第七章 第五幕 回帰の先へ

――――――校舎の上に小さく持ち上げられている時計は、11時を指している。


佑樹「そろそろゲームだってよ。慎一はどーするよ。」


 ゲームとは模擬試合のようなもので、7対7ぐらいでやることが多い。


「俺が反対側のキーパーやってもいいけどな……。」


 まさの成長ぶりが気になる。それと同時に、普段よりも確実にキーパーの練習量が多いため、体力的にも心配なところだ。


佑樹「俺としては久々に慎一にキーパーやってほしいけどな。」


賢斗「え!慎一キーパーで入ってくれるん?フィールドじゃなくていいの?」


 キーパーのはずなのになぜフィールドを勧められるのか、これには理由がある。


桂「慎一足元上手いんだから、フィールドもありじゃない?」


 そう。キーパーのくせに足元の技術がそこそこ高く、両足で蹴れるのだ。これは完全にマヌエル・ノイアーの影響なのだが…。


「先生。いつも、ゲームする時って反対側のキーパーどうしてるんですか?」


先生「チーム分けの時に、正ゴールキーパーのいる方をディフェンスラインのスタメン、逆はオフェンスラインのスタメンにしてるよ。」


 つまり……


「釣り合いをとっているわけですね。」


 そうすれば、オフェンス側は前線守備の練習にもなるし、ディフェンス側はビルドアップ練習にもなる。


「じゃあ、OBでフィールド選手構成して、キーパーは別チームの人を借りてやりますか。」


佑樹「慎一のキーパー見たかったけどなぁ。」


 嘆く声が聞こえ、見ると肩を落とす佑樹から残念そうなのが伝わってくる。


先生「時間は10分でいけるだろ?」


賢斗「いやいや、俺ら現役じゃないですよ?」


 たかだかOB…その程度であることは理解しているだろう。


先生「いや、現役じゃないからこそわかるものがある。年齢が近いのはお前らの方なんだから、きっとあいつらにも伝わりやすいだろ。10分間全力でやってこい。」


――――始まった。


 序盤はOBの攻勢が強い。


「逆サイド!展開しろ!」


 後ろから見る景色はキーパーのときのそれとは異なるが、それでも視えている指示を伝えるのは昔と変わらない。


賢斗「桂!撃て!」


 桂がまさに向かってシュートを放つ。弾丸系の、パワーのあるシュートだ。



――――バッ


 まさが飛び、ボールに触れる……。



 しかし、ボールはあえなくゴールに入っていく。


桂「おっけい!」


賢斗「ないシュー!」


佑樹「俺のパスがよかったな。」


 三人の喜ぶ声が聞こえるが、まさの様子が気になってしまう。



 リスタートを切り、ディフェンスラインでボールを奪う。後輩の中盤選手がディフェンスしてくるが、


賢斗「慎一こっち!」


 と右サイドから上がっていくのを視界にとらえたのか、


 俺は賢斗の前方に向ってボールを蹴る……


 ”ふり”をすると、相手の重心が右にずれる。完全に体制が崩れていないので、


 左に足元のボールをフリックすると相手は抜かれると思ったのか、全力で俺の進行方向を遮るため足を出す。


「ここだね。」


 そう小声で言いながら、相手が出した足の間を通す、すなわち股抜きだ。


「クソっ。」


 相手は抜かれたことを悟り、声が漏れ出る。頭をあげ、すぐに空いているスぺ―スを探しながらボールを運ぶ……


佑樹「こっち!」


 左サイドでボールを要求してくる。


――――ドンッ


 利き足の右で少しカーブをかける。走った先の佑樹の足元にピッタリくる。


桂、賢斗「ナイスボール!!」


 二人が同時に言う。チームスポーツっていいな……。


「佑樹!撃てるぞ!」


 まさが構える。何かができていない気がする……。そう思ったころには、右に巻いたシュートは綺麗な弧を描き、ゴールに吸い込まれる。


佑樹「今の見た?」


賢斗「見てない。靴紐結んでた。」


桂「めっちゃカーブかかってたよ。」


佑樹「なんで桂しか見てないんだよ。」


 先ほどからまさが飛べていない理由は何なのか……。それを考えることに集中していた。


佑樹「おい、慎一!起きてるかー。さっきの見てなかった?」


「すまん。佑樹のシュートよりもキーパーの方が気になって。」


佑樹「お前、めっちゃ気に掛けるじゃん。別にいいけど、俺のシュートも見といてよ!」



――――10分が経過した……



マネージャー「終了でーす!」


 長い10分……疲れた……。


佑樹「足が追いつかなくなってくわ。」


賢斗「桂なんか足攣りかけてたし。」


桂「いや、まだ攣ってないからセーフでしょ。」


