第16話:氷クラゲ、研究される

「……お待たせ、コーリ君、リゼリア君。そして、ようこそ王国一の最高学府――ノヴァリス魔法大学へ。稀有な訪問者を歓迎しようじゃないか」

「「うわぁ……すごい……」」


 マリステラさんの後ろを歩くこと、およそ5分。

 俺とリゼリアは街の中心部に着いた。

 目の前に聳える中世ヨーロッパの巨大な教会を思わせる建物が、ノヴァリス魔法大学とのこと。

 城みたいに立派で大きい。

 リゼリアと一緒に「ほぇ~」と眺めていたら、マリステラさんが懐から一枚の布を取り出した。


「さてと、大学に入る前にコーリ君はこの布を被ってくれたまえ。魔物学の教室は6階にあるから、そこまではこれで姿を隠すといい。氷クラゲは珍しいからね。魔物学以外の学者どもも、バリバリに興味を惹かれること間違いなしさ」

「お気遣いありがとうございます、マリステラさん」

「じゃあ、コーリちゃんは私が持っておくね」


 用意してもらった布を被り、リゼリアに抱えられる。

 マリステラさんは研究だの何だの言っても、俺を大切にしてくれるみたいで安心した。


「コーリ君はボクだけの研究対象だからね。こんなに興味深い研究対象を、他の教室に連れて行かれてなるものか」


 途端に、リゼリアの俺を抱える力が増した。

 顔つきも厳しくなった……気がする。

 やっぱりマリステラさんの中では、俺は研究対象の側面が強いようだった。

 先ほどはどんなことでもすると言ったが、少しずつ心配が生まれる。

 無事に帰れますように……。

 布に隠れながら階段をしばらく昇ると、マリステラさんの明るい声が聞こえた。


「さあ、もう着いたよ。ここがボクの根城、魔物学教室さ」


 布をどかされると同時、周囲の景色が飛び込んでくる。

 全体的に茶色が多いアンティークな内装で、ファンタジー映画に出てくるザ・魔法使いの大学みたいな感じ。

 天井は高く、剥き出しになった木造梁や壁はくすんでおり、荘厳な雰囲気とともに年季が伝わった。

 部屋は広大なのだが所狭しと棚が置かれ、中にはびっしりと本が詰まる。

 古びた匂いがどこか落ち着くなと思っていたら、パタパタと誰かが駆け寄る音がし、棚の影から2人の若い男女が現れた。


「「教授、お帰りなさい」」

「やぁ、ただいま、可愛い弟子たち。今日はとんでもない収穫があるよ。……なんと、喋る氷クラゲことコーリ君だあああ!」

「あっ、私のコーリちゃんが!」


 マリステラさんはリゼリアから俺を奪い取り、自慢げに男女に見せる。


「ほら、コーリ君、彼らに自己紹介してくれたまえ」

「は、初めまして、氷クラゲのコーリです」


 名乗った瞬間、男女は固まった。

 と、思いきや、ジリジリと俺に迫る。


「じ、人語を喋るなんて、こ、これは素晴らしい魔物ですよ、教授ぅ……。僕は人と意思疎通できる魔物を初めて見ましたぁ……」

「さ、最高の研究対象を見つけてくださりぃ……ありがとうございますわぁ……。ああ、なんて興味が惹かれるのでしょうぅ……」


 2人ともマリステラさんに負けず劣らず息を荒くし、目を血走らせる。


「そこまでっ! コーリちゃんが怖がってるでしょっ!」


 慌ててリゼリアが回収すると、男女は我に返ったように咳払いした。


「……こほんっ、失礼。僕は教授の助手、レイヴンと申します。主に、陸棲魔物の研究をしています」

「……えふんっ、取り乱してしまったわね。あたしも同じく助手のドロシーよ。専門は草食の魔物。よろしくね」


 俺は2人と触手で握手を交わし、リゼリアも不服そうながら自己紹介した。

 挨拶が終わったところで、マリステラさんが俺たちに呼びかける。


「では、さっそく研究といこうじゃないか。コーリ君、リゼリア君、こっちに来てくれ。可愛い助手たちは準備を頼むよ」


 俺とリゼリアは魔物学教室の奥にある部屋に通される。

 小窓と壁掛け時計、小さな机と椅子があるだけの殺風景な部屋で、俺だけ中央の椅子に座らされた。

 正面にマリステラさんが座り、リゼリアは壁際で待機するよう言われる。

 続けてレイヴンとドロシーが入ってきて、テーブルに様々な道具を置く。

 地球儀みたいな物体や、分厚い辞書、何枚もの羊皮紙に、試験管の数々、そして……ナイフとメス!?

