような我鳴り声をあげて、エキドナはサングラスを兵に叩きつける。

 悠々と作戦成功の報を待つはずが、がらがらと背後が崩れて崖っぷちに立たされた。口紅と同じ色に塗った爪をかちかち噛み、ぐるぐる考えを巡らせる。

(どうする、どうする、どうする)

 ヴィフレストにて同じ師の下で学んでいた時、常に上の成績を修めていたあの憎たらしくも愛しい、すました顔が脳裏を横切る。シャリルが死んだ時、手に入ると思った男は、自分を見向きもせずにヴィフレストを去ってしまった。

 ヒオウ王子と竜族を討ち、ウィルソンを捕らえて、ヴァーリの前に引き出すしか、生き残る道は無い。それしか鬼王の怒りを鎮める方法が無い。

「……第三大隊を動かしなさい」

「そ、それはしかし」

「しかしもお菓子もありやがるかってんですのよ!!」

 頭の悪い一般兵には、本当に反吐が出る。エキドナは怒鳴り散らし、ハンモックから降りると、台の上にあったエールの瓶をつかみ、一気にあおって、そのまま兵の頭に叩きつけた。

 同じようにしてやる。

 女ごときで軍師の道を降りたウィルソンの頭を殴って、真の天才は誰なのか、教えてやるのだ。


 それこそが、ウィルソンの評価通り、凡才以下であるとわからぬまま、エキドナは高笑いを響かせた。

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