24 2人で生きていく

 王都軍がテクゼ村にやってきたとき、先頭をいくよろい姿のハイドランジア卿は村の馬防柵を一瞥して冷たく言い放った。ズザナはその様子を、ロビンの店の店先で、ガイウスと見つめていた。


「王都軍を拒否する気か」


 どうやら気分を害してしまったらしい。しかしハヴォクが真正面で両腕を広げているのを見て、ハイドランジア卿は「……赤鰐か?」とハヴォクに穏やかに声をかけた。


「百人隊長どの。ここは村の畑です。軍馬で踏み荒らせば春に村人が苦しみます」


「……ふむ。それもそうか。赤鰐、村を案内してもらえるか」


「ははあっ」


 ハイドランジア卿は軍馬を降り、手綱を引いて歩き始めた。村じゅうの人が怯えている。


「赤鰐。この村には死の森の守り人がいるそうだな。そのもののところに案内してくれ」


「ハイ。おーいガイウス」


 ガイウスはびくりと震えた。

 ああ、ガイウスは戦争を体験して、そのせいでこの人が怖いんだ。ズザナはそう思った。


「……お前、灰狗か?」


「は。灰狗であります、百人隊長どの」


「その隣にいるのは……ズザナか?」


「ええ。それがなにか?」


「……魔族に関係ないことはあとで話すか。灰狗、森を案内して、魔族の出たところに連れて行ってくれるか」


「はっ」


 ガイウスは見たことがないほど緊張した顔をしていた。王都軍の職業軍人たちは、馬から降りて、旅籠の馬小屋に馬を繋いだ。馬はでっかいのでちょっと狭そうだ。

 ガイウスは、王都軍と一緒に死の森に向かった。その後ろ姿を、ズザナは悲しく見ていた。


 ◇◇◇◇


「王都が勝手に騒いだだけであったのか。コウモリの魔族が1匹出ただけとは」


 旅籠の食堂で、ハイドランジア卿は渋い顔をして薬草茶を飲んでいた。職業軍人たちも何人か、よろいを着たまま、手甲をはめたままうまいことカップをつまんでお茶を飲んでいる。


「そんなつまらんことでなんで王都軍が出ねばならんのだ。いかに魔族が人族すべての敵とはいえ……王都の威信などというものは虚栄心ではないか。冬の行軍で馬も痩せてしまったし」


 ガイウスとハヴォク、それからズザナも旅籠の食堂におり、同じくお茶を飲んでいた。飯盛女と思われる派手な服装のハーフリングの女が、古くなった黒パンを揚げて砂糖とジャムをまぶした菓子を出す。


 意外と正論っぽいことを言うのだな。


「ズザナ、ここの暮らしはどうだ」


「毎日楽しく暮らしておりますわ。王都でお飾りの娘、お飾りの婚約者をするよりずっとかマシ」


「……そうか。ズザナは私を嫌いになってしまったのだな」


「だって婚約などとうに破棄したでしょう」


「それもそうだが」


「あ、あの、百人隊長どの」


 ガイウスが震え声でそう言った。


「どうした、灰狗」


「ず、ズザナは……ズザナさんは、その、」


「わたくしたち結婚しましたの。ガイウスはとても優しい夫ですわ」


「……えっ?」


 ハイドランジア卿は呆気にとられている。

 ガイウスは赤い顔をして俯いている。

 ハヴォクは分かりづらいがニコニコしている。


「一緒に帰らないのか。一緒に帰って、再興したミューラー家と再興したハイドランジア家の架け橋になってはくれないのか」


「家が再興したなんて聞いていませんわ。ハイドランジア家も再興なさったの?」


「そうだ。いまは伯爵の身分だ。ミューラー家もお前の父親が釈放されて再興を許され、いまは食料品の店を手広く経営している」


 ぜんぜん知らないことであった。


「そもそもお前の父の会社が銃の弾薬を作っていたから、戦争に前のめりの我が父はお前と私を結婚させようとしたのだ。いまからでも遅くない。暖かくて毎日ケーキの食べられる暮らしを保証できる。こんな揚げパンじゃなくてな」


「あの。百人隊長どの」


「どうした、灰狗」


「ズザナを、ズザナを呼ぶときに、お前というのはやめていただけませんか」


「……ズザナ、そんな卑しい木こりと結婚するなど、お前はどうしてしまったのだ?」


 カチンときた。


「ガイウスは卑しい木こりではありませんわ。誰よりも森に精通した、賢い殿方です」


 反論したがそこは貴族だ、ハイドランジア卿は鷹揚な笑みを崩さない。


「よし。仕事も終わったので引き返そう。こんな寒いところにいては馬が可哀想だ。ズザナ、来い」


 職業軍人の一人が、ズザナを抱きかかえようとした。


「やめてください! 乱暴しないで!」


 抵抗しても職業軍人はにやにやと笑うばかりだ。ズザナはずっと考えていた切り札を使ってみることにした。


「わたしのお腹には、ガイウスの子が。だからあなたとは結婚できませんの」


「……えっ?」


 職業軍人はズザナから手を離した。その場にいるズザナ以外の全員がビックリしていた。


「……お前、そんなことに……では手出しはできない。せいぜい良い子を産め。帰るぞ!」


 ハイドランジア卿はだいぶショックを受けた顔のまま、軍隊に撤退を指示した。


 ◇◇◇◇


「だっはっは! ズザナさんは豪胆だ!」


 ハヴォクがおかしそうに笑っている。

 ズザナの発言はもちろん嘘だった。でもそういう関係に至っているなら、王都の人は手出ししてこないことをズザナは知っていたので、もし連れていかれそうになったらそう言ってみようと決めていたのだ。


「笑い事じゃねんだよハヴォク。こちとら身に覚えがないもんだからビックリしたよ」


 ガイウスがむすっとしている。

 もちろんズザナの発言はすでに村じゅうの知るところとなっており、カンナステラは安産のお守りをくれようとしたし、ロビンはここでは貴重な干し果物をタダで分けてくれようとしたし、リッキマルクはひたすら心配していたし、ダロンは匂いでわからなかったので「はて?」となっていた。


「本当にそういう日が来たらいいですわね」


「……そうだな。王都軍に森が踏まれたから春は早くくるだろう。春になったらすごくきれいな花が咲くから、それで冠をつくって式を挙げよう」


「まあ素敵。楽しみですわ。早くカビの匂いを消す魔法を覚えないと」


「……それならなにか結婚を証明するものが欲しいな。2人で生きていくことの証明が」


 ガイウスがグーパーする。


「人別帳だけではだめなの?」


「そんなのつまんないだろ。本当ならキラキラの宝石に飾られて結婚するはずだったんだろ?」


「まあそれはそうなのですけれども」


「……心当たりがあるから相談してみるか。楽しみにしててな」


 ガイウスは微笑んだ。あまりに優しい笑顔で、ズザナはドキッとした。(つづく)

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