洞を穿ちて察するが如く 氷の解けるが如く

みれにあむ

序章 生い立ち

(1)岐路 ~発端~

 そもそも発端となる出来事は何で有ろうか。

 屋敷の中を足に任せて闊歩する幼子おさなごが、教わったばかりの知識を使用人達に講釈垂れれば賛美され、然れども己の問いに使用人達から満足な答えは得られず。

 無理からぬ結論として幼子の中に侮蔑の念が育とうとしていたその時に事は起きた。

 これは、そんなちょっとした運命の分岐点から始まる物語。




「ふん! 何にも分かってないのに、何が椅子の上に立ってはいけませんよ! 失礼しちゃうわ!」


 そんな事を元気に言葉にしながら、図書室からの戦利品である「初級魔導大全」をベッドの上に置いて、自らもベッドに腰掛けるのは五歳程度の幼子おさなごである。

 少し吊り上がった目の勝ち気な顔立ちは、将来を中々に期待させる美幼女っ振りだ。


「十二歳で賜るラーオ様からの祝福に、特訓の成果が出ないなんて誰が言ったのよ! 私はしっかり特訓して、七年後にはすっごい祝福を賜ってみせるわ!」


 やる気に満ち満ちた宣言と共に、栞を挟んだ頁を開きそして視線を走らせる。

 ふわもこの寝衣を身に着けながらも、寝ようという意思を全く感じさせないその眼差し。


「ん~……そうね、魔力を動かすところまでは出来たのよ。――体の中に均しく満ちていて、体の中なら自由に動かす事が出来るけれど、血の流れに沿わせれば動かし易い。そういう力を魔力と言って、魔力の量を魔量、魔力を動かす力を統魔力、魔力によって生じる力はそのまま魔力と称す。

 ちゃんとご本には書いてるわよ? どうして誰も答えてくれなかったのかしら。

 でも、この次が分からないのよね。――魔力を扱えるのは本来はその者の魂であり、想像や念で魔力が動くのは、魂が脳、則ち肉体に引っ張られた結果でしかない。これで扱えるのは生活魔法と呼ばれる初歩の初歩である。真に魔術師と成る為にはこの僅かに動く魔力によって自らの魂を探り、自らの魂との合一を果たさねばならない。この合一の割合を親魔率と称す。

 ん~、他のご本には、魂とは物質では無い別の体と書いていたわ。つまり、今も頭で考えてベッドに腰掛けているこの体とは別の体が私には有るっていう事? その体が私の頭と繋がっていないから、魔力で繋げましょうっていう事なのかしら?

 ……全然分からないわよ。

 魔力を動かして探すしか無さそうね。でも、祝福の力もきっと魔法の力に近いのよ? 絶対に今から特訓するのがいいに決まってるわ!」


 そして本に集中してしまえば、その口からもう文句は出て来ない。

 幼子も、この時までは真っ当に幼子をしていたのである。


 しかし、運命の輪はここから崩れ始めた。


「うん? ……うん!?

 ――確かに何か有る様な気がするわ? でも、これって体の中なのかしら? 違う様な気がするわよ!?

 う~ん……う~ん……」


 幼子が魔力を動かしてみて探ってみれば、確かに何かを感じるのか、眉間に力を入れつつもその行為に没頭していく。もう後はベッドに潜り込んで輝煌石の灯りに覆い被せたなら寝るだけの状態で、時間を忘れてのめり込んでいく。


 もしもこの時に少しでも手応えが小さければ、幼子も早々に厭きて生活魔法へと手を出していたのだろうが、十分な手応えを感じていた為にそうはならなかった。


 ――コンコンコン……


「お嬢様? プルーフィアお嬢様? まだお休みにはなられませんでしょうか?」


 もしも生活魔法に手を出していれば、母親付きの侍女が通り掛かるその前に、迂闊に水や火を出して騒ぎを起こしていただろう。

 そして通り掛かった侍女は扉を開けて、共に其処に居た母親とその現場を目撃したに違い無い。

 その結果として幼子は母親が忌々しげに幼子を見遣るのを目にし、更には魔術との係わりを禁じられ、幼子は位の低い侍女を憎み、悪役と呼ばれるに相応しいさがを身の内に育てていったのだろう。


 それが本来の運命だったと思われるが、しかし幼子は騒ぎを起こす事も無く――


「直ぐに休みますわ」


 ――と、素直に輝煌石の灯りに覆いを被せる。

 途端に部屋には暗闇が訪れ、本を読むのを諦めた幼子――プルーフィアはそれを脇机の上に置き、ベッドの中へと潜り込んだ。


 魔力で魂を探るのは続けるままに、プルーフィアは考える。

 母親の侍女が声を掛けたなら、其処には母親も居た筈なのに、何のお声も掛けて下さらなかったと。


 そしてその理由もプルーフィアは知っている。

 父親からは、プルーフィアが産まれる時に難産で苦しんだから、それで苦手に成っているだけだから赦して欲しいと言われていた。

 口さがないメイド達が物陰でする噂話では、プルーフィアが母親のお腹を裂いて産まれてきたのだと聞いていた。

 そしてそれが嘘では無い事をプルーフィアも知っていた。


 何故ならプルーフィアには、母親のお腹にいた時からの記憶が有るのだから。

 赤い世界で何かとても苦しくで藻掻いていたら、白い光が赤い世界に割って入って来てそこから体中まさぐられて、そして苦しさが無くなった。

 メイド達はプルーフィアが母親のお腹を裂いたと言っていたが、実際にはプルーフィアを取り出す為に誰かが母親のお腹を切り裂いたのだろうとプルーフィアは理解している。


 赤児を取り出す為にお腹を裂かれる母親は、一体どんな気持ちだったのだろうか。

 きっと怖くて怖くて気が狂いそうだったに違い無いと思うと、プルーフィアには母親を責める事が出来無い。

 ただ、今もまだ目を合わせてもくれない母親が悲しかったのである。


「お母様……」


 寂し気に母親を想いながら、プルーフィアは目を閉じる。

 そうしながらも魔力で魂を探っていく。

 光も音も無くなると、一層何かを感じ易い様な気がした。


 魂を探る魔力の動きに余念は無くても、次第にプルーフィアの想いは引っ張られる。

 母親が優しかったあの時へと。

 母親の胎内に居たその時に、いつも聞こえて来たあの声は、プルーフィアを愛してくれていた頃の母親の声に違い無いと。


 いつも寝る前にしている様に、その頃の事を思い出しながら、もっと前へと遡っていく。

 赤い世界に響くくぐもった声。

 母親のお腹の外から、優しく撫でていく巨大な何か。

 そしてまた赤い世界に響く声。

 更にその前。やっぱり赤い世界には優しい声が響いている。

 更にその前。いつも優しい声で赤い世界は満ちている。

 更にその前――。

 更にその前――。

 更にその前――やっぱり世界は優しい母親の声で満たされていた。


 更にその前。

 揺れる地面と、雪崩の様に崩れ落ちてくる大量の本。

 悲鳴を上げ頭を抱えて蹲り、本に埋もれる女――。


「えっ――!?」


 プルーフィアはびくりと体を震わせて目を開ける。

 おかしな記憶が見えた気がした。

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