第六章 鐘ならぬ夜の麝香鳳蝶 第一幕 地獄か仲間か
食草がなくなれば共食いもいとわないアゲハ蝶の一種。見た目は、黒く、光沢があるのが雄。褐色なのが雌である。
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――――――2024年6月4日22時34分08秒
「結構歩いてね?」
かれこれ追跡劇が始まって30分が経つ。
「蒸し暑いのに……。よくこんな。距離歩くね。」
さすがに綾乃も疲れて、吐息交じりに喋る。
――周りを見ると、閑静な住宅街に入っていた。虫の音が宵の耳を鋭敏にする。
「あの二人もよくあんなにしゃべる話題尽きないな。」
そう言うと、綾乃は彼と女に対抗する。
「私たちも全然話尽きてないけどね。なんなら、あの人たちよりも話してるわ。」
負けん気が強いな……。
住宅街ということもあって俺らは小声で話す。しかし、彼らは意外にも普通の大きさで話しているので趣味?なのか地元の蝶の話が聞こえていた。
「さっき彼たちが話してた、じゃこうあげは?の話してみる?」
少しふざけ過ぎたのか、綾乃はこっちを凝視して、
「あの人とも話したことないわ。」
それだけ言ってすぐに彼らの追跡に専念する。しかし、なぜ蝶の話を浮気相手にするのか?
「彼はもしかして、大学、生物専攻?」
「そうだけど、どうしたの?」
意外といい線いっている可能性を話してみる。
「もしかしたらあの女の人、研究室で仲良くなった女の人じゃない?」
遠くから見ると、暗くてよくわからないが、街頭に照らされるとフレームの銀が反射して、女の人が眼鏡をかけているとわかる。
「それはあるかもね。でも、大学時代に彼女はいなかったって話聞いてたんだけどな。」
腕を組みなおして、最初から考え始める綾乃。
「まあ、とにかくあの女があの人にたぶらかされたのか、あの人があの女にたぶらかされたのか。それ次第で、あの女は地獄か仲間かのどちらかね。」
おおぅ。怖いことを言う。綾乃の目は閻魔様のように女の人を見極めている。
「でも二人が喋ってる感じだと、女の人が惚れてる感じだけどね。」
さっきからずっと、女の人が彼にくっついていて、住宅街に入ってからはもう0距離だ。
――綾乃はこれに呆れかえり、ため息をずっとついている。
「それが一番厄介なんだよね。」
女の事情をよくは知らない俺からすれば何の話なのかさっぱりだ。
「私が損をするのは決まってるから。あとはいかにその損を有効活用して、元凶を地獄に落として、気持ちをプラスに変えられるかだから。」
こういう時代にこういうことを思うのはいささか憚られるが
――鉄の女ってこういう人なのかもな。
「おぉっと。」
目の前を蛾が通り過ぎる。それと同時に、綾乃も足を止める。
「着いたっぽいよ。」
ボウリングのピンとの距離感ぐらいの先で、彼と女の人が向かい合って話している。二人の半面半面がこちらからではよく見える。そのせいで彼の表情もよく見える。
―――「あいつ……。」
綾乃の表情からもわかる。彼はめちゃくちゃデレデレしている。そうすると、女の方が彼を誘ったのだろうか。
「楽しそうだね。」
あえて火に油を注いでみる。すると、
「ここまでくると逆に清々するね。」
もうすでに懲罰モードへと切り替えているのか、淡々とした口調で、横髪を耳にかけながら目を閉じて言う。
「ええと……。何かさっき言っていたけど。本気なの?」
「本気だよ。慎一…あなたは私の浮気相手役になってもらうからね。」
何か妙案でもあるのかと思議していると、
「言っておくけど、逃げられたらあなたに追ってもらうからね。まぁ、逃げた時点で黒確定だけど。」
その通りではあるのだが、俺が走らないといけないのかよ。ここ最近走ってないから、まともに走れるかわからんな。
――作戦会議をしているうちに、目線の先の彼は、女の人に何か渡している。
「あれは……。研究資料ってわけでもなさそう。」
確認がてら言うが、
「どうみてもプレゼントでしょ。あなたバカなの?」
