ココロノオトの向こう側 －恋と秘密のメロディ－

第二話 願いを込めた、薄明のメロディ

「ココロノオト」。

前日の放課後、私の心は、そのサイトへの衝動に突き動かされていた。

自室の机に向かい、スマートフォンを手に取る。

画面に映るサイトの入り口は、

まるで、私の溢れんばかりの恋心を、

静かに受け止めてくれる扉のようだった。

シンプルなデザインの中に、無数のボカロ曲が並ぶ。

どれも、匿名で投稿されている。

サイトの機能説明を読み進める。

自分の心を歌にする。

その歌を、匿名で投稿できる。

投稿した曲のページには、QRコードが自動生成される。

QRコードを読み取ってサイトにアクセスすれば、私の歌が聴ける。

送り主の秘めた想いを、直接相手に届ける、新しいコミュニケーションの形。

QRコードを介したコメント機能は、送り主と受け取り手だけが識別可能だという。

これなら、ミツキに。

私の心臓が、微かに、けれど確かに高鳴った。

直接言葉を交わす勇気は、まだない。

でも、歌になら。

この満たされない孤独と、ミツキへの秘めたる想いを、

形にして、彼に届けられるかもしれない。

誰にも届かなくてもいい。

ただ、彼の心に、そっと触れたい。

その純粋な願いが、私を突き動かした。

「ココロノオト」という場所が、

ミツキへの伝えられない恋心と、

心の奥に抱える純粋な感情を歌にする、

唯一の救いだと感じた。

私は、「新規投稿」のボタンをタップした。

投稿者名を入力する画面が表示される。

私は迷わず、「薄明歌」と入力した。

それは、夏の終わりの夕焼け。

光と影が混じり合う、あの空の色だ。

そして、伝えられなかった恋心と、

そこから見つけたい、小さな希望を込めた名前。

その名前を刻むことに、小さな決意が生まれた。

もう、後戻りはできない。

これは、私にとって、初めての「ココロノオト」への投稿だった。

誰かの目を気にすることなく、ただ自分の心を吐き出す。

そして、曲作りが始まった。

放課後、学校から帰り、自室にこもる。

窓の外は、もう茜色の夕暮れ。

部屋の片隅に座り、ヘッドホンを装着する。

インストゥルメンタルのトラックが、静かに流れ出す。

私は目を閉じ、ミツキの姿を思い描いた。

彼との、何気ない日常の風景。

すれ違う廊下での、優しい視線。

彼が難しい本を読んでいる、真剣な横顔。

彼が教えてくれた、図書室の静かな場所。

その全てが、メロディの源になっていく。

私は、鍵盤を打つように、音符を打ち込んでいった。

指先が震える。

ミツキへの溢れんばかりの恋心と、

それを伝えられない切なさが、

音符となり、メロディとなって溢れ出す。

今回の歌詞には、ミツキだけにしか分からない、

彼との日常の小さな瞬間を、まるで秘密の暗号のように織り込んだ。

彼が美術室でよく口ずさんでいた、古い映画のメロディ。

放課後、二人きりになった廊下で、

彼が拾ってくれた、私の落とした消しゴム。

その時、交わした、わずかな言葉。

「ありがとう」「いえ、大丈夫です」。

そんな何気ないやり取りが、私にとっては宝物だ。

それらを引用し、歌詞の中に散りばめた。

彼に届けたい。

この歌が、私からの「本当のメッセージ」であり、

彼への「純粋な告白」でもあった。

完璧な歌を作ろうとするたび、心が揺れる。

この想いが、彼に届くのか。

届かなくても、ただこの気持ちを形にしたい。

そんな初々しい思いが交錯する。

何度も何度も、歌詞を書き直し、

何度も何度も、歌い直す。

この歌に、私の全ての想いを込めよう。

魂を削るように、言葉を選び、音を重ねていく。

ボーカロイドの透明な声が、私の心を代弁するように響く。

まるで、私自身の本音が、ミツキに語りかけているかのようだ。

曲名は、「薄明の向こう側へ」。

この曲は、伝えられなかった恋心と、

そこから見つけたい未来への希望を表していた。

投稿時のタグは、#薄明 #初恋 #言えない気持ち #希望の歌 #薄明歌 だ。

完成した曲を、私は「ココロノオト」に投稿した。

これが、私にとって初めての投稿だ。

投稿ボタンを押す指に、熱がこもる。

これで、ミツキに聴いてもらえるかもしれない。

そして、この歌に込めた、秘密の暗号に気づいてくれるかもしれない。

強く願う。

期待と不安が、胸の中で波のように押し寄せた。

まるで、大海原に漕ぎ出す小舟のように、

私の心はざわついていた。

ただ、ミツキからの反応を待つ。

それだけが、私の願いだった。

私は、完成した曲のQRコードを、プリンターで印刷した。

一枚の、小さな紙切れ。

それは、私にとっての、ミツキへの「本気のラブレター」だった。

これを、どうやって渡そうか。

直接手渡す勇気は、まだない。

顔を見たら、きっと言葉が出なくなる。

でも、きっと、ミツキなら、

この歌に込められた私の想いに気づいてくれるはずだ。

そう、信じたかった。

手に取った紙切れが、じんわりと温かい。

まるで、私の心の熱が移ったかのように。

翌日。

私は、ミツキの机の引き出しに、そっとQRコードを忍ばせた。

誰も見ていないことを確認し、素早く。

心臓が、耳元で激しく脈打つ。

一瞬、ミツキの机の上に置いてあった、

彼が部活で使っている、使い込まれた水彩絵の具のパレットが目に入った。

そのパレットが、私の胸を締め付ける。

この歌が、彼の耳に届くのだろうか。

届けば、彼はどう思うだろう。

喜び。

それとも、迷惑に感じるだろうか。

不安が、胸をよぎる。

でも、もう一歩踏み出すしかない。

これが、私にできる、精一杯のことだから。

私は、ただひたすらに、ミツキの反応を待った。

教室で彼を見かけるたび、

無意識に彼の表情を目で追ってしまう。

彼がスマホを触るたび、

もしかしたら、と期待に胸が震える。

しかし、何も変わらない日常が続いた。

放課後、ミツキが友達と静かに話しながら、校舎を後にする姿が見える。

彼の背中が、今日も少しだけ遠い。

その中に、私の秘めた想いが、確かに息づいている。

期待と、裏切られることへの恐怖。

私の心は、二つの感情の間で、大きく揺れ動いていた。

夜が更けても、私は眠れない。

ただ、静かに、ミツキからの反応を待ち続けた。

薄明の空の向こうに、彼の答えがあるはずだ。