第4話
使い古したコーヒーメーカー。
今は実家でも働いているらしいが、新天地には新しいものを用意してある。
見かけるのは、里帰りをしたときくらいだ。
国を跨ぐとコンセントが変わる。
だから使えないらしい。
苦楽を共にした盟友を置いていく。
そんな心持ちだったが、使えないのなら持っていけない。
引越しをしなければいけなかったのだから。
荷物は少ない方がいいのだ。
あまり使われている様子はないが、せめて実家で職務をまっとうして欲しい。
「そういえば」
焙煎機を回す。
ふと、昨日再会した彼のことを思い出す。
彼との思い出は、都合のいい夢だったかのようにも感じる。
*
大学生時代、私の部屋に葉が泊まりに来たときだった。
モノがほとんどない、殺風景な部屋。
彼氏を呼ぶには、もっとかわいらしさが必要だったかもしれない。
クマのひとつでも、置いておくべきだったか。
まあ、モノがないからこそ、散らかっていることもないが。
いつ、訪ねられても招き入れられる。
そう考えると、部屋が汚いと幻滅されるよりはマシか。
「翼、朝から何飲んでるの?」
カップを少し傾けて見せた。
一瞬の間。
「ダークマター?」
葉のアタマにはぴょこんとトサカが生えている。
髪質もさることながら、いつもドライヤーが適当だ。
でも、跳ねた髪を一生懸命直すのがかわいいから。
ドライヤーをしっかりしろとは言えない。
読みかけのくたびれた英単語帳に赤シートを挟む。
「宇宙人はコーヒーも知らないのかしら」
くすりと、笑ってやる。
彼は放っておくと、すぐ変なことをいうんだから。
いつも振り回されてばっかりだ。
それが不快だったことは、一度だってないけれど。
「僕の飲んでるコーヒーは、もっと明るい色してるよ」
「それは、砂糖とミルクドバドバのカフェオレだからでしょ?」
葉は甘党すぎる。将来糖尿病待ったなし。
だれが面倒をみるのかも考えて欲しいものだ。
「もっと甘いよ」
「……コーヒー牛乳?」
「正解」
クイズに正解してもらえて葉は満足げな表情をした。
「それにしても」
彼がじっと中学以来の盟友に目を通す。
「こんな本格的な焙煎機、お店以外ではじめて見たよ」
実際、一般的な家庭では見ないだろう。
インスタントで十分だ。
中学のころ、父が奮発して買ってくれた。
物欲があまりない私がねだった。
そのことに父は大喜びで買ってくれたが……。
奮発しすぎだ。
子供に与えるには、いいものすぎる。
だからこそ、社会人になってまでも現役なのだろうが。
「動いてるのもみないんじゃない?お店に行ってもだいたいフラペチーノだし」
「まあね!」
「……やっぱりインスタントと違う!とか思うの?」
彼は顎に手をかけた。どこか通の真似をしてそんなことを言っている。
彼はインスタントコーヒーを飲まないから違いはわからない。
加えて言えば、良さを知ってもらうのは言葉では足らないだらう。
飲みかけのコーヒーを差し出す。
「飲んでみる?いい豆なのよ」
「いただきます」
ごくり。
ほんの一口飲み込んだ彼は、すこし顔を顰めた。
「苦いね」
「そうね。コーヒーだもの」
「よくこんな苦味を飲めるね。」
「……やっぱりダークマターだ」
わからないものを全部、ダークマターで済ませるな。
彼のボキャブラリーは、欠如している。
「失礼ね。あんたの彼女、毎朝ダークマター飲んでていいの?」
「かわいいから許す」
「……あっそ」
長い髪を手櫛する。
「……まあ、受験期の名残ね」
「いつのまにか飲まなきゃ落ち着かなくなってたのよ」
合点があったようだ。
「なるほど、受験の副作用か。……僕にはちょっと無理かな。でも」
「翼って感じの味だ」
これまた少し、心外だ。
「私、そんなコーヒーくさいかしら?」
「さーて。寝癖でも直すか」
「ちょっと!答えてよ!」
それと、寝癖を直すなら私も見届けないとね。
「ちょっとかいでみて」
正面から、彼に抱きつく。
「うーん。柑橘系?」
「ならシャンプーの香りね。よかった」
「匂いじゃなくて、味だよ」
「混じり気のない苦味。誰の助けも借りない、孤高な気高さがある。少しぐらい、甘くてもいいだろうに」
「……やっぱり、宇宙人語はわからないわ」
「でも、好きなんでしょ?」
「……ええ、大好きよ。葉」
「……やっぱり飲みたくなったよ。翼、もう一杯頼んでもいい?砂糖とミルクマシマシで!」
「そうだと思って、砂糖とミルクは買ってあるのよ」
「はちみつも入れてみよう」
「さすがにそこまではないわ」
*
「翼ちゃん、今日は砂糖とミルク入れてるのね。珍しい」
焙煎機を洗っていると後ろから声がかかる。
コーヒーを飲むのは父と私。
父は今家にいないため、洗っても問題ないのだ。
「うん。でも」
「甘すぎるかな」
「砂糖入れすぎなんじゃない?
普段入れないから、塩梅がわからないのかしら」
「いいや、入れすぎではないよ」
「え?」
彼好みの味は、甘すぎる。
ただ、それだけ。
そんなふうに、彼の好みと私が。
ちょっとずつズレていっただけ。
それだけなのだろうか。
好きではない味付け。
でも、今日は飲まずにはいられなかった。
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