第三章 デオラⅣ軌道【4】

 地震。

 シンディが咄嗟に思い浮かべたのは、その言葉だった。

 何が起きたのか、まるでわからなかった。

 レビの船腹に潜ったメモリア号が後部光学センサーに映った瞬間、体当たりを食らったような衝撃でブリッジは大揺れとなった。

 落ち着け。ここは宇宙船の中だ。地震などあり得ない。

 一瞬のパニックからすぐに立ち直ったシンディが指揮官席をよじ登るように身を起こした時には、艦内一級警報が耳を覆わんばかりに鳴り響いていた。

「被害状況は!」

 床に這いつくばりながらもダニエルが気丈に叫ぶ。

「機関内部に異常。電子加速サーキットが損壊しました!」

「サブパワーブースターは!」

「同じく損壊! 出力上がりません! 航行不能です」

 航行不能――

 シンディは棒立ちになった。

 悪い冗談に担がれているのだと思った。他に思いようがなかった。他に思いたくもなかった。

 いま起きたことは、戦術コンピュータが例示したネガティブ・シミュレーションに過ぎない。こういう展開にならないようにと充分に留意して、さあ、今から実際の作戦に赴くのだ。

 そう思いたかった。

 しかし、指揮官席のコンソールの艦内モニターは、機関部のインジケーターだけが真っ赤な血の色に変わり、神経質な警告音を発し続けている。

 メモリア号はたちまち反転し、レビの窮状をあざ笑うかのように勢いよく戦闘宙域を離脱していった。

 これは――現実だ。まぎれもなく。

 艦の自動修復機能が、被害の拡大を防ぐために、機関の損壊部分を隔壁で遮断したのだろう。間もなく警報は切れた。

 ズズズズズ、と船底から伝わってくる振動だけを残して、ブリッジは沈黙した。

 長い沈黙だった。

 シンディの視界の隅を、ダニエルがかすめる。左から右へ、右から左へ。

 どんな態度で上官に接したらいいのか決めあぐねて、逡巡しているのだ。

「曹長」

 シンディは落ち着いて声をかけた。水気の抜けたスポンジみたいな声になった。

「すべての責任は、自分にある。曹長が気に病むことはない」

 口に出してしまえば、肩の荷が下りた。

「ブランドル大佐に連絡を取れ」

「しかし、大尉」

 ダニエルは目を血走らせて駆け寄ってきた。

「機関部が修理できれば、まだ追跡は可能です。メモリア号の足なら、LIPまであと二日以上はかかるでしょう。それまでには追いつけます! 本艦で無理なら、デオラⅣ守備隊から突撃艇を徴発すれば」

「もういい、曹長。心遣い、感謝する」

 シンディは右手を差し伸べ、ダニエルがそれ以上言うのを制した。

「こうなった以上、事態は一刻を争う。至急、大佐に具申しよう」

 シンディは、笑顔すら浮かべていた。

「貴官の忠告に従うべきだった。自分を許してくれ」

「大尉!」

 ほとんどつかみかからんばかりにダニエルが詰め寄った時、通信士席の部下が割り込んだ。

「本部より入電です」

 基地に残って調査を続けていた部下からの連絡だ。

「つなげ」

 通信機から、興奮気味の部下の声が響いてきた。

『申し上げます。アリシアが突如として教育センターを脱走した経緯が判明しました』

「続けろ。ただし手短に」

『同じセンターの生徒との間に諍いを生じ、発作的に飛び出したようです。アリシアが飼っていた小鳥が原因とのことでした。われわれの計画が漏れたわけではありません』

「間違いないか」

『ありません』

「ご苦労だった」

 なんということか。

 アリシアはただ、同級生とケンカをして、家に逃げ帰ろうとしていたのだ。自分が軍に利用されるのを拒否しての行動でもなければ、ロナルドと事前に申し合わせていたのでもない。