 マリステラさんが鋭利なそれらを手に持った瞬間、リゼリアの叫び声が轟いた。


「こ、こらーっ! 私のコーリちゃんになにするつもりーっ!」

「「オチツイテクダサイ、リゼリアサン。ケンキュウチュウハ、キョウジュノジャマをシテハ、ナリマセン」」

「ちょ、ちょっと離してー!」


 突然、なぜか不気味な片言になった助手2人に、リゼリアは動きを止められてしまう。

 ……そうか、たぶん俺は解剖されるのだろう。

 身体の一部で済むことを願い、ある種の覚悟を決めたとき。

 マリステラさんは、ナイフをキュポッと分解して羊皮紙に文章を書き始めた。


「じゃあ、まずは話を聞かせてもらおうか。コーリ君はどこから来たのかな?」

「え? ……あ、ああ、そうですね。元々、俺は空から降ってきまして……」


 なんと、ナイフとメスはどちらもペンだった。

 壁際のリゼリアと一緒に心底ホッとする。

 せっかく会話ができるということで、研究は面接に重きを置いたらしい。

 なかなかに紛らわしいことをしてくれるじゃないか。

 落ち着いた気持ちで今までの旅路を話すと、マリステラさんは涙を流しながら大変興味深く聞いてくれた。


「うっうっ……コーリ君はなんて壮大な旅をしてきたんだ……。リゼリア君を助け、病気の村人を助け……。こんなに善行を積む魔物が……他にどこにいる……」

「あ、ありがとうございます」

「コーリ君……君の魔力を検査したいから……試験管に魔力を注いでくれ……うっうっ」


 試験管に一本ずつ魔力を注ぐと、赤だの黄だの青だのに光る。

 たちまち、マリステラさんは目を見開いた。


「すごいじゃないか、コーリ君! 君の魔力の質はピカイチだね! 今まで調べたどんな魔物より純度が高いよ! きっと、コーリ君の心が綺麗だからだろうね。こんなに美しい反応が見れるなんて、ボクは……ボクは感動で涙が止まらない!」

「そ、そうなんですか、よかったです」

「よし、次は身体の構造を調べよう。……ほぉ、普通の氷クラゲと同じなんだね。不思議だ」


 身体の構造を検査するとかで、地球儀的な魔導具でスキャンされたが、別に痛くもなんともなくて安心した。

 小一時間くらい経った頃、マリステラさんがひっきりなしに動かしていたペンを置いた。

 爽やかな笑顔で終了を告げる。


「はい、これで今日の研究は終わりだよ、コーリ君。お疲れだったね。気分は大丈夫かな?」

「ええ、問題ないです。ありがとうございました。いやぁ、てっきり解剖されるかと思いましたよ」

「解剖? ははっ、死体ならまだしも、こんな貴重な研究対象を傷つけることはしないさ」

「し、死体なら解剖するんですね」

「もちろん」


 やはり、そこは学者というわけか。

 無事に研究が終わると、マリステラさんが片付けをしながら俺に頼んだ。


「実は、この街にも冒険者ギルドがあってね。急で悪いのだけど、明日魔物を倒すところを見学させてくれないかい? 実際に魔法を使って戦うところを見たいのさ。大湿原の許可証はそれが終わったら発行するから」

「ええ、いいですよ。ここにもギルドがあるんですね。リゼリア、行ってみよう。新しい情報が手に入るかもしれないし」

「……そうだね」


 リゼリアはツン、とした感じで返事をする。

 え、どうしたの?

 食事は助手2人が食堂から持ってきてくれて、温かいパンやスープ、肉にサラダと多種多様なメニューが並ぶ。

 大学名物という料理を堪能するが、リゼリアはどこか表情が冴えなかった。



 □□□



「……さあ、コーリ君、リゼリア君。ここが君たちの部屋だよ。遠慮せず思う存分ゆっくりと過ごしてくれたまえ。私は一晩中起きていると思うから、何かあったら知らせるんだよ~」


 そう言って、マリステラさんはひらひらと手を振り立ち去る。

 案内された部屋は、魔物学教室の中にある休憩室だ。

 休憩室と言いながら、"紅牙団"のギルドの部屋と同じか1.2倍ほど広い。

 ベッドやタンスなどの生活必需品も揃っているし、この街で何日過ごすかわからないが、快適に過ごせそうだ。

 ……という話をすると、リゼリアは一言。


「そうだね」

「あの~、リゼリア……なんか怒ってない?」


 そうなのだ。

 研究が終わってから、どことなくプリプリと機嫌が悪い……気がする。

 俺が尋ねると、当のリゼリアは俺をぎゅっと抱き締めた。


「みんなコーリちゃんのことベタベタ触りすぎだよ。私のコーリちゃんなのに」


 瞳には薄っすらと涙が浮かぶ。

 彼女はとても心優しい性格なのだ。


「……ありがとう、心配してくれたんだよな。リゼリアがいてくれたおかげで、安心して研究を受けられたよ」


 よしよしと頭を撫でると、いつも通りの笑顔に戻ってくれた。


「今日も一緒に夢で遊ぼうね。昼間遊べなかったから、夢でたくさん遊ぶよ」

「ああ、そうだな。一緒に夢で遊ぼう」


 彼女の腕に抱え込まれ、横になる。

 いつものように抱き締められながら、俺は楽しい夢の世界に誘われていった。

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