第2篇『頬色の情熱と青』第3部
番外編
[晴人サイド] 星空の約束
去年のクリスマスイブ。僕は、約束の場所に向かう準備をしていた──。
プロローグ:12月24日18時30分─自宅
冬の夜のリビングには、ストーブの低い唸りだけが静かに響いていた。
台所から母が顔をのぞかせる。
「今から出かけるの?もう、クリスマスイブに用事があるなんて。お祝いは明日にするわよ。今日は寒くなるから、コート、ちゃんと着て行きなさいね。」
「あぁ、うん」
僕は適当に返事をして、海峡公園へ行く準備を進める。母はそれ以上何も言わず、湯気の立つ鍋へと視線を戻した。
この距離感は嫌いじゃない。過保護でもなく、放任でもない。でも、時々妙に冷たく感じるのはどうしてだろう。
スマートフォンを取り出し、画面を開く。未読の通知はゼロ。トーク履歴の一番上にある名前は、ここ数ヶ月沈黙したままだった。
彼女の最後のメッセージは「じゃあ、またね」だけ。その後、僕も何も送らなかった。別れたわけじゃない。でも続いてもいない。曖昧なまま、互いに消えていくのを許した関係だった。
ため息をひとつ吐き、スマホをポケットに滑り込ませ、玄関で靴を履いた。
***
第1章:12月24日16時─部室
午後の校舎は、冬の日差しを浴びてどこか白く鈍く光っていた。
誰もいない部室のドアを開け、無言で机の上にカバンを置く。窓際のカーテンを少し引くと、淡い光が静かに床に落ちた。
外では風が吹き、校庭の枯れ枝を揺らしている。カバンから古いプリントや観望会の案内用紙を取り出し、意味もなく机の上に広げてみた。ただ何かをしているふり。この静けさの中にいたかっただけだ。
ノックもなく、背後から声がかかる。
「またお前か」
低くて気だるそうな声。顧問の先生だった。
「お前ら、そろそろ、志望校とか決めといたほうがいいぞ。2人とも成績はいいんだから、部活もいいが、しっかり勉強するんだぞ。ほらカギ。」
無造作に机の上にカギを置き、顧問は興味なさそうに踵を返し、廊下へ消えていった。その背中を無言で見送る。
この距離感が僕は好きだった。誰も僕に期待しない。誰も僕の行動や気持ちに口を出さない。自分だけの空間。静かで孤独で、心地よいはずなのに
──今日はなぜか胸の奥がざらついていた。
ガラリ、とためらいもなくドアが開いた。
「……ん?今日はこないんじゃなかったのか?」
椿だった。肩まで伸びた黒髪がダッフルコートにかかり、凛とした顔立ちには幼さがわずかに残っている。彼女は部室に入ると腕を組んだまま、僕をじっと見つめた。
「今日、クリスマスイブだぞ?」
「まあ。まだ時間はあるし」
僕は苦笑した。ほんの少しだけ、期待していたのだ──彼女とこうして顔を合わせることを。
「公園に行くのか?」
「ん、まぁね」
間髪入れずに答え、視線を机の資料に落とす。
「そうか……」
椿は何かを考えるようにしばらく黙ったあと、「ま、別にいいがな」と言い残して部室を出ていった。ドアの閉まる音が妙に遠く感じられた。
***
第2章:12月24日18時45分─山手通り
冬の夜の空気は肌を刺すように冷たかった。コートのポケットに手を突っ込み、僕は坂道をゆっくりと上っていく。吐いた白い息が街灯の明かりに照らされ、すぐに消えていくのを何度も眺めていた。
坂の上にある海峡公園は、観光地として有名でカップルだらけだ。ただ、僕たちの待ち合わせ場所は地元の人しか知らない隠れスポットだった。夜は誰も来ないし、ましてやこんな寒さの中で星を見に来る人間なんて、まずいなかった。
わかっている。それでも僕は、“誰も来ないはずの場所”へと向かっていた。
高校に入って間もない頃、彼女は少し照れたように言った。
「ねえ晴人、クリスマスになったら海峡公園で星を見ようよ。」
そのときは笑って「いいよ」と軽く答えた。あの約束がこんなに重くなるとは思ってもみなかった。
当時はまだ、頻繁に連絡を取り合っていた。他愛ない会話、部活や学校の出来事。けれど次第に話す内容は減り、既読がついても返事がない日が増えた。
僕もそれを責めなかった。自分から終わりを告げるのが怖かった。だからこそ、いつの間にか消えてしまった。まるで星が静かに空から消えるように。
***
第3章:12月24日19時00分─海峡公園
