第17話:抜け殻の英雄(お題17日目:空蝉)

 ゼファーとアバロンは、思わず不思議顔を見合わせてしまった。そもそも生まれが別々である竜族の親きょうだいはともかく、ひとの家族というものは、血の繋がりがあって、顔が似ると言う。だが、モリエールと、目の前の男は、到底似通っているようには見えない。

「ウィル兄さん」

 明らかに歓迎していない様子の男に対し、モリエールは怯むこと無く声をかけた。

「兄さんの力が必要になりました。あのお方を助ける為に、兄さんの頭脳を貸してください」

 しばらくの沈黙の後。

「……モリー。お前」

 ウィルソンは半眼になって己の妹を睨みつけた。

「お前は軍師の才を振るうなと、俺が籠る時に言いつけたはずだ。なぜ守らなかった」

 モリエールはぐっと言葉に詰まる。この兄妹の間にどういう事情があったのか、竜兵ドラグーン達には到底想像が及ばない。だが、ウィルソンがモリエールの現在の立場を咎めているのは、言葉に込められた針でぴりぴりと伝わった。

「俺はもう、誰の為にもこの頭を使わないで腐らせる。二度と来るな」

 そう言い残してウィルソンは扉を閉めようとする。そこに反射的に、ゼファーは靴先を挟み込ませて、ぎんと相手を見据えた。

「それがきょうだいに対する態度か!?」

 義憤だとわかっていても、やっと凪いだばかりの感情がふたたび荒ぶるのを止められない。

「モリーは、ヴァーリの襲撃で仲間を沢山失ったばかりなんだ! ぼくだってカイトを、友達になれるかもしれなかった人間を死なせてしまった!」

 ぼさぼさの前髪の下で、ウィルソンが驚きに目を見開く。

「お前は……竜族? 竜族が……人間と友だと?」

「あなたに、今のヴィフレストをただせる力があるなら、何故使わないんだ!?」

 激情に任せてウィルソンの胸倉に掴みかかりそうだったゼファーを、しかし横からモリエールが遮った。

「ゼファーさん、やめて。いいの。わたしが悪いんです」

「だって!」

「ゼファー」

 更に激昂するゼファーを、アバロンが嗜めるように呼んで、念話を送ってくる。

『私達には介入できない事情があるようです。気持ちはわかりますが、一度引いてモリエールの話を聞きましょう』

 いつも毒舌に満ちた長兄が、いつに無く静かに諭してくる。その冷静さに、ゼファーも行き場の無い拳を握り込んで、引き下がるしか無かった。

「……二度と顔を見せるな」

 ウィルソンが冷たい拒絶を叩きつけて、扉は閉じられ、鍵のかかる音がする。モリエールがうつむいて、深いため息を洩らすのが、長く耳に届いた。

 三人はしばし無言で立ち尽くしていたが。

「ヴィフレスト一の天才軍師に妹がいるとは、知りませんでした」

 アバロンの言葉に、モリエールはのろのろと顔を上げた。

「ガルフォードの姓の時点で気づくべきでした。彼は、『虹王国稀代の軍師』、ウィルソン・ガルフォードですね?」

「今は、蝉の抜け殻みたいなものです」

 モリエールは額に拳を当てて眉間に皺を寄せ、悪夢を思い出すかのような表情で語る。

「兄さんは、わたしの実の姉シャリルの夫です。いえ、でした」

 人通りの無い通りを選びながら船に戻る道中、モリエールは滔々と話した。

「兄さんと姉さんは、ヴィフレストの王家付き軍師と、傭兵として出会いました。最初は意見がぶつかり合ってばかりだったそうです」

 だが、本音をぶつけ合うからこそ、相手を理解するのも早かった。やがて無二の友になった二人の間に愛が芽生えるのは、時間の問題だったという。

「兄さんは、既に親のいなかったわたし達姉妹の為に、わたしもガルフォードの姓に入れてくれました。でも、あの事件が起きて」

「あの事件?」

「『アルストラの反乱』ですね。彼がそれを最後にヴィフレストを去った事件」

 ゼファーは全くわからずに首を傾げたが、ゼファーより外の世界を知っているアバロンの指摘に、モリエールの苦しそうな表情が、さらにつらさを増した。

「アルストラという都市が王家に反逆したという触れ込みで、兄さんを軍師に、姉さんを傭兵団長に、兵士達が送り込まれました。だけど実態は、重税に苦しむ、武器も無い農民達のせめてもの抵抗でした。姉さんは正義感の強い人だった。農民達の味方につき、ウィル兄さんは、姉さんに罪は無いというヴァーリの保証のもとに、ヴィフレスト側として鎮圧の策を立てて」

「アルストラ側は、全員虐殺されたと聞き及んでおります」

 アバロンの指摘に、モリエールは痛恨の極みを顔に宿して、小さく頷いた。自分の妻を自分の策で死に追いやった軍師の絶望は、ゼファーに到底はかり知れない重みだ。自分が食ってかかってしまったことを、今更恥じる。それでも、消えない炎は心にあった。

「ヴィフレストと戦うならば、ウィル兄さんも奮起してくれないかと思いましたが、兄さんの心の傷を抉り直しただけでしたね」

 モリエールは自嘲気味に笑って、しかしすぐに笑みを消す。

「諦めたら駄目だよ!」

 思わずゼファーは声を高めていた。

「ヴァーリは放っておけない。あいつは、今このフィムブルヴェートにとって、『ユミール』並の脅威になっていると思う。誰かが止めないと、アルストラの悲劇が、二度も三度も起きてしまう。モリーの兄さんが天才なら、力を貸してくれるまで、説得すべきだと思う!」

 モリエールもアバロンも、目を瞠ってゼファーを見る。いつの間にか熱弁を振るっていたことに気づいて、「あ、あの」とゼファーは耳に手をやった。

「ご、ごめん。モリーもお兄さんもつらいのに、こんなこと」

「いいえ」

 ゼファーの謝罪に、モリエールは毅然とした態度を取り戻して、首を横に振った。

「ゼファーさんの言う通りです。兄さんには、過去を乗り越えてほしい。その為にも、空蝉のままではいてほしくありません」


『空蝉って言うんだ。蝉の抜け殻』


 その単語を聞いた途端、またゼファーの視界がぶれて、知らない誰かの声が聴こえた。

『虚しいものの喩えにも使われるけど、僕はそうは思わない』

 茶色い抜け殻を手に、緋色の髪の少年が語る。その顔は陰になって見えない。

『生を繋ぐ為に、飛び立っていった証だ。勇気のしるしだよ』


「ゼファーさん?」

 モリエールの不安そうな声で、視界が現実に戻ってくる。緋色の少年の姿は、もうどこにも無い。

「……大丈夫」

 どうしてこんな幻覚を見ることがあるのだろう。理由はわからないし、相手が何者かもわからない。

 今、ただひとつ確かなのは、ウィルソンを必ず立ち直らせて、レジスタンスの軍師として迎え入れるべきということであった。

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