第8話 日本は悪者なのか?

 先月、毎日新聞の「みんなの広場」で、韓国で学んだ日本人学生の投稿を読んだ。「加害」の歴史を知らなかったために、かなりの衝撃を受けたようで、私は大いに同情してしまった。

 もう45年前の話になるが、商社のマニラ駐在員であった私は、訪問先の役所や会社で何度か追い返されたことがある。いずれも、日本人と告げた途端の出来事であった。

 その度に、私は父親世代の日本人に腹を立てた。「俺がやった戦争ではないのに、何で俺が怒鳴られるんだ」という具合である。その頃の私は赴任早々で、「何を言われても俺は日本人だから仕方ない」といった諦めの心境であった。

 ある日、大型商談の情報が現地社員からもたらされた。これまで付き合いのなかった役所でのトラック三百台の買い付けである。早速、支店長に命じられて役所へ出向き、買い付け担当の部長に面談を申し込んだ。

 秘書が話を繋いでくれ、私が部長の机の前へ行くと、座る間もなく、「お前は日本人だってな。二度と、俺の前に姿を現すな。直ぐにここから出て行け」と一喝された。「ひえっ、またか。よりによって、こんな大型案件で引っかかってしまうとは、弱ったな」と、私は厭な気分を抱えたまま帰社したものである。

 二度と来るなと言われた私は、一週間ほど気を紛らわせながら、他の仕事に時間を割いていた。厭なことは忘れてしまいたいところである。

 ところがどっこい、上司は覚えていた。どうなっているのかと問われ、もう来るなと言われた旨を報告すると、「馬鹿野郎。そんなことが言い訳になるか」と怒鳴られてしまった。

 このような場合は上から手を伸ばすのが常套手段であることは知っていたが、私の頭から離れないのは、私を大声で怒鳴った買い付け担当部長の形相であり、部長室の雰囲気、周囲の職員を前にして大恥をかかされた己の姿である。商談が進めば避けられない相手であり、どうにも気が重い。

 だが、次第に私は本気になった。いつまでも怒鳴られて、ヘラヘラしてはいられない。学生ならば避けて暮らすことも出来ようが、当時の自分は違う。親の世代を恨んでいる場合ではないのだ。おまけに、相手の言いなり、怒鳴られっぱなしというのは、私の性分に合わなかったこともある。

 さてどうするかと考えて、私は日本の近現代史を学び直すことにした。高校時代、私は日本史が好きだったので日本の歴史はよく知っていると思っていたが、肝心要の近現代については、極めて曖昧であったことに気がつかされたのである。

 学び直そうと思った動機の一つになったのは、日本を離れていたせいがあったのかもしれない。今の自分があるのは誰のおかげなのか、良くも悪くも自分がここにいるのは、親のおかげ、日本のおかげではないのかと気づいたのである。

 学習の結果として、私の記憶に残ったのは下記二点だった。

 1. 日本の近代は、黒船から始まった。ペリー率いる米の東インド艦隊は久里浜に上陸したが、隊列を組んで行進する海兵隊の近代装備に幕府は驚いたであろう。既にアヘン戦争を知ってはいても、実際に欧米の軍隊、軍事力を目の当たりにしたのだ。

 その後、露、英、仏などが開国を求めて来航したが、ペリー以前にも、ロシアが日本に上陸していたことをご存知だろうか。探検隊ではあるもののロシアの日本本土初上陸は、なんと1739年、千葉県の鴨川である。あの暴れん坊将軍の頃なのだ。

 1860年、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された。天皇の勅許を得ずに開国した「天誅」である。しかし、井伊直弼はよく決断したと私は思う。既にペリー上陸に際してアメリカの近代的な武装を幕府は知っており、その後のハリスは横浜まで船を進め、北上する英仏の後にアメリカが条約を結ぶとなれば、かなり過酷な条件を出すことになると脅していたのである。

 2. 明治維新後は、植民地主義列強諸国の魔の手を防ぐのが政府の課題であった。既にロシアは仏の助けによりシベリア鉄道を敷設し、中国を脅して満州に進出して朝鮮半島北部に迫っている。列強による植民地化の危険を訴え、李氏朝鮮に近代化を求めて日本側は福沢諭吉などが尽力したが、李氏朝鮮は狼のロシアに助けを求めるばかりか、朝鮮の近代化派をことごとく粛清、殺害してしまった。

 その後の日本の道はご存知の通りだが、私が歴史を学び直しながら考えていたのは、誰にも過ちはあり、それは国家も個人も同じということだった。

 私は小学生時代、女の名前だということで転校先でいじめられていた。ある日の下校時、私を追い越し際にからかう二人組がいた。私はかっとなり、道ばたの大きな石を拾い力一杯投げつけると、一人の後頭部に命中した。

 幸い大きな事件にはならなかったが、もし相手が死亡したり傷ついていたら、自分はどうなっていたかと思う。もし傷害事件ということで少年院送りになっていたら、今の自分は違う人生を送っているだろうが、何よりも、そんな過去を背負って生きねばならない自分のことを考えてしまう。

 国家も全く同じである。過ちを犯すのだ。アメリカが「インディアン」を殺戮した開拓史は何なのか、アルメニア人の虐殺は何故起きたのか、何百年にも渡るユダヤ人迫害は誰の行為なのかなど、数えだしたら百も二百もあってきりが無い。

 過去の出来事から教訓を学び取るのは良いとしても、過去の行為を今の価値観を当てはめて責めるのは愚かである。それはジャンケンの後出しと同じ事なのだ。ましてや、当時の悲惨な出来事を、ことさら拡大してそれが歴史の全てであるかのように言い立てるのは、卑しいにもほどがあろう。

 その後、役所で私を怒鳴った買い付け担当部長とは仲良くなった。省のトップである大臣の背景を調べ、友人関係から大臣に推薦した人物を探り当てたところで、その人物から一声かけてもらったのである。

 部長と再会したとき、私の胸の内にあったのは、認めるべきは認め、謝罪すべきは謝罪するという覚悟と共に、日本の苦難に満ちた近現代史に対する誇りであった。


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