第三章 デオラⅣ軌道【3】

「よし、わかった」

 ロンは厳しい声で言った。

「おまえの言うことを真に受けて死んだら、化けて出てやる。楽しみにしとけ」

「うん」

 副操縦席のアリスはこくん、と頷いた。

 しかしロンは決して、アリスの言い分を真に受けたからクローレ大尉の要求に応じなかったわけではない。アリスを引き渡した後、自分の安全が保証されるとは到底思えなかったからだ。

 それは、コンテナブロックに押し込めて騙し討ちにしたことで、大尉が逆上しているのが理由――ではない。

「おじさん」

 アリスが恐るおそる尋ねてきた。

「おじさんの『待てよ』って、なに?」

「ちょっと黙ってろ」

 ロンは必死に計算していた。

 寸分たがわずメモリア号を狙っている巡視艦〈レビ〉の連装砲塔を凝視しているうちに思いついたことを元に、必死に計算していた。

 クローレ大尉は自ら、しかも単独で追跡してきた。追いつかれたタイミングから考えて、メモリア号がコンスエロを出発してから大尉がレビを進発させるまで、ある程度の時間を要したはずだ。

 だったらなぜ、デオラⅢやデオラⅣの守備隊に命じて待ち伏せをさせなかったのか。

 この追跡行は軍として正規の作戦ではなく、大尉の独断専行なのではないか?

 だから、他の隊の協力を要請できなかったのだ。もしかしたら、軍に背く何らかの陰謀が企まれている可能性だって、ある。

 とすれば、素直にアリスを引き渡したとしても、口封じのためにロンが消されることは火を見るより明らかだ。逆に、アリスを匿っている限り、大尉はメモリア号に手出しができない。

 大尉の狙いは、アリスだ。

 いや、正確には、アリスが被っているヘッドホンのような機械が目的に違いない。

 アリスのヘッドホンには、何か重大な機密が隠されているのだ。デオラⅢ以来、アリスが見せるおかしな言動がその証拠だ。

 メモリア号の故障箇所を言い当てたのは、ヘッドホンが宇宙船をスキャンするセンサーのような機能を持っているからだろう。そして、アリスがしきりに触っているペンダントが、センサーのコントローラーなのだ。

 なぜアリスは、メモリア号を狙っているレビの主砲塔に砲撃の意図がないことを察知できたのか。頭から信じるわけではないけれど、ヘッドホンがその理由だとすれば、辻褄があう。

 最後の通信すでにから一分以上が経過している。レビが攻撃してくる気配はない。

「ちょっと荒っぽいことをやるぞ。しっかり体を支えてろ」

 ロンは鋭く言い、操舵桿を握った。

「なにするの?」

「突撃だ」

 緊急制動をかけ、メモリア号を反転させる。ロンはレビの副砲塔に着目していた。背後を見せていれば、あの副砲塔による機関部への攻撃で足止めされる怖れがある。真正面を向いていれば、その心配はない。

 船首部分は磁力推進システムの磁力発生コイルが格納されているから、外壁が厚い。ちっぽけな副砲塔程度では破れない。レビは主砲塔で攻撃するしかない。そしてそれは、撃沈を前提とした攻撃に他ならない。

 敵が致命傷を与える以外の攻撃を不可能にしてしまう。無謀なようで、かえって合理的な対処策だった。

 いや、他に対抗する策は、ない。

 メモリア号の甲板に設置されている連装砲塔は、偽装だ。より正確には、外部構造を取り外すのが面倒だからそのままにしてあるだけで、中身は空っぽだ。実は張り子の砲塔なのである。

「おい」

 ロンはアリスを呼んだ。アリスは副操縦席のひじ掛けを握り締めたまま、顔だけをロンに向けた。

「なに?」

「向こうが砲撃するかしないか、わかると言ったな」

「うん」

「もし砲撃しそうになったら、すぐに言え」

「わかった」

 アリスは目をいっぱいに見開いて答えた。

 おそらくレビは、威嚇のための砲撃しかできないはずだ。

 ロンには、確信があったわけではない。レビが後ろに食いついてから、それこそ小便をチビりそうになりっぱなしだ。ここで死ぬのかもしれないとも思った。メモリア号が砲撃を食らって沈む場面も想像した。

