第18話 信頼できる人できない人

 大学受験に失敗して家を出た頃から、新聞配達や集金、マネキン、内装工事、ハンバーガー店員、家庭教師で学資を稼ぎ、大学を出てからは、教職、技術翻訳会社、水産庁の通訳、商社駐在員、自営業、予備校講師、トラック運転手、警備員などの仕事を通じて、様々な人と出会って来た。

 人生を終えるに際して、今更ながら、随分と色々なことをしてきたなと思う。財産など何もない貧しい境遇にいながら、後悔どころか、人生面白かったなと本心から思い、生きてきた元はとっくに取ったと不遜な気分でいるのは、そんなことからなのだろう。

 思い浮かべるのは、そんな様々な仕事を通じて知り合った人々である。つまらない人のことを取り上げてもきりがないし、読んでもらう価値がないのでここでは述べないが、私の心に残る「信頼できる」と思った人のことを書いてみたい。ただし、「信頼できる」と言っても、親として、上司として、男として、女として云々と様々であり、一般論などを書くつもりはない。

 これから私が書きたいのは、マニラ駐在員時代に出会った「信頼できる男」のことである。

 1986年の2月22日、土曜日の午後3時、エンリレ国防大臣が国防省に立て籠もり、マルコス大統領に反旗を翻した。いわゆる「エドサ革命」の発生である。連絡を受け反乱軍の加勢に駆けつけたのは、国軍副参謀総長兼警察軍長官のラモス氏だった。打合せがなかったのか、防御上の問題により、夜になって国防省からエドサ通りを挟んで対面の警察軍本部へ移動するあわてぶりである。

 その間、政府軍は動かなかった。理由は、国軍参謀総長のベール氏が命令を出さなかったからである。即応していれば、まだカソリック放送も流れていないので民衆は集まっておらず、簡単に鎮圧できたはずなのだが、なぜ政府軍は動かなかったのかと、後にマルコス派の軍人に訊くと、イメルダ夫人と共にベール将軍が空軍司令官の息子の結婚式に参加していたからだと言う。

 それだけ聞いて私は合点がいった。と言うのは、ベール氏とラモス氏の違いが私には印象的だったからである。

 ベール氏は忙しい人物だった。国軍参謀本部を訪ねた時のこと、私が面会の順番を待っていると総長室から大きなダミ声が聞こえてくる。かなりの怒声であった。聞き耳を立てていると、地方の基地が共産軍に襲撃されているらしく、「それで敵はどれくらいだ」、「詳細は分かりません」、「分からないなどと言うな」、「申し訳ありません」といった部下との応答が聞こえてくる。

 私は部下に同情した。なにしろべ一ル氏は土建屋のオヤジのように黒くてデカい顔、そしてガッシリした体格の持ち主である。そんな上司に大声で怒鳴られている部下は、震え上がりながらも、二度と速報はするまいと思っていることだろう。

 第一報じゃないか、詳しいことは分からなくて当然だろ、こんなに怒鳴られたんじゃ報告なんかしたくても出来ないよなぁと私は思ったものだが、それは私が逐次報告をモットーにする商社にいたからであった。もっとも私の場合は、会社の方針というより、後になって上司から責任を追及させないための狡知であるが。

 一方、ラモス氏は違っていた。警察軍の長官室で話をしていた時、襲撃情報が飛び込んできたのだが、場所を聞くと瞬時に、xx道を封鎖、xxに応援を頼め、軽機関銃xx丁用意などと、事細かに指示を与えていたのである。

 私は驚いた。ラモス氏は常日頃から各地の詳細情報を摑んでおり、非常時の対応を頭にたたき込んでいる人なのが分かったからである。

 表情を変えず冷静な様子のラモス氏に感心した旨を私が告げると、

「お前なぁ、俺たちが遊んでばかりいると思ってるんだろう。そうじゃないんだぜ。敵が前方から何人で来るか、武器は何か、側面や背後から襲われたらどうするか、最悪の事態に備えて、それぞれ何通りもの動きを考えて訓練しているのさ。お前に教えておくが、これが駄目ならこれといった程度の二通りでは、いざとなると何の役にもたたないぞ」

 と言われたものだった。余談だが、ここに登場するラモス氏とは、後にフィリピン共和国の大統領になる人物である。

 俗に「マーフィーの法則」という。日本では「二度あることは三度ある」といった諺程度の認識しかないようだが、この法則はアメリカ空軍のマーフィー氏が、エンジニアとしての失敗体験から出てきたものである。最悪なことは必ず起こる、だから我々は考え得る限りの失敗を予想し備えるべきと言うものだ。

 第12話の話を蒸し返して恐縮だが、空き巣に入られても大人しくしていれば助かるという日本人の考えは、一体、どこからきているのだろう。政治家、警察、マスコミどれをとっても、事なかれ主義としか思えない。

 

 ここまで書いてきて、信頼の出来ない男のことを書きたくなった。

 二十数年前、私がマニラで自営業をしていた頃のことだ。一人の老人が私の倉庫を訪ねてきた。日本人の男に中古電気器具の店を任せているが、フィリピン人の愛人にやらせたいので追い出してくれないかという物騒な相談である。

 私にも物を出すからと言うので、気は進まないながらも商売気に釣られた私は、ひと月後、男の倉庫がある東京の江戸川区を訪ねた。彼の自宅にも招待され、立派な黒檀机のある書斎に通されると、額縁に入った男女の写真がある。女はまだ若く、てっきり娘かと思っていると、女房だよと自慢げに言われた。

 信用させたかったのか自慢したいだけだったのか、次に老人は私に雑誌「PHP」を見せる。ページを繰るとカラーのグラビアがあり、そこには紫の法衣をまとった老人本人の姿があった。紫色の法衣は、大僧正の下だが僧侶としては高位であるらしい。

 下手なドラマには生臭坊主がよく出てくるが、以上の話は実話である。私が彼との商売を諦めたのは言うまでもなく、日本人の実態はこんなものかと合点がいったような気もした。人種、男女、宗教、収入、地位や学歴などに頼って、ましてや外見によってその人物が信頼出来るかどうか決めることなど出来ないと、今も私は思っている。

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