第七章 始まりのための回帰 第一幕 温かな夜明け
寒い……
時計をちらりと見る。
――目が覚めたのは午前5時半ごろ。
綾乃の部屋は寝る前と変わらず、ドアが開いたままだ。
夢の中は冬だった……それもあってか、部屋にかかる冷房が本当に寒く感じられて、リアルすぎた。
「大切な贈り物、思い出させてくれてありがとう。」
綾乃がもうすでに起きているのか確認する方法もないので、綾乃には聞こえるぐらいの大きさで、けれど起こさないぐらいの大きさで言う。
――――反応はない。
黙って綾乃の家から出ていくのも考えた。しかし、泊めさせてもらっておきながら何も言わないのは、自分の信義に反する。
『ありがとう。綾乃のおかげで、大事なこと、大切なこと、楽しく思い出せた。
生きてたらまた会うかもしれないけど、会えなかったらそういう運命だと思って、綾乃と過ごした時間を大切にして生きていこうと思う。
今までありがとう。じゃあ。』
近くにあったペンと、雑紙を使って手紙を書く。改めて思いを文字に起こすと気恥ずかしさはある。
しかしながらそれ以上に、正直な気持ちと、心からの感謝を伝えたかった。
――――綺麗に揃えられた靴を履く。玄関のドアに手を掛ける……出ようか迷い一度振り返る。綾乃はまだ起きてない。
よし、一歩を踏み出そうか。
「もう行くの……?」
振り返ると、綺麗に梳かされた艶やかな髪が揺れる。
「これ以上、迷惑かけるわけにはいかないしね。」
きっと、これが最後の会話かもしれない。そう思うけれど、それすらも大事な記憶として覚えておきたい。
「家にいて欲しいっていったのに……。慎一のこと迷惑だなんて思ってないし、せっかくだから朝ごはんでも一緒に食べようかなって思ってたんだけどな……。」
綾乃の肩が下がる……。眠そうな顔を抑え込んで、悲しそうに、ぼそりと喋る。
「昨日は結局、慎一と喋ったのは私の元カレのこととかばっかりで、普通の会話してなかった。」
そういうと、数秒の間、目を泳がせる……。
「だから……朝ごはんでも食べながら、一緒にお話ししたいなって……。」
ドアノブに掛けた手の力が抜けて、落ちる。
「俺も、綾乃と普通に話したい。」
心がそう言った。本当は、それを断って、退場したほうがよかったのかもしれない。けれど、
「昨日はシリアスな内容ばっか話してて、せっかくの機会なのに……って少し思った。」
ずっと拒みつづけて来たのは、綾乃に対してじゃない。自分だった。
「綾乃と話してると、素でいられるしね。」
「何それ、ちょっとは意識してもいいでしょ!慎一の元カノなんだからさ!」
綾乃は砕けた笑いで、家に漂う眠気を吹き飛ばす。
「いやもう、意識とか全くしないでしょ。」
「それは私もだけどね。」
お互いが、お互いを知って、自分を知って……俺は、こういう関係の方が好きなのかもしれない。
「ていうか、朝ご飯には早すぎない?」
「私は仕事が7時からだから、いつもこれぐらいだけどね。」
「早っ。」
健康的で、規則的な生活すぎる。
「逆に慎一は何時起きなの?」
「午前3時ぐらいに寝て13時起きとか。」
「めっちゃ夜行性じゃん。」
「いや、日中は起きてるから。」
「夜遅くまでそんなにやることある?」
首を傾げる綾乃。
「逆、やることないから起きてちゃうんだよ。」
「Youtubu見たり?」
「そうそう。」
「確かに次の日休みとかだとそうなることはあるかも。」
「でしょ。」
綾乃と他愛のない会話をするのが、心地いい。
「あ、ちょっと着替えるからここ閉めるね。」
そういって部屋の戸を閉める綾乃。俺は、綾乃の着替えが終わるまでに、布団をたたみ切れるか一人で勝手に勝負していた。
――「ん、ごめん。じゃあ、朝ごはん食べよっか。」
「負けた…。」
「え、何が?」
「いや、綾乃が着替え終わるまでに布団たためるかなって。」
颯爽とキッチンへ向かいながら、
「よし。じゃあ、私の勝ちだから、朝ごはんの準備手伝ってー。」
「え?」
「え?じゃないでしょ。ほらほら。」
片方で必要なものを取って、もう片方の手で、俺の手を当たり前のように引っ張る。
「冷蔵庫から、卵四つとって、ボウルに割って混ぜておいて。」
料理なんて久々だ。だからか、少し楽しい気がする。
「そしたら砂糖大さじ3杯ぐらいいれて軽く混ぜといてー。」
甘めの卵焼きか?考えながら綾乃を見ると、すでにサラダ二人分とキムチ納豆をかき混ぜて準備し、味噌汁を作り始めている。
