第8話 受験の影とカフェでの葛藤
九月上旬、蝉時雨も遠くなり、朝晩には涼しい風が吹くようになった。大学生になって初めて迎える秋に、悠人はどこかセンチメンタルな気分になっていた。大学の授業も本格化し、家庭教師としての葵(あおい)の受験勉強もいよいよ本番を迎えつつある。
その日、悠人と葵は、気分転換も兼ねて、新しくできたばかりのカフェを訪れていた。温かみのある木目調の店内には、静かなジャズが流れ、悠人にとっては落ち着ける空間だった。しかし、隣に座る葵の存在が、彼の心を常にざわつかせた。
「悠人さん、この問題、どうしても分からないんだ」
葵は、悠人が見て選んだ参考書を指差しながら、少し困ったような顔で言った。最近は、家庭教師の時間以外でも、葵が勉強の質問をするために悠人の部屋に来るのが日常となっていた。悠人はカップを置き、彼女の横に身を寄せ、問題の内容を確認する。葵が身につけていたのは、ゆったりとした長袖のカットソーとチノパンというカジュアルな服装だったが、彼女のすらりとした体格を際立たせていた。
「ああ、これは……」
悠人がペンを取り、ノートに解説を書き始めると、葵は悠人の腕にそっと頭を預けてきた。柔らかな髪の毛が悠人の腕をくすぐる。カフェには他の客もいる。悠人は周囲に気づかれないよう、さりげなく葵の頭を動かそうとするが、彼女は全く動じない。むしろ、悠人の腕に顔を擦り付けるようにして、さらに密着してきた。
「ねえ、悠人さんって、なんで教育学部選んだの?」
葵は、唐突にそんな質問を投げかけてきた。悠人は少し考え、答えた。
「将来、教師になりたいと思ってるからな。人を育てる仕事に魅力を感じて、教育の重要性を学びたいと」
「ふーん。私と同じだね。私も悠人さんの大学行きたいな。教育学部」
葵は笑顔でそう言った。その言葉に、悠人の胸には安堵と、そして言いようのない重さが広がった。彼女の志望校が自分と同じ大学であることは喜ばしい。だが、それが彼の背負う「責任」を一層重くすることも意味していた。
(もし、この関係が公になったら……)
悠人は、彼女の将来にかかる重圧をひしひしと感じた。教師という夢を持つ葵が、もし自分のせいでその道を閉ざされるようなことがあれば、彼はどう償えばいいのだろうか。彼の心の中で、家庭教師としての責任感と、従兄としての感情が激しくせめぎ合う。目の前の葵の、純粋に見える瞳の奥に、時折、彼を翻弄するような、あるいは誘惑するような光を感じるたび、悠人の罪悪感は増した。
カフェのガラス窓から差し込む秋の柔らかな日差しが、彼らの間に流れる複雑な空気感を照らしていた。悠人は、自分がもう、ただの「従兄」として葵を見ることができないだけでなく、彼女の未来に深く関わってしまっていることを、改めて自覚していた。
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