幕間 夫婦の問題

――――――2018年2月2日19時05分13秒


「いい加減に風呂洗いぐらいしろよ!!!!」


 父が怒鳴って、何も乗っていないテーブルをたたく。もう何度目かはわからない。


「別にいいでしょ!!!」


 母が逆切れする。


――こんな状況耐えられない。


―――ギイィ


 夕飯を食べようとして引いた椅子を元に戻す。


――ファミレス行こ。


 この最悪な環境では勉強もまともにできない。ファミレスなら夕飯も手軽に食べられるし、勉強も落ち着いてできる。

 財布、定期、数学の過去問集と小論文のプリント数枚、ルーズリーフをトートバッグに詰める。


――バタンッ


「はぁ。」


 大きなため息が出る。外に出ても、親同士が喧嘩する声が聞こえてくる。それを無視することができず、逃げるために走って駅まで行く。





<<ファミレスにて>>




  『自分はファミレスで勉強してくるので』 慎一

 『お母さんとちゃんと話し合ってください』


 それだけ父親にLINEする。



 注文したのは三個入りの唐揚げと、ほうれん草とベーコンのソテー、ちょい盛りポテト。十分だろう。

勉強しよう……そう思ったところで。


――ピロンッ


 誰かからLINEが来た。


姉『あんたどこいってんの?』

 『夕飯は?』

 『あの二人の喧嘩は

  ウザイから黙っときなね』


            『わかってるよ』 慎一

           『今日中には帰る』

         『ファミレス行ってる』



 姉に返事していると父からLINEが返ってくる。


   『お母さんとちゃんと話して下さい』 慎一

父『夫婦の問題に子供が

  口出しするんじゃない』



 そういうことを言ってんじゃねぇよ。こっちは受験が間近に迫ってるのに、家があんなんだから言ってるだけだわ。



            『わかってます』 慎一



 形だけの返事をして勉強に向き合う。よしっ。切り換えてやるぞ。



――――――1時間後



 少し休憩……。根詰めて問題解いたからさすがに疲れたかも。


反射的にスマホを手に取ると、綾乃からLINEが来ていた。



綾乃『今、時間ある?』19時15分    

   『親喧嘩してファミレスで勉強中』 慎一

  『大丈夫?』

  『家来ても全然いいよ!』

 20時17分『流石に迷惑かけるわけにもいかないよ』


 綾乃の言葉に救われる。しかし、ここで甘えてはいけないとわかっていた。そのはずだった。



綾乃『心配だからそっち

   迎えに行くよ!』20時19分


 その好意を断る勇気が、俺にはなかった。


            『ありがとう』 慎一


 綾乃も迷ったのかも知れない。2分間が少し気がかりになってしょうがない。


――しかし……


 今日は流石に、家にいてられない。もう私立の入試も来週に迫っているのに……。


――父親が自己都合で退職し、小坂の単身赴任から家に帰ってきて3か月が過ぎる。家事をせずどこかへ出かける母親によく怒ることがある。その最終形態が今日とでも言うのか……。