 不運としか言いようがなかった。シンディが泡を食って追い立てなければ、これほどの騒ぎにはならなかっただろう。

 しかし反面、シンディの立場にいたのが他の誰だったとしても、この事態は防ぎようがなかったのではないか。いわば不可抗力だ。

 かすかな望みを託して、ブランドル大佐を呼び出した。

 遠距離用の間接モードでのコールに応じたのは、大佐の直属部下のジェス少佐だった。同じ目的のもとに集っているとはいえ、シンディはこの男があまり好きではなかった。

「ブランドル大佐に直接申し上げたいと存じます」

 シンディが訴えると、ジェス少佐は機械のようなイントネーションで答えた。

『大佐は非常に忙しくしておられる。私からお伝えしよう』

 せめて、じかに謝罪をし、弁明をしたかった。しかし今は、ジェス少佐と争っている場合ではない。

「では、緊急事態ゆえ、ただちにお伝え願いたく思います。アリシア・ローゼンバーグが逃亡いたしました」

『なに』

 シンディは簡潔かつ正確に、コンスエロシティからの経緯を説明した。

 聞き終えて、ジェス少佐が酷薄そうな口調で尋ねてきた。

『クローレ大尉におかれては、本件の責任をどのように取られるおつもりか』

 しきりに雑音が混じる。通信状態が不安定だ。デオラストームが迫っているせいだろう。シンディは、その雑音によって大佐と自分の隔たりを改めて痛感させられた

「すべて、自分の不徳のなせるところであります。しかし、今ほど申し上げたとおり、万全の注意を払って監視をしておりました。アリシアの逃亡は、まったくの不可抗力です」

『運がなかったとおっしゃるわけか?』

「はい」

『すぐに上申しよう。追ってこちらから、大佐の指示をお伝えすることになろう』

「よろしくお願いします」

 あとは判決を待つのみだ。

 シンディは、自問した。

 自分は、間違っていただろうか?

 講じた方策には誤りはなかったと思う。

 しかし――

 甘さはあった。それは認めないわけにはいかない。

 最初からダニエルの忠告を聞き入れなかったのも、そうだ。たかがロナルドごとき軍人くずれの一人や二人、何するものぞと軽く見ていた。

 それに、デオラⅣ軌道で追い詰めた時も、自分は早々に勝利を確信してしまった。まさか、あんな非常識な操船で対抗してくるとは夢にも思わなかった。戦場にあっては、あらゆる蓋然性を考慮して行動すべきなのに。

 そればかりか、計画成功の暁にはこの失敗を切り抜けたことが喜びをさらに大きなものにしてくれるだろう、などと思い上がった想像をしてしまった。

 そう、それはまるで――障害が大きければ大きいほど燃え上がる恋心のようなもの。

 あの瞬間、シンディはそんなことまで考えていた。

 戦場の武人にあるまじき軟弱さが、この事態を招いたのだ。何らの弁明もできまい。

 だが、デオラに新時代を招来する計画を完遂しようという意志は、毫も揺らぐものではない。命に換えても、大佐の理想達成の一助となりたい。それだけは訴えたかった。

 コールサイン。ジェス少佐からの入電だ。

「こちらクローレ」

『ブランドル大佐からの伝言をお伝えする』

 相変わらず機械が喋っているようだ。シンディは、渇きで焼けつくような喉から、必死で返事をふり絞った。

「はい」

『不運は、理由にならない。貴官には失望した。かくなる上は、デオラ二十二億の愚民の一員として、わが為すところをただ見届けよ。以上』

「お待ち下さい、少佐!」

 シンディは食い下がった。

「自分は構いません。ですが、部下に責任はない。せめて彼らだけでも、大佐のもとへ」

 ジェス少佐はすげなく遮った。

『必要を認めない。短い間だったが、同じ理想を共有できて楽しかったよ、大尉』

 通信は切れた。

 シンディはがっくりとうなだれた。

 目もとに指を添えた。

 涙は流れない。

 そんなものは、とうに捨て去った。自分には不要だと、ずっと律しつづけてきた。

 こんな時に流す分ぐらいは、残しておけばよかった。

 いや、自ら進んで捨て去ったものを今さら待ち望むのは、虫が好すぎるというものだろう。

「曹長」

 顔を上げてダニエルを呼んだ。

「デオラⅣ守備隊に向けて救難信号を出せ」

「了解しました」

 年齢を経た老人のように、シンディは指揮官席に沈み込んだ。

 フロントシールドの外は、真っ暗な宇宙。その向こうに、今はもう届かないブランドル大佐がいる。

 大佐……ご武運を……。

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