 しかし、現実感がなかった。どうにかして切り抜けられるのではないか、という思いが消えなかった。

 反転終了。正面にレビを見据える。

 クローレ大尉が呼びかけてきた。

『メモリア号、速やかに回答せよ。砲撃の準備は整っている』

「どうだ?」

 アリスの顔を見る。アリスは首を横に振る。予想どおりだ。

『メモリア号に告ぐ……』

 相手が言いかけた途中で、ロンは通信のスイッチを切った。

 何度もコールサインが入るが、応答しない。

 大尉の命令を受諾するための手段を、自ら封じてしまう。そのことで、逆に大尉の動きを封じてしまうのだ。

 レビの主砲塔が、やや左へ旋回した。

「撃つよ!」

 アリスが告げた。

 その言葉どおり、ほどなく敵が砲撃してきた。エネルギーブレットは、メモリア号の左舷を大きく外れて宇宙空間へ吸い込まれていった。

 ロンは前進を開始した。景気よくエンジンをぶん回す。

 レビは垂直方向の移動で衝突を避けようとする。ロンも転舵する。

 レビが迫る。

 アリスは目を閉じて肩を震わせている。

「心配するな。ぶつけやしない」

 ロンは意地悪く笑って言った。

 相手がこちらを本気で砲撃できないという確証さえあれば、どんな手だって使える。

「二つのエンジンを同時に回したら壊れる、と言ったな?」

「うん……」

 ようやくアリスが目を開けた。

「片方ずつなら大丈夫だな?」

「うん!」

「見てろ」

 レビは後進をかける。ロンは構わず速力を上げる。レビが眼前に迫る。アリスが悲鳴を上げた。

 ロンは思いきり操舵桿を下げた。

 メモリア号の船首がぐぐっと沈み込む。レビのブリッジからは、メモリア号の姿が消えたはずだ。レーダーや光学センサーで位置は追えるだろうが、何をやろうとしているのかはわかるまい。

 レビの腹の下を一気にくぐり抜ける。

 あげ舵いっぱい、上昇。

 メモリア号とレビは、船尾を接してほとんど零距離状態となった。

「食らえ!」

 無限加速電子エンジンを切り、核融合エンジンに点火。重力アンカーをセットして船体を固定し、バーナーを無制限にふかした。

 メモリア号のノズルからのジェット噴射が、レビのノズルへ浴びせかけられる。

 零距離でのノズル噴射は、なまじの砲撃に負けないだけの破壊力をもたらす。十五年前に実証済みだった。実際の宇宙戦闘で敵艦に対してそんな位置取りをすることは不可能だ、と笑われたけれど。