公園に着くと、薄暗い街灯がぽつりぽつりと灯っていた。ベンチに腰を下ろし、空を見上げる。冷たく澄んだ星たちが静かに瞬いていた。
「……星がきれいだな。」
誰に向けるでもなく呟く。星空がにじんだ。
空気はさらに冷え込み、ポケットの中で手が凍えそうになる。どれくらい時間が経っただろうか。遠くの港から低く長い汽笛の音が響いた。
そのときだった。カサッ……と背後で植栽の枝がわずかに揺れた。反射的に振り返る。
凛とした冬の空気の中、ダッフルコート姿の彼女が立っていた。長い黒髪が風に揺れ、淡い街灯の光がその輪郭を縁取っている。
──椿だった。
驚きと戸惑いで僕は声を失った。彼女は何も言わず歩み寄り、僕の隣のベンチに静かに腰を下ろした。わずかに距離を空けた座り方が、彼女らしくて可笑しかった。
「……どうして」
ようやく絞り出した声は、情けなくかすれていた。彼女は視線を逸らしたまま──
「別に……星を見に来ただけだ。」
その言葉だけで、胸の奥に溜まった冷たいものがじわじわと溶けていく気がした。
「今日は星が綺麗だな。」
椿がつぶやく。僕もそっと空を仰いだ。星空は変わらず静かで冷たかったが、二人で眺める星は独りきりで見上げた星とは違っていた。
沈黙の中、彼女の髪が風に揺れる音だけが響いていた。
星空の下で、どれくらいの時間が経っただろう。時計を見る気にもなれず、僕たちはただ黙って夜空を眺めていた。
隣にいる彼女も同じように空を見上げている。何も語らないその沈黙は、不思議と心地よく、温かさすら感じられた。
ふいに椿が立ち上がった。ダッフルコートのボタンが微かに揺れる。
「……そろそろ帰ろう。」
「うん。」
僕も立ち上がり、二人で並んで歩き出した。
***
エピローグ:12月24日20時─山手通り
淡いガス燈の光を道しるべに、僕たちはゆっくりと歩いていた。
隣を歩く椿の横顔が、なぜかいつもより柔らかく見える。時折吹く冷たい風が頬を刺したが、今はもう、それすら気にならなかった。
「……椿さん。」
「ん?」
「来てくれてありがとう。」
椿は首を振り、当然のことをしたかのような凛々しい表情を浮かべた。そのいつもの表情が、なぜか無性に愛おしかった。
「なんだ?」
「……いや、なんでも。」
そう言いながら、彼女の頬がほんのわずかに赤くなったのを、僕は見逃さなかった。
僕たちはまた無言で歩き出す。
静まり返った通りには、遠くのイルミネーションが淡く瞬いていた。街路樹に巻き付けられた無数の小さな灯りが、まるで星空のように頭上に広がっている。
この時の椿の優しさは、たぶん一生忘れない。
でも──僕は、誰かを好きになって傷つくのも傷つけるのも、もう充分だと思っていた……。
***
[椿サイド] 女子高生探偵の私
去年のクリスマスイブ。私は、約束の場所に向かう準備をしていた──。
プロローグ 18時 自宅─グチグチ悩む私
冬の夜の部屋には、エアコンの静かな送風音だけが漂っていた。
外はすっかり暗く、窓ガラスには遠くの街灯の淡い光がにじんでいる。
制服のままベッドに寝転び、天井をぼんやりと見上げた。
もう夜だ。
「ほんと、バッカじゃないの……」
低くつぶやく。
頭に浮かぶのは、例の副部長。
どうせ“あの子”を気にして海峡公園へ行くんでしょ?
何を期待してるのか、さっぱりわからない。
「……関係ない」
そう口にした瞬間、彼がうなだれる姿が脳裏に浮かび、ため息が漏れた。
──なんで私はこんなんなんだろう?
重い腰を上げ、椅子の上のコートに手を伸ばす。
けれど袖を通した途端、ふと気づく。
──そもそも海峡公園って広くね?
待ち合わせ場所……知らないじゃん、私。
自分のポンコツ具合に頭を抱えた。
でも、場所を推理できれば彼に会えるはず。
ならば、某漫画のように──
見た目は部長、中身は乙女。その名も、女子高生探偵・椿!(笑)
……ぷっ。
あまりのくだらなさに噴き出してしまう。
黄色いクマさんの視線が痛い。
ツッコミは厳禁。
ここまでやらないと、わたしは私を保てないんだから。
玄関を開けると、冬の夜気が髪をそっと揺らした。冷たい空気に身をすくめながら、私は足を踏み出した。
***
第1章 16時 部室─偶然(?)の再会
部室のドアの前で、私は一度だけ小さく息を吐いた。
この時間に誰もいないのは分かっていた。
けれど、なぜか確かめずにはいられなかった。
──いや、絶対にいるでしょ?