「早っ。」
「これぐらいじゃないと朝は間に合わないの~。だから慎一も頑張って。ほら次は、フライパンで卵焼き焼いてって。」
「油どこ?」
「そこそこ。」
「ありがと。」
綾乃はクスッと笑う。
――「なんか、あれだね。今の会話、熟年の夫婦みたいな感じだね。」
夫婦――その二文字が心に残る。しかし、熟年の夫婦って……
「まだ俺ら25なのに熟年ってヤバいな。」
「でも、少しは思ったでしょ?」
「まぁ、多少はね。」
「ほらやっぱり。でも、確かに"まだ"25だからね。」
「いや、"もう"25でしょ。」
厳然たる事実の適示。
「婚期はまだ5年ぐらいあるから!」
くじけない。綾乃は。
「今のところお相手いないけどね。」
「昨日まではいたからっ。痛いとこ突かないでよ。」
人差し指でちょんと肩をつつかれる。
「ていうか、最近はどうやって出会ってたの?」
「彼氏の話?」
「というか、新しい出会い?」
「そゆことね〜。最近はマッチングアプリばっかりだよ。勤務先とか地獄だし。」
――「地獄って?」
「看護師同士のいがみ合いばっかりだから、恋愛なんてしようものなら職場から弾かれちゃう。」
「それってガチなの?」
「割とほんとだよ。そういうの慣れてない慎一からしたら、文字通りの地獄絵図って感じ。」
引き攣った顔をしながら卵焼きを焼いて、お皿に盛る。
「ちょっと焦げたね。」
「なんかごめん。」
「そうじゃなくて、自分が作ると、完璧すぎてたまにこういうのが食べたくなるの。」
「ほんとかよ。」
流石に疑ってかかる。
「嘘。」
「おい。」
綾乃はわざとらしい笑顔で平然と、嘘と言う。
「あははっ。慎一が作る卵焼き食べてみたかったんだよね〜。」
若干焦げた卵焼きの端の方をつまむ。審査されているような感覚で、少し緊張する。
――「うんうん。悪くないじゃんっ。」
「及第点?」
「合格点じゃないけど平均点ぐらい。」
「それどっちだし。」
「普通の卵焼きで美味しいよ。"普通"でね。」
わかりやすく”普通”の二文字を大きく言う。
「そこまで強調しなくていいでしょ。」
「いやっ、普通に美味しいのが1番美味しいんだよ。」
「庶民の舌には庶民の物の方が合うように?」
「そういうこと。ま、やり方によってはもっと美味しくできるけどね、具材とか全く同じで。」
隣のコンロで、菜箸で味噌を溶かしきる。手を止め、火を消す。
――「でも、私は好きだよ。」
一瞬、心臓が波打つ。思考停止に陥りかけるが、なんとか取り戻す。
「卵焼き?」
意味深な表情を一瞬浮かべて、俺の問いかけには答えずに、
「慎一のね。」
「こんなに普通なやつ?」
卵焼きだよな?
「そこがいいんだよ。着飾らない、普段通りで、それでいて、他には見当たらない普通さがね。」
「卵焼きの話だよね?」
気になって同じ問いかけをするが、
「さぁっ。ご飯も炊けたし、お味噌汁もできたし、たべよっか。」
またも応えない。
「それじゃあ手を合わせて下さい。」
「それやんの?」
「食べ物への感謝しないと、夢で食材に襲われるよ?」
「どういうっ……」
「いいからいいから。」
向かい合うように座り、手を合わせる。
――パンッ
「「いただきます。」」
「なんか小学生みたいだね。」
「さっき自分でやろうって言ったんじゃん。」
「でも大事なことでしょ?」
「確かに大事だけどさ…。」
―――そう言ってお味噌汁から食べる。
「美味しい。」
お椀を置いて顔を上げると、綾乃は鼻を鳴らして、どうだと言いたげな表情をしている。
「私が作るんだから、美味しいに決まってるでしょ。」
「いや、でも本当に。味噌ちょうどいいし、玉ねぎは甘くて、豆腐は細かくて食べやすいし。油揚げもじゅわってしてて、すごい。」
率直な感想を口からこぼすと、綾乃はニンマリとして
「そんなに褒めても意味ないからねー。」
素直に照れている綾乃に、俺も嬉しくなる。
「こんなに温かい朝ごはん久々かも。」
「いつも冷めてるの?」
「そういうことじゃないよ。」
綾乃は、箸で卵焼きを取りながら…
「誰かとこんなに楽しく朝ごはんを食べるのが嬉しいの。」
そして、卵焼きをほおばる。目の前で咲く花に見惚れる。
――俺もね……。
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