第30話 最終回
いよいよ終わりである。今回は当初に考えていたことを書かねばならない。学生時代からのトラウマ、小説は何でも書いて良いのかがそれだ。二話になり字数が多くなってしまったので、端折って書くことをお許し願いたい。
<55年間のトラウマ>
疑問ともトラウマとも言えるかもしれない。なにしろ、あれやこれやと調べたものの釈然とせず、半世紀にもわたって引きずっているのだ。この文章を読んで答えを教えてくれる人がいないかと、本気で思っている。
そんなトラウマが生じたのは57年前、18歳の時だった。四月のその日は大学の入学式で、新入生を獲得しようとサークルの立て看板が林立している法学部の建物前を通ったときのことである。
「朝鮮問題研究会」と大書された立て看板の側を通った時、スプリングコートを着た上級生らしき女性に私は呼びかけられた。当時、構内は革マル派に支配され、法学部の建物だけが民青や全共闘系のクラブが活動していたこともあり、私は政治的な勧誘に警戒していたのだが、そんな雰囲気の中、「朝鮮問題研究会に入りませんか」と、その女性は話しかけてきたのである。
即座に、「すいません。僕は朝鮮に興味がないんです」と、やんわり私は答えた。クラブ活動をしている暇はなく、私は学生課に行き、アルバイト探しをしなければならなかったのだ。すると、「貴方は今、私の国のことを朝鮮と言いましたね。私は貴方のことを一生恨みます」と、大声で女性の怒りをかってしまったのである。
ほんの一瞬の出来事だった。何が何だか訳の分からぬまま、彼女の剣幕に怯えた私は人混みをかき分け、その場から逃げ出すはめになった。
誤解されないように言っておかねばならないが、当時も今も私は朝鮮の人に偏見は持っていない。この間の反日運動があっても、韓国には知日親日の岩盤層が二割、三割はいると聞いており、彼らを敵に回すヘイトスピーチなどは愚の骨頂とすら思っている。
そもそも二千年来、日本には多くの渡来人、帰化人がいた。私は関東の人間なので、高麗神社や高麗川の名は耳に馴染んでおり、その由来も知っている。更には、桓武天皇の生母が百済の子孫と言われていることもあり、長い歴史には日韓の隔たりがあってもなくても不思議ではない。
それなのに、「朝鮮」と言ったことで、一生恨まれるほどの怒りをなぜかってしまったのか、私は今も考えている。
< 小説は何を書いても良い?>
中学・高校と私は読書が趣味であった。冒険物や歴史物それに伝記や小説、はたまた犬の飼い方など、あらゆるものを読んだ。学年が上がっていくと夏目漱石や田山花袋などは無論のこと、高校時代には外国文学にも手を広げ、特にヘルマンヘッセが好きで、ドイツ語を教える高校であったため、音楽の授業で「車輪の下」の主人公が自暴自棄になって歌う、日本でも馴染みの旋律になっている「オードリーベルオーガスティン」を習ったときは、主人公との一体感を覚えたのか、妙に興奮したものである。
ところが、大学に入って大江健三郎や三島由紀夫の作品を読んだときから、小説に興味を失った。大江は文章が難解で読みづらく、最初の4,5ページを何度繰り返し読んでも意味が掴めない。また、三島はいかにも東大出のエリート官僚らしく、病的に気取った文章や主人公が鼻につく。にもかかわらず、世間は彼らをもてはやしているのが私には理解できず、小説とは厄介なもの、自分とは無縁の世界だと思い始めた。
浪人時代から東京で住み込みの新聞配達をしていた私は、大学に入っても学費稼ぎに手一杯で、小説を読む時間も興味もなくなっていく。
6年かけての大学卒業後、ロシア語通訳、商社員を経てマニラで自営業者になったが、卒業後の20数年間は監視船暮らしやフィリピンにいたこともあり、小説を手にする機会はほぼなかった。
40代の後半になり、事業に失敗した私は帰国する。小泉内閣のリストラ時代で、中高年の私には就職口が全くなかった。
明日の食費に困るようになった頃、ようやく警備員の職にありつき電車通勤を始めたが、電車内で一冊の本を抱えている中年女性を私は目撃する。二、三日前に発表された芥川賞受賞作品であった。
仕事が見つかり多少の心の余裕が生まれていたためか、軽い気持ちで私もその受賞作を買い求めて読んだ。少女期の不安定な心理を描いた作品である。
読み終えた私は怒り心頭であった。「アンネの日記」のあのアンネ・フランク本人が、少女特有の不安な心理によって、ナチからの隠れ家を密告した犯人と読めるのである。
「冗談じゃない。小説なら何を書いても良いのか。評論家か小説家は知らないが、いったい審査員は何を考えているんだ」と私は思った。
なぜ私が憤慨したのかと言えば、高校時代に読んだ「アンネの日記」を覚えていたからだ。
ナチのユダヤ人追及を二年余逃れた後、隠れ家で逮捕されたアンネは、強制収容所に送られ15歳で病死した。そんな一人の少女の遺志を、私は今も忘れていない。私の記憶に残る彼女の文章は、<自分が死んでも、書き残した日記によって生き続けたい>という思いである。
切迫した状況下でも将来への希望を失わなかった少女が、どうして家族全員の隠れ家を密告する事などできるのか、私は芥川賞の審査員と受賞した作家に問いたい。何を書いても自由なのかと、今も私の怒りは続いている。
朝起きたとき頭に浮かぶ疑問や興味が尽きず、まだまだ書き足りないが、これは死期が近い異常な事態だとも考えられるので、今回の文章が皆さんとのお別れになるかもしれない。延べではあるものの、500を越える閲覧をいただき、感謝、感謝の感激、雨あられである。
もったいぶった書き方をしてしまったが、なんだかんだとしぶとい男なので、またお目にかかるかもしれない。その時は、まだこの爺さんは生きていたのかと、呆れていただいたら望外の喜びである。
私の人生終業 南風はこぶ @sakmatsu
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