第八章 第三幕 綺羅輝羅

――――――2024年6月5日18時34分30秒


 綾乃を探そうと駅に向かうが、意外にもすぐに見つかる。


「あれ、てっきり帰ったのかと。」


 皮肉を込めたわけではないのだが、綾乃は皮肉で返してくる。


「慎一は、明花さんと話してるんじゃなかったの?」


 はて。そんな風に見えただろうか。今のところ、明花さんに言ったのは、眼鏡をかけてないのも綺麗だというぐらいだ。


「いや、速攻で帰っていったから。話してる間も隙もなかったよ。」


 俺があの人を好きなのかと、疑うかのような視線と質問の迂遠さに対して馬鹿正直に答える。


「あっそ。まぁ、電車間に合わなかったし、ちょうどいい話し相手できたと思って、良しとするかな。」


 すごく腹の立つ言い方だが、この程度で俺が怒らないと確信してのことだろう。




――――「慎一~。」




 駅舎に入ってきながら、喋りかけてくる人物は一人しかいない。


「誠也。きてたんだ。」


 心のどこかで、誠也なら来るのではないかと踏んでいた。


「そのまさかね。憲弘も来てるけどね。」


「ご苦労様です。」


「うむ。苦しゅうない。にしてそち。明日旅立つのかね?」


 普段通りのはずなのに、聞きなれない単語と編み合わせて紡がれる誠也の言葉に、なぜか感慨に耽ってしまう。旅立つ。自ら決めて、言葉にし、実行に移す。それが今までの自分からは想像もできなくて、それが誠也や憲弘、先生に伝わっていくことが、眩しくて。


「うん。明日行くよ。」


 するとさっきまでの綾乃の様子が変わる。


「え?慎一、旅立つって何?」


 この話はしていなかったか……そういえば。


「これについては本人から話した方が速い気がするなぁ。」


「ええとー。どこから話せばいいんだろ……。」


「直接の原因は何?」


 綾乃にせかされる。


「そうだな……。この5年ぐらい、人間関係減らして、実質引きこもりみたいな生活してたから、そんな自分を変えようと思って、日本全国回ることにしたんだよ。」


 綾乃よりも、誠也が先んじて問う。


「その目標は何なんだ?」


「全国47都道府県で、各50回ずつ人助けを2年以内にして、この色紙をいっぱいにしてくるんだ。」


 バッグから色紙とペンをスッと取り出し、先生の書いてくれたサインを見せる。


「そっか……。」


 綾乃は夕日に向かって伸びる、寂れた商店街を見つめる。その道には、水たまりがいくつもでき、綺羅綺羅と輝いている。


「それじゃあ、私も書いていい?」


 綾乃は、嬉しそうに俺の左手からペンを軽く取ると、サインを書く。


「え……これって、助けてくれたことも書かないといけない系のやつ?」


 少しためらいがちに聞いてくる綾乃は悩んでいる。


「そうだね。その方が、誰とどうやって出会ったのか、すぐに思い出せるから。」


 誠也に教えてもらったことをそのまま伝える。


「どうやって出会ったのか……すぐに思い出せる……か……。」


 綾乃は、先ほどまでの表情とは打って変わり、輝羅輝羅な笑顔になる。


「これでよしっ!!」


 綾乃の口角は、今までに見たことがないほど嬉しそうになり、楽しそうなのが伝わってくる。


「なんて書いたんだ?」


 あえて聞いてみる。


「自分で見てみてよ。」


 綾乃はそれだけ言うと、俺らに背を向ける。


『私と付き合ってくれたこと』


 その文字の並びが……今ここに連れてきた、すべての気持ちを激流にしていく。


「これは――――昨日……と今日……の話……かな?」


 いつの間にか、言葉が途切れ途切れになる。こんな感情はどう表せばいいのだろう。それが言葉になって、綾乃に対する問になる。





「教えないよ。だって、最初から答えは慎一の中で決まってるんでしょ?



――――なのに、わざわざ私がそれを決めるのは、変じゃないかな?」




 憲弘も、誠也もこの意味を理解しているのだろう。口をつぐんで、静かに見守ってくれている。


「それじゃあ。バイバイ。次会う時は二年後よりも後かもね。」


 そう笑って、改札を通っていく。


――――18時44分00秒


 電車が去っていく。綾乃を乗せて。




「慎一。俺ら、明日見送りに行くよ。」


 誠也と憲弘は最後まで付き合ってくれる。


「明日の朝、慎一の最寄り駅行けばいい?」


「うん。ありがとう。大切な旅の始まりを、二人に見送ってもらえるのは、すごく嬉しい。」


 誠也は照れ臭そうに、


「当たり前だろ?俺らってそこまで薄情な奴じゃないからな。」


 笑って過ごす三人を――地平線が煌々と照らしていた。





<<慎一宅>>





「ただいま。」


 誰もいない空間、ただそれだけの空気。けれど、前とは違う空気を吸って、歩いていける。その方法と、きっかけを携えて、旅路の準備をする。


「主人公ってこういう準備するとき、なに考えてるんだろな。」


 新たな友達、弾む会話、予想だにしない再会、いろんなことが待っているという希望を持ちながら準備していてほしいと、願うばかりであった、あの日の俺ではない。


 今、準備している俺は、その旅路の主人公である。


――――まさに明日、旅立つ身なのである。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「ただいま~。」


 ふぅー。昨日に引き続いて、今日は大変な一日だったなぁ。あいつの謝罪演説、ちゃんと反省してるのが伝わってきたし、何かむしろ、やらせていた部分がちょっと申し訳ない感じさえしてきたもん。


 脱いだ靴をそろえ、バッグを部屋に置きリビングに向かう。


「へっくしょん。」


 あぁ……。ワンチャン風邪ひいたかも。夕方雨降ってたしなー。薄手だったからかな……。


「あったあった。」


 テーブルのティッシュを取るが、何かがない気がする……。

鼻をかんでゴミ箱に入れようとする。


「ん?あれ?」


 テーブルに置いたはずの、紙がない。ふとゴミ箱を見る。


「なんか書いてある。」


 くしゃくしゃに丸められた、この紙はもともと勤務先でもらったものだけど、必要ないと思ってテーブルの上に放っておいたやつだ。


「なになに~?」





『ありがとう。綾乃のおかげで、大事なこと、大切なこと、楽しく思い出せた。

 生きてたらまた会うかもしれないけど、会えなかったらそういう運命だと思って、綾乃と過ごした時間を大切にして生きていこうと思う。

 今までありがとう。じゃあ。』





 あれ……。変だな……。こんなの書いてなかったのに……。

――頬に冷たいものが伝うのがわかる。


「これ……慎一だよね。」


 たぶん。というか絶対にそう。朝、何かを捨てていたのはこれだった……。その確信は私の名前の書き方。


「いつも、はねないもんね。」


 『乃』の最後を絶対にはねない慎一。


「なにが、『テストではねられないようにね』だよ。」


 慎一のこと、ちゃんと理解してあげたい。そう願ったのは私。なら、この手紙のこと、ちゃんと心で受け止めたい。

 たぶん誠也たちは慎一の見送りに行くはず。たぶん慎一のことだから、最寄り駅に来るはず……。


――キラキラと零れ落ちる涙で滲んだ『乃』は、明日への答えになった。

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