殺気立った綾乃に、毒で返される。
「そろそろ行きますか?」
そんな綾乃の毒矢を彼らに向けるように誘導する。そして、見てばかりの状況から脱却して、悪党成敗してやりたい。
「そうだね。でも、ゆっくり行くよ。あと、あいつからは見えにくいように、道の反対側から行くよ。」
サプライズ登場とか心臓に悪すぎて、あの細い彼なら死んじゃいそうだ……。と心に思いながら、慎重に歩みを進める。
――トッ、トッ
――あと10m……
――トッ……
「おい何してんだ?」
今までに聞いたことのない、ドスのきかせた声で話かける綾乃……。ヤクザもののドラマのようだ。
「なんだお前ら?」
と相手が誰かも認識せずに応答する彼……。あ……こいつ終わったな。
「っ……。こっこれはっ!俺は悪くないっ!」
声の主が綾乃と知るや否や、走りだそうとする彼。しかし、
――バッッ
「どこへお行きになるのですか?」
彼の振り返った先の顔面すれすれで話かけ、彼の逃走意思をそぐ。
――彼は、驚くあまり後ずさりできずに転ぶ。
「うぉぁっ!なんだお前っ!」
「大丈夫?!」
女の人が心配する。その目は、慈愛に満ち、純粋美麗だった。
――あぁ。この様子からすると、たぶらかしていたのは男の方なのだなと確信する。
「御心配には及びませんよ。この方は、ただ声をかけただけで逃げようとする挙動不審者なだけですから。」
ここで俺の出番はいったん休み。綾乃の出番だ。
「あなた。彼とはどういう関係?」
女の人に対しては優しい口調だ。綾乃も、女の人が悪いわけではないことを確信しているようだ。
「彼って……。この方は私の夫になる人です!あなたたちはどちらさまですか?!」
あぁ。すごくかわいそうな女の人だと思ってしまった。
――正直、見た目は普通だ。性格は……ここまで見てきている感じだと……思い込みが激しいが、落ち着きのある女性という感じなのだろう。そして、男性付き合いが少なそうに思える。
「私は彼の、彼女です。」
「どういうこと…なの……?」
状況がうまく呑み込めていない女性に、今度は俺がわかりやすく伝える。
「つまり、彼は二股してたということです。しかも自分からね。」
「そんな……。」
女性は失意の色をその目に滲ませた……かと思いきや急に怒り出す。
「そんなわけありません!わたしは彼にたくさんの愛をもらって、同棲の話もしてました。」
それはこっちの方も……。
「それは私もそうよ……あなたと同じなの。少し残酷かもしれないけど、写真…見せてあげるね。」
そう言って、綾乃は彼と二年間撮ってきた写真を、女性に審らかにする。
「嘘……でしょ……。」
先ほどよりも濃い黒がその目を覆う。深い絶望へと落ちていくその色は、落ち着くような黒だが、引きいられてはいけない。
「大丈夫ですよ。今、少なくともいえるのは、あなたと彼女は、敵じゃなく味方です。」
聞いてもいないことを劇の一幕のように、
――「じゃあ、誰が敵なのか?ですって?」
わざとらしくゆっくりと……長い瞬きをして…あからさまに憐れむ表情を携えて
――視線を彼に向ける。
「おいおい、綾乃!おまえ!そいつ誰だよ!お前こそ人のこと言えないんじゃないのか!」
「まあ、どっかの誰かさんは、何も言わないで浮気相手のところに行くぐらいだから、相当ばれたくなかったんでしょうね~。」
綾乃の切り札が出る。その前に俺が、女性に小声で伝える。
――「本当は綾乃は浮気なんてしてなくて、彼とちゃんと付き合ってるつもりだったんだけどね。」
――「えっ?」――
――ドクッドクッ……。
――――――「そうよ。彼は私の高校時代の元カレ、現浮気相手だよ。」
「っっ……!!」
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――しかし、麝香鳳蝶は体に毒を蓄積していく。そのため、それを捕食したものはすぐに吐き出し、二度と食べなくなるという。
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