 レビは後足で蹴られたみたいに吹っ飛ばされた。同時に、ノズルから逆流したジェット噴射で機関内部に重大な被害を蒙ったことは間違いなかった。

「よし!」

 ロンは素早く再度の反転を行ない、ノズルから煙を吐くレビを尻目に、全力で離脱した。

 レビの真上を通過したところで、核融合エンジンを切り、無限加速電子エンジンに火を入れる。

 途端に、コンピュータが駄々をこねた。

『磁力推進システム起動します。位置制御ジャイロに数値の入力を要求します。磁力推進システム起動します。位置制御ジャイロに数値の入力を要求します』

「やかましい!」

 怒鳴るロン。

「あたし、やる!」

 叫ぶアリス。

「ヘマするな!」

「わかってる!」

 ロンは推力操作に専念した。

 左横でカタカタとリズミカルな打鍵音が踊る。

 入力完了、オールグリーン。

 ロンは操舵桿がひん曲がるほど握り締める。加速で体がシートに押しつけられる。

 スクリーンの中のレビの像が、よろよろとよろめきながら遠ざかってゆく。レーダーのモニターの光点も。

 ふうっ、とロンは大きな息を漏らした。

「やっつけちゃったの?」

 期待半分、不安半分といった表情で、アリスが聞いてきた。

「いや。ケツの穴から手を突っ込んで内臓を痛めつけてやっただけだ。沈めちゃいない。沈める気もないし、この船にはそれだけの力もないからな。それに」

 ロンはハーネスを解きながら、アリスの目を覗き込むようにして、言った。

「おまえには、わかるんだろ? あっちがどういう状態なのか」

 その瞬間、アリスは虚を衝かれたように顔を背けたが、小さく「うん」と返事をした。

 ほどなく、レビの姿はレーダーからすっかり消え失せた。

 くたびれた……。

「これで、お尋ね者どころの騒ぎじゃなくなってしまったな」

 ロンはねちねちと嫌味っぽく嘆いた。それを聞いてアリスは、ハーネスを外しもせず、肩をすぼめてうつむいた。

 本気で言ったわけではなかった。

 大尉の攻撃が軍の正規の作戦でなく、独断専行または陰謀めいたものだったとしたら、ロンが軍に訴え出ればお咎めなし、処分されるのはむしろ大尉のほうだ、ということにすらなるかもしれない――訴え出るつもりなどありはしないが。

 ロンの嫌味は、アリスから詳しい事情を聞き出すために、罪悪感を抱かせるのが目的だった。

 主操縦席のシートのロックを外し、座ったままで左へ回して、アリスを見た。

「おまえが俺の船にもぐり込んできたおかげで、とんだ災難だ。こうなった以上、何がなんなのか洗いざらい喋ってもらう。俺にとっては当然の権利だと思うが、どうだ?」

 ロンは言葉を切り、しばらく待った。

 アリスはうつむいたまま答えない。

「やれやれ、まただんまりか。だったらこっちから言ってやろう」

 ロンは立ち上がり、副操縦席を遠巻きにしてゆっくりと歩き回った。コツ、コツと足音を響かせて。

「どうして追われているのかわからない、とおまえは言っていたが、理由もなく軍に追われるはずがない」

「だって、ほんとに」

「まだ言うか」

 ロンはたしなめ、しかしそれでも一つだけ思い当たった。

「まあ、ことによると、おまえ自身は知らされていないのかもしれないが」

「何を?」

「その、ヘッドホンの秘密だ」

 アリスは両耳のイヤパッドを手で押さえた。

「インタラプターのこと?」

「そうだ。その……」

 ロンは言葉に詰まった。

遮蔽装置インタラプタ―?」

「うん」

 何かおかしい。ロンの想像では、アリスのヘッドホンは宇宙船のさまざまな状態をスキャンするセンサーのはずだ。

 何を遮蔽するというのか。

「おまえ、そのヘッドホンで、俺の船の故障やさっきの巡視艦の状態を見抜いたんじゃないのか?」

「ちがうよ」

「だったら」

 ロンは左耳の後ろを掻きむしった。

「……おまえ自身か?」

 どうして今までその可能性を考えなかったのだろう、と情けなくなった。

 アリスをまじまじと見つめた。

 最初に船倉で見つけた時とは違い、埃や油汚れもきれいになって、髪も頬も瞳も、ロンにとっては眩しいぐらい輝いている。

 誰が見たって、この子にたいそうな秘密があるとは思うまい。ロンは自分の不見識をそうやって慰めることにした。

「言っても怒らない?」

 アリスはロンの顔を見上げる。

「怒らないから言ってみろ」

 ロンはアリスを見下ろす。

「あたし、なんだって聞こえちゃうの」

「何がだ」

 アリスは、両手をそれぞれ頬の横に持ってきて、人差し指を立て、その指でイヤパッドを突ついた。

「電波」

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