夏の夜にss集【文披31題2025】

葉咲透織

1 まっさら

 思えば、幼少期からその性質は変わらないのかもしれない。


 例えば、積もりに積もった新雪に、足跡をつけること。水たまりに張った氷を割ること。誰かと大皿料理を共有するのが耐えられないこと。


 潔癖症とは関係ない。ただ、誰かの手垢がついたと思うと、耐えがたいだけだ。病院に行けば、強迫性のなんちゃらかんちゃら、みたいな病名を押しつけられそうだが、誓って俺は、病気ではない。ただ、そういう性格なだけだ。


 だから、交際相手にも純潔を求めていた。


 中学一年の初めての彼女はよかった。付き合って三ヶ月でキスをしたときに、「ファーストキスって、こんな感じなんだね」と、照れながら言っていた。当然、処女だった。そのまま高校一年で初めてのセックスをしたときは、お互い大変だったが、感動的な経験だった。


 しかし、その子と別れてからというもの、俺の性格とマッチする恋人はできなかった。大学生ともなれば、経験者も多くなってくる。百歩譲ってキスは経験済みであることを許せても、処女であることはどうしても譲れなかった。


 もちろん、そんなことを口に出して言えば、コミュニティから追い出される。探り探り、相手が処女かそうでないか、うっかり騙されて関係したときに慣れていることに気づいたその瞬間、俺の股間の息子はしおしおと萎えるものだから、不名誉な噂が流れ、以降、大学内では彼女ができなくなってしまった。


 時は流れて、三十歳、節目の年。そろそろ結婚を考える段階になって、結婚案内所に登録をした俺は、一度目の見合いで運命の相手と出会う。


 ホテルのティーラウンジで待ち合わせをしたその人は、清楚な淡い色のワンピースが似合う、おしとやかな美人であった。年は二十七歳。顔はすごく好みだし、性格も気遣いができて優しい。おまけに趣味や食事の好みが合う。完璧だったが、こんな人に今まで彼氏がいなかったはずがない。


 結婚となればすなわち、子どもを作ることも考えなきゃいけない。彼女にそれとなく聞いたら、「ふたりは欲しいですね。女の子と男の子が生まれたら嬉しいけれど、あまりこだわっていません」とのこと。性行為は避けられないが、非処女に対して勃起しないことは、今までの経験上わかっている。


 ところが、数度目のデートのときに、ふたりきりになった彼女がこう打ち明けてきた。


「実は私、今まで男の人と付き合ったことがなくて……この年でおかしいですよね?」


 と。


 そのときの俺の喜びといったら、ここでは言い表せない。すぐに、「結婚しよう!」と、プロポーズをして、驚かせた。目を丸くした彼女は、その後可愛らしく微笑んで、俺の手を取って頷いてくれた。


 結婚式は人並みの規模で挙げた。お色直しをした彼女のドレスは、初めて会ったときと同じ色合いだった。もっと派手な色にしなくていいのか、と聞いたら、「あなたはこの色が好きでしょう?」と、何もかもお見通しであった。赤面した。


 そしていよいよ初夜である。結婚式を挙げたホテルの部屋に宿泊し、バスローブのまま、俺は彼女がバスルームから出てくるのを、そわそわと待っている。


 処女にしか勃起しないものだから、セックスは久しぶりだ。使い物になってくれよ、と息子を撫でると、「わかってらぁ」と、勢いよく立ち上がる。よしよし、その意気だ。


「お待たせしました」


 同じくバスローブを纏った彼女、いや、妻は色っぽく頬を染めていた。長風呂のせいか、緊張のせいか、あるいは欲情かもしれない。


 ベッドに腰を下ろした妻に、ミネラルウォーターを渡す。夜は長い。水分補給は大切だ。


「ありがとう」


 受け取り、喉を鳴らしながら飲み干す彼女に、俺は辛抱たまらなくなった。


「きゃ!」


 水が少しだけ零れる。これ以上被害が出ないよう、俺は彼女の手からコップを奪い、ベッドの脇のサイドボードに置いた。そしてそのまま、唇を奪う。


 柔らかい。夢にまで見たキスだ。男と付き合ったことがない妻は、これがファーストキスに違いない。舌を入れたら、驚かせるだろうか? いや、少女漫画だって、ディープキスくらいはするだろう。経験はなくとも、わかっているはず。


 ぐい、と舌を挿し入れる。にわかに緊張した妻の肩を、「落ち着け」と抱いた。さあ、まっさらなその身体を味わわせてくれよ……と、押し倒そうとして、天地がひっくり返ったのは、俺の方だった。


「へ?」


 唇が離れ、間抜けな声が出る。どうして俺が、押し倒されているんだ?


「うふふ……ねぇ、あなたって、本当に可愛いわね」

「お、おい……?」


 彼女は自分のバスローブの帯を取り外すと、素早く俺の手首をまとめて括った。タオル地のそれは、簡単にほどけそうで、きつく結ばれ、どれだけ奮闘しても取れない。


「私が男の人と付き合ったことがないのは、本当。でも、イコール性経験がない、ではないのよ?」

「ふぁ!?」

「まぁ、処女は処女だけど……私はねぇ」


 あなたみたいな、強そうな男を屈服させて、アンアン喘がせるのが好きなの。


 とんでもない告白に、凍りつく。ああ、嘘だろ。夢なら覚めてくれ。


「私の処女あげるから、あなたのバージンもくださいな」


 可愛らしく微笑まれて、俺は今後の結婚生活、妻に実権を握られることを悟った。


 最悪なのは、それも悪くないと思ったことだ。


 ああ、俺の身体にも、まっさらな部分がまだあったんだな、ちくしょう。

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