第4話

使い古したコーヒーメーカー。

今は実家でも働いているらしいが、新天地には新しいものを用意してある。

見かけるのは、里帰りをしたときくらいだ。


国を跨ぐとコンセントが変わる。

だから使えないらしい。

苦楽を共にした盟友を置いていく。

そんな心持ちだったが、使えないのなら持っていけない。

引越しをしなければいけなかったのだから。

荷物は少ない方がいいのだ。

あまり使われている様子はないが、せめて実家で職務をまっとうして欲しい。


「そういえば」


焙煎機を回す。

ふと、昨日再会した彼のことを思い出す。


彼との思い出は、都合のいい夢だったかのようにも感じる。


大学生時代、私の部屋に葉が泊まりに来たときだった。


モノがほとんどない、殺風景な部屋。

彼氏を呼ぶには、もっとかわいらしさが必要だったかもしれない。


クマのひとつでも、置いておくべきだったか。


まあ、モノがないからこそ、散らかっていることもないが。


いつ、訪ねられても招き入れられる。

そう考えると、部屋が汚いと幻滅されるよりはマシか。


「翼、朝から何飲んでるの?」


カップを少し傾けて見せた。

一瞬の間。


「ダークマター?」


葉のアタマにはぴょこんとトサカが生えている。

髪質もさることながら、いつもドライヤーが適当だ。

でも、跳ねた髪を一生懸命直すのがかわいいから。

ドライヤーをしっかりしろとは言えない。


読みかけのくたびれた英単語帳に赤シートを挟む。


「宇宙人はコーヒーも知らないのかしら」


くすりと、笑ってやる。

彼は放っておくと、すぐ変なことをいうんだから。

いつも振り回されてばっかりだ。

それが不快だったことは、一度だってないけれど。


「僕の飲んでるコーヒーは、もっと明るい色してるよ」


「それは、砂糖とミルクドバドバのカフェオレだからでしょ?」


葉は甘党すぎる。将来糖尿病待ったなし。

だれが面倒をみるのかも考えて欲しいものだ。


「もっと甘いよ」


「……コーヒー牛乳?」


「正解」


クイズに正解してもらえて葉は満足げな表情をした。


「それにしても」


彼がじっと中学以来の盟友に目を通す。


「こんな本格的な焙煎機、お店以外ではじめて見たよ」


実際、一般的な家庭では見ないだろう。

インスタントで十分だ。


中学のころ、父が奮発して買ってくれた。

物欲があまりない私がねだった。

そのことに父は大喜びで買ってくれたが……。


奮発しすぎだ。

子供に与えるには、いいものすぎる。

だからこそ、社会人になってまでも現役なのだろうが。


「動いてるのもみないんじゃない?お店に行ってもだいたいフラペチーノだし」


「まあね!」


「……やっぱりインスタントと違う!とか思うの?」


彼は顎に手をかけた。どこか通の真似をしてそんなことを言っている。

彼はインスタントコーヒーを飲まないから違いはわからない。

加えて言えば、良さを知ってもらうのは言葉では足らないだらう。


飲みかけのコーヒーを差し出す。


「飲んでみる?いい豆なのよ」


「いただきます」


ごくり。

ほんの一口飲み込んだ彼は、すこし顔を顰めた。


「苦いね」


「そうね。コーヒーだもの」


「よくこんな苦味を飲めるね。」


「……やっぱりダークマターだ」


わからないものを全部、ダークマターで済ませるな。

彼のボキャブラリーは、欠如している。


「失礼ね。あんたの彼女、毎朝ダークマター飲んでていいの?」


「かわいいから許す」


「……あっそ」


長い髪を手櫛する。


「……まあ、受験期の名残ね」


「いつのまにか飲まなきゃ落ち着かなくなってたのよ」


合点があったようだ。


「なるほど、受験の副作用か。……僕にはちょっと無理かな。でも」


「翼って感じの味だ」


これまた少し、心外だ。


「私、そんなコーヒーくさいかしら?」


「さーて。寝癖でも直すか」


「ちょっと!答えてよ!」


それと、寝癖を直すなら私も見届けないとね。


「ちょっとかいでみて」


正面から、彼に抱きつく。


「うーん。柑橘系?」


「ならシャンプーの香りね。よかった」


「匂いじゃなくて、味だよ」


「混じり気のない苦味。誰の助けも借りない、孤高な気高さがある。少しぐらい、甘くてもいいだろうに」


「……やっぱり、宇宙人語はわからないわ」


「でも、好きなんでしょ?」


「……ええ、大好きよ。葉」


「……やっぱり飲みたくなったよ。翼、もう一杯頼んでもいい?砂糖とミルクマシマシで!」


「そうだと思って、砂糖とミルクは買ってあるのよ」


「はちみつも入れてみよう」


「さすがにそこまではないわ」



「翼ちゃん、今日は砂糖とミルク入れてるのね。珍しい」


焙煎機を洗っていると後ろから声がかかる。

コーヒーを飲むのは父と私。

父は今家にいないため、洗っても問題ないのだ。


「うん。でも」


「甘すぎるかな」


「砂糖入れすぎなんじゃない?

普段入れないから、塩梅がわからないのかしら」


「いいや、入れすぎではないよ」


「え?」


彼好みの味は、甘すぎる。

ただ、それだけ。


そんなふうに、彼の好みと私が。


ちょっとずつズレていっただけ。

それだけなのだろうか。


好きではない味付け。

でも、今日は飲まずにはいられなかった。


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