Present for Past
松下村塾
第一章 まだ朝は来ない
朝。朝は必ず、誰にでも平等に訪れる。終わらせたくない一日も、終わらせたい一日も、日が昇れば勝手に過ぎたことになる。そうして人々は訪れる朝を支度する。しかし、朝が人に次なる朝を肯定させることは不可能である。
西暦2024年6月4日03時24分46秒――――――「まだか。」
そうやってつぶやいたところで何も変わらない。そんなことはもう25年も生きていればわかる、というかただの事実確認に過ぎない。ある意味、自分自身の生存確認でもある。こうして閉じこもっていれば、自分は変わらなくて済む。変化しようともがいた先に絶望が待っているのならば、端からもがかずにじっとしていればいい。
変化することを嫌うことと、変化することを拒絶するのとでは全く異なる。前者は受け入れる余地があることをさしているが、後者はもはやそれすら許さずに、変化の出鼻をくじいた後、そのままノックアウトしに来る。
「必死になった意味なっ…。」
そうやって達観したつもりで過去の自分を批判して、批判できる現在の自分に浸っている。
「世界史か。」
愚か者は自らの経験則に学び、知者は歴史に学ぶ。そんなことをアニメのワンシーンで見た記憶が思い起こされる。二度の世界大戦を起こしたのは人間、終わらせたのも人間。
「じゃあ、何も起こさなければどうなるのか。」
今俺が体現していること。何も起こさない、受け入れはしても自分からは動かない。
――――部屋の中にあるのは、大学時代の趣味だったバイオリンや、アニメ、推しのグッズ。
はたから見ればただの多趣味なオタクそのものといえる。しかし、その中に混じる異物。大学受験の残り香、残滓――合格通知書だった。
「微積か。」
微積分…文系にとって微積分や三角関数、数列がもっとも苦手であるはずの数IIB。文系のくせに理系科目が得意で、大学入学共通試験の理科科目を物理基礎と化学基礎で受けようとしたほど、自信があった。いや、自信はあったがその自信に伴う実力をともなっていなかったともいえるだろうか。
「死に戻り…できたらできるかな。」
アニメの影響を強く受けた大学1年時代。死に戻りをして自分の望む未来をつかみ取るために絶望に立ち向かう少年の物語だ。当時は転生ものやら、特殊能力系がかなり流行っていた。もちろん、当時の自分は純粋にそれを楽しんでいた。
しかし、それは結局特殊能力があるから、転生して、現実ではありえないから、条件が違うから…沢山の都合のいい解釈をしてアニメの主人公のように目的のために全力になれる人間はそうそういないと思っていた。それは一種の成功した事例だ。自分のような凡人には不可能で、それを夢見ることはただの望みだけが高い馬鹿だと思う。
だから、特別であろうとか、人とは違うとか、努力だけが手段だとか、そういうことを考えるのをやめて、弱く儚く、冷たく淋しい、半分以上が沈んだ太陽に背を向けて歩くような、暑い夏の夜中にアイスを買いに一人でコンビニに行くような、普通の自分を肯定することで”生きていた”。
「どうしてるかな…」
ふと、アニメを勧めてくれた高校から続く友人とのLINEを見返す。最後の会話は2023年12月23日。たしかその時は、二人とも彼女がいるからクリスマス飲み会と称するただの飲み会はクリスマスイヴの前日にやったんだったか。お疲れスタンプで終わっている。
「そういえば最後に飲みに行ったの半年以上前か。」
そう、半年も誰ともろくに連絡を取っていない。正直、みんな俺に対してどうとも思っていないのかもしれないし、今までもどうとも思っていなかったのかもしれない。まあ、そもそも俺とは違って二人とも忙しいのは明白だし、こんな引きこもりに付き合っている余裕なんてあるわけがない。例えるならばそう、これから大きな取引の営業先に向かうのに、路上生活している人に自分から話しかけに行くようなものだ。路上生活の人に話しかけられるのではない、自分から話しかけに行くのだ。ありえない。なんていっても社会人になってないから営業とかわからないが。
「……」
不意に見えるトートバッグ。外に出ないのだから使う用も全くなり、ただそこに在る。特別な感情が込められていたはずの”それ”は無機質に、しかし哀惜を漂わせている。物としての役割を担えなくなった物は在るだけだ。そこに意味はない。――――そのはずなのに、冷たさから暖かさに触れたあの柔らかな瞬間がふと甦る。
「はぁ…」――――――西暦2024年6月4日04時28分11秒
負のエネルギーを吐き出す。 そして眠る…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます