第19話 未来への選択と新たな覚悟
リビングでの激しい動揺の後、佐倉家には重い沈黙が降りていた。佐倉悠人(ゆうと)は、膝を抱える佐倉葵(あおい)の隣で、ただ俯くことしかできない。しかし、その沈黙を破ったのは、意外にも母親の朋子(ともこ)だった。彼女は、涙を拭いながら、悠人に向き直った。
「悠人くん、あなたも、父親としての自覚をしなさい。葵を、病院に連れて行ってあげてちょうだい」
その言葉は、悠人の心に深く突き刺さった。責めるような響きではなく、むしろ彼を「父親」として認める、親としての重い期待が込められているように聞こえた。
「病院で、初期検査を受けて。今後の妊娠生活についても、一緒に説明を聞いてきなさい」朋子はそう付け加えた。それは、彼がこの状況から目を背けることを許さない、明確な指示だった。
翌日、悠人は重い足取りで葵と共に産婦人科の門をくぐった。病院特有の消毒液の匂いが、彼の不安を一層煽る。待合室で隣に座る葵は、どこか遠い目をして、小さな声で「怖い」と呟いた。悠人は、震える葵の手を強く握り返した。
診察室に通され、医師から告げられたのは、確かな命の存在だった。超音波検査のモニターに映し出された、豆粒ほどの小さな影。それが、自分と葵の間に生まれた新しい命なのだと、悠人はようやく実感を伴って理解した。心臓がトクン、トクン、と拍動しているのが見える。生命の神秘と、親になることの途方もない重みを、悠人はその小さな影の中に見た。医師からの今後の妊娠生活に関する説明を、悠人は葵と共に真剣に聞いた。葵の身体に起こる変化、気を付けるべきこと、そして育っていく命のこと。一つ一つの言葉が、彼に父親としての具体的な責任を認識させていった。
家に戻ると、健一(けんいち)と朋子を交え、四人での話し合いが持たれた。
「悠人、覚悟はできているのか」
健一の言葉に、悠人はまっすぐ前を見た。
「はい。責任、取らせていただきます」
悠人の口から出たその言葉は、もはや義務感だけではない、葵と、そして新しい命への愛情からくる、彼なりの決意の表れだった。朋子から「入り婿」という言葉が明確に提示され、悠人の大学生活や将来の教師としての夢は、大きく変わることを覚悟した。
葵もまた、妊娠という現実に直面し、これまでの無邪気な少女の顔から、「母親」になることへの自覚と、未来への真剣な眼差しへと変化を始めていた。彼女の瞳には、不安と同時に、悠人への揺るぎない信頼と、共にこの状況を乗り越えようとする強い意志が宿っていた。
「悠人さん、私……頑張るから。一緒に、頑張ろうね」
葵が悠人の手を握り、潤んだ瞳で訴えかけた。悠人はその手を強く握り返す。二人は、親たちの見守る中、今後の人生を共に歩むための最初の具体的な一歩を踏み出すことを決意した。婚姻届の準備、そしていずれは親戚や友人への報告。予期せぬ形で訪れた運命だったが、二人はこの状況を受け入れ、新しい命を迎え入れる覚悟を固めたのだった。
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