 終わると同時に三人は疲れ切った表情で、喋る。俺はそれに構わずまさの元へ行く。


「お疲れ。」


まさ「お疲れ様です。全然練習通りに飛べませんでした……。」


 まさがあからさまに落ち込んでいる。


「まあ、実践と練習ではかなり違うからな。」


 まさもきっとすぐにわかる。


「実際のゲームだとディフェンスもいるからシュート練習の時より視界が悪い。」


 まさがキーパーグローブを着けたまま頭をかく。


「だから、プレジャンプが通常より重要になる。」


 プレジャンプとは、シュートが打たれるタイミングに合わせて小さくジャンプすることで、いうなれば三段跳びの要領を利用したジャンプだ。


まさ「確かに、ディフェンスに被さって見えないときは、いつシュートが飛んでくるかわかりにくいですね。」


「だから常に気を張って、こんな感じで腰を落としすぎず、左右にすぐ対応できるようにしておくんだ。」


 かかとは付けずにすぐに対応できる姿勢を取る。


「わかりました……!先輩はもう帰るんですか?」


 物欲しそうな表情をされる。


「まぁそうだな。でも一つだけ伝えたいことがある。」


 まさは真剣な表情で俺の言葉に耳を傾ける。


「うまくいったことは素直に喜ぶんだ、楽しむんだ。けれど、それで見失うものがあるなら、あとからその喜びは悲しみになるかもしれない。だから、最初から全力で喜ぶんじゃなく、片付けることが片付いてから、喜び、楽しむんだ。それは――俺が為せなかったことだから。」


 それだけ言うと、佑樹たちが来る。


佑樹「そろそろ引くか。これ以上俺らがいても、足の重くなったデコイがいるだけだしな。」


賢斗「俺もさすがにきついわ。」


 俺もこの後はあいつとの約束があるし。


「そうだね。先生に一言言ってから帰ろうか。まさ、この後も続いていく部活、頑張れよ。」


「はいっ!」


 まさが笑顔で答えると、ゴール前まで行って次のゲームの準備をする。




 俺らは政一先生のもとへ行くと、片手に色紙、もう片手にペンを持っている。


桂「先生、それなんですか?」


 先生は一度俺を見て、また桂を見て言う。


先生「慎一が書いてほしいっていうからな。」


桂「ふぇ~。」


賢斗「それより、今日はお邪魔しました。」


佑樹「また誘ってくださいね。」


 先生は目じりに薄いしわを寄せ、


先生「また、暇があるときにいつでも来いよ。」


 三人は先生に手を振り歩いていく。


佑樹「慎一も、早く来いよ~。」


「ういー。」


 先生に向き直ると、サインにペンを走らせている。


『2024年6月5日 城野政一 キーパー指導を手伝ってくれた。』


先生「どうだ。記念すべき一つ目のサインだ。」


 先生は満足そうな顔で、


先生「もう行くのか?」


「あの後色々ありまして、明日になると思います。」


先生「そうか。向き合えよ。それぞれ。」


 先生は何か遠くにあるものを視ているのだろう。


「目標ちゃんと達成してきますので……!」


先生「自分が楽しむことは忘れるなよ。」


 先生に言われて忘れるわけがない。


「はい!」


 そうして回帰した場所と時間は、過去になる。



<<校内駐車場>>



「俺の車のってく?」


 電車で帰るとお金がかかるため、同じ方面の佑樹に送ってもらえるのは助かる。


「それはありがたい。」


―――バンッ


 車に入ると、転がっているのはエナジードリンクの空き缶数本と、たばこの空き箱……。俺の場合は――過去に縋っていた。


 大丈夫か?


 とっさに出かけた心配の言葉は喉の奥にしまわれる。


「不眠症でさ。全然寝れなくて……。マジやばいんだよね……。」


 俺の心をなぞるように佑樹が言う。


――健康上の問題はどうにかできる。しかし、心理的なものであれば、基本的に本人がどうにかしなければならない。


「運転は大丈夫なん?」


「さすがに大丈夫。任せろって。」



――――12時半ごろ



「この辺でいい?」


「うん。ありがとう。何かコンビニで買ってこようか?」


「じゃあ、0コークで。」


「はいはい。」


――――1分後


「うい。」


「サンキュ。」


「じゃあまたな。送ってくれてありがと。気を付けて帰れよ~。」


「ほ~い。またなー。」



――――こうして一人の時間が訪れる。けれど、孤独は怖くない。みんながいるという過去があるからこそ、孤独を感じるんだ……。


――その孤独を糧にこの先を生きていく。

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