第8話 清掃員の知られざる戦場
総会が終わり、人波が去った後の大ホールは、ひどく静かだった。
椅子の背に掛けられたプログラム、くしゃくしゃのアンケート用紙、折れたボールペン、誰かが落としたハンカチ。
そこへ、静かに現れるひとりの清掃員。
制服の胸ポケットには、年季の入った名札。「清掃担当・杉本」と書かれている。
杉本は、会場の扉をそっと閉める。
「ここからが本番だ」と、小さくつぶやいた。
床を這うように、資料の切れ端を拾い集める。
「これは……取締役の覚え書きか?」
ゴミの中に、誰かが本音で書き込んだ“小さなメモ”が混じっている。
「なぜ配当を増やせないのか」「今年もお土産が豪華じゃなかった」
不満や願いが、文字になって転がっている。
大きなおみやげ袋には、食べかけの焼き菓子や、渡し忘れのノベルティ。
中には“手作りケーキ・残り3個”の付箋まで。
「みんな、いろんな想いを抱えてくるんだな」と杉本は思う。
時々、舞台袖に落ちている落書きもある。
小さな子どもが描いた「会社のロゴマークと笑顔の人々」。
その素朴な絵を拾い上げると、胸がほんの少し温かくなる。
杉本にとって、総会後のゴミはただの「ゴミ」ではなかった。
それは、会社と株主、スタッフたちの「熱」と「本音」の断片。
誰にも見られず消えていくその一つ一つを、杉本は丁寧に拾い集め、
最後には小さく「お疲れさま」とつぶやいてから袋を結ぶ。
誰もいないホールに、わずかに残る喧騒の余韻。
杉本はモップをかけ、舞台を見上げる。
「また来年も、みんなの夢と愚痴を片付けに来るよ」
彼の知られざる戦場は、今日も静かに幕を閉じる。
ホールの照明が落ち、夜の静けさがすべてを包み込んでいった。
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