 いったんポテトつまんで、ドリンクとってこよ。


――――――約30分後


「大丈夫だよ。慎一。」


 そういって笑顔で話しかけてくれる声の持ち主は、考えずともわかる。


「本当にありがとう。家じゃ全く勉強に集中できないからさ。」


 綾乃の笑顔が見られることの嬉しさだけで、家の煩わしいことも薄れていく。


「それよりも……。顔色あんまりよくないけど……少し休もうよ?」


 もう来週だから勉強しなければ……。と思ったが、


「確かに、そうだね。試験に向けて調を整えるのも、受験には重要だし。」


「そうだよ!だから、いったん、ゆっくりできる家に行こうっ。」


 細く美しい手に足を運ばれる。


――そして、会計を済ませる。外の空気は冷たく、風が顔にさすように痛い。





<<綾乃宅>>




「お邪魔します。」


 21時近い中彼女の家にお邪魔するのも、ご家族に申し訳ない感じがする。とはいえ、綾乃のご両親とは何回か夕ご飯を食べたり、話したことがある。


「いらっしゃい。綾乃から話は聞いてるから、気にせずゆっくりしていって。」


 綾乃のお母さんは優しいまなじりで俺を迎えてくれる。綾乃の笑顔にすごく似ている。目元は母親譲りだ。


「俺らもそういう時期があったから、綾乃に申し訳ないと思ってな。それで同じ状況の慎一君を手伝いたいと思ってね。」


 階段から降りてきて話すのは、綾乃の父親。歯を磨いている……。


「それでもありがとうございます。自分も落ち着いたら、帰ろうと思いますので。」


 その言葉を聞くと、綾乃の両親は手を振って、二人でリビングに行く。


「こっち……来て。」


 綾乃は階段の途中で止まって手をこまねいている。階段のライトが逆光になって、ちゃんと綾乃の表情が見えない。


――トットッ


 一段ずつ上る階段は、まるで自分が積み上げてきた高校三年間の勉強のような気がして。一段また一段、成長していく自分が楽しいと感じるようになったあの日から、勉強することの楽しさを知った。

 それは綾乃との関係でも言える。二人で積み上げてきた関係があるからこそ、今、こんな時間にもかかわらず、家で俺を休ませてくれる。


「ありがとう。」


 理性で考えれば感謝を伝えて当然だ。しかし、理性を介した感謝は相手には伝わらない。だから、素直に感じた気持ちを伝える。


「どういたしまして!」


 綾乃は楽しそうな声音で、答えてくれる。関係がずっと続けばいいなと心の底から思う。


「あれ、慎一は夕飯食べたんだよね?」


 そうだった。綾乃にはあまり細かい点を伝えてなかったんだった。


「うん。食べたよ。おなか一杯ってわけじゃないけどね……。」


 十分だと思って注文したものの、勉強してる中で、あれはあまりよくなかった。


「お?じゃあ、カレーでも持ってくる?」


 カレー!この時間(21時)に食べるにしてはよくない気がするが、正直、それぐらいの味の濃いものが欲しかった。


「少しでも持ってきてくれると嬉しい。」


 綾乃は頼まれたのが相当嬉しかったのか、軽い足取りで階下へ下っていく。


――――――数分後


「ただいまー」


 綾乃が戻ってくる。


「おかえり。」


 反射的におかえりと返すと、


「なんか、夫婦になって一緒に住んでるみたいだね?」


 口元を綻ばせ、肩を躍らせる綾乃を見ていると、幸せで、こっちまで笑顔になる。


「いつかそういう未来があったら、楽しいだろうなぁ。」


「そういう幸せな未来を築くんでしょ?」


 綾乃の問いかけは俺だけじゃなく、綾乃自身に対する問いかけでもあった。


「「一緒にね」」


 二人の言葉が重なり、溶け合い、優しい空間ができる。


――「試験は来週だよね。」


 何も言わずに相槌を打つと、綾乃はベッドを背に座っている俺のすぐ横に座って、手を取る。


「慎一なら大丈夫。って言いたいけど……それは慎一自身が自分に言えるまでは、私は言えない。」


 そういって、俺の指にできたペンの握り後を優しくなでる。


「でも、頑張っているところを私は知ってる。見てる。慎一が誰よりも頑張って目標に向かって、頑張り続けていることを。」


 綾乃は、俺の背中に手を回し、強く、優しい抱擁をくれる。


「ありがとう……。」


 それしかいうことのできない俺を、綾乃は優しくなでる。


「慎一。私を見て。」


 そう言われ、綾乃を正面から見つめる。


「私はね。頑張っている慎一のことが大好きなの。でもね、疲れた時には、私にたくさん甘えてほしいな。」


 俺は、甘える方法を知らなかった。綾乃がそんな俺の導き手になる。


「大好きだよ。」


「俺も大好きだ。」


「じゃあ、カレー冷めちゃうから食べちゃおうか?」


 そう言って、ちゃぶ台のスプーンでカレーを掬って、口に運ばれる。


 この温もりは、忘れない、大切なものだ。


――辛くてもおいしいのは、その中にあるわずかな甘さを感じ取れるからだ。

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