扉に手をかけた瞬間から、そう確信していた。
勢いよく扉を開けると、窓際の椅子に座る後ろ姿が目に入る。
……ほら、やっぱり。
彼は背中を向けたまま、ぼんやりと外を眺めていた。
「今日は来ないんじゃなかったのか?」
私はさも何も気づかないように声をかける。
彼はゆっくりと振り返り、切れ長の目でこちらを一瞥した。
「今日、クリスマスイブだぞ?」
「まあ。まだ時間はあるし」
……なんだその返事。
思わず眉をひそめた。
「公園に行くのか?」
「ん、まぁね」
私は腕を組み、そっぽを向いた。
でも視線は自然と、彼の横顔を追ってしまう。
彼は何も言わず、机の上の紙資料を無意味そうにいじっていた。
──本当に行くつもりなんだ。
そう思った瞬間、ため息がこぼれる。
けれど私は、それ以上何も言わなかった。
「……ま、別にいいがな。」
そうだけ言い残し、私は踵を返して部室を後にした。
誰もいない廊下の窓に、冬のやわらかな夕陽が静かに差し込んでいた。
第2章 18時30分 海峡公園─女子高生探偵、現場に立つ
冷たい夜風がコートの裾を揺らす。
私は海峡公園の入り口に立っていた。
「……ここからが“女子高生探偵”の本領発揮ってわけだ。」
冬の夜にこんなテンションでひとり立つ女子高生は私くらいだろう。
ここに来る途中で推理すれば良かったのだが、頭のモヤモヤで何も考えられなかった。
──なんでここまでやらなきゃいけないんだ
私は、知らないうちに唇を尖らせていた。
海峡公園は東西南北4つの展望台エリアに分かれている。
大型港の東エリア、海峡大橋の西エリア、夜景の南エリア、神社の北エリア。
レストランまである。広すぎる……。
「……なぜ待ち合わせ場所まで聞かなかった?」
自嘲気味につぶやく。
私は腕を組み、真剣に考え込む。
「晴人ならどこにいく?」
──何気にあいつのこと、私知らないな。
女子高生探偵と息巻いておきながら、このざまだ。
(……我ながらポンコツすぎる)
とりあえず、現場に向かおう。まずはやっぱり海峡大橋だ。
──西エリア:海峡大橋
有名な観光地。カップルだらけ。
海峡大橋の明かりがロマンチックだった。
この場所を見てビビッと来た。
……ここでは、人目に付きすぎる。いちゃいちゃできない。やつのことだ、きっと別のところに違いない。
推理が進み満足しつつも胸にチクリと痛みが走る。
南エリア(レトロ通り夜景)もきっと人が多い。
消去法で西と北に絞られた。
──少しは探偵らしくなれたかな?
私は探偵になりきろうと必死だった。……自分の気持ちを誤魔化すために。
──北エリア:神社
源平合戦の舞台にもなった由緒正しい神社。
でも意外と人が多い。ここも違う……。
消去法で『東エリア(港の展望台)』に決まった。
走ったせいなのか息が苦しい。でも、少し安心した。
場所はほぼ特定できた。
女子高生探偵・椿。推理完了(笑)。
とりあえず、まだ時間がある。
私は神社の賽銭箱の前に立ち、お賽銭をそっと入れた。
……でもふと気づく。
「いったい、わたしは、何を祈ればいいの?」
第3章 19時10分 北エリア─女子高生探偵、潜入捜査開始
風が一層冷たくなった。
私は北エリアの林に足を踏み入れた。
木々の隙間から港の明かりがちらちらと覗く。
「……ここまでくれば決まりだな。」
私は木陰にしゃがみ込み、周囲をじっと観察する。
どう考えても怪しい人だ。でも大丈夫。私は“女子高生探偵”だから。
その時、視界の先に。
やっぱりいた。
晴人だ。
展望ベンチに座り、星空をぼんやり見上げている。
心なしか瞳にきらめくものが見えた気がした。
(……ほんっとバカだ。なんで来るの?哀愁漂わせてるつもり?)
私はそっとマフラーを押さえ、唇をかみしめるのを必死にこらえる。
──その時。
ふと“おじいちゃんの影”が脳裏をよぎる。
「……女子高生探偵は見た!」
かつて祖父が愛した往年の2時間ドラマの名台詞。
そんなアホなことを考えると少し気が紛れた。
こうしている間も、彼はひとりで座り続けている。
私はこっそり時計を確認した。約束の時間から15分。
──さすがにもう彼女は来ないよね?
私はそっと木陰から出た。
冷たい夜風が顔に当たる。
ガサッ、コートの裾に植栽の枝が当たる。
辺りに音が響いた。
彼はその音でゆっくりと振り返った。
切れ長の目に少し驚きが混じる。
私は偉そうに、彼を無視して隣に腰を下ろした。
いつも通り、わずかに距離を空けて。
「……どうして?」
彼の声はかすれていた。
「別に……星を見に来ただけだ。」
それだけ言って、私は顔を夜空に向けた。
──とにかく、なにかしゃべらないと。
「……今日は星が綺麗だな。」
……いやいや、なんだそれ?私、話し下手すぎ。
そうは思いつつ、それ以外に彼にかけるべき言葉が見つからなかった。
二人とも言葉が出ないまま、ずっと無言で星空を眺めていた。
……30分後。
……ちょっと待って。
落ち込む気持ちは分かるよ。でも、いくらなんでも長すぎでしょ。
冷え切った指先をマフラーに埋めながら、私は心の中でツッコミを入れていた。
「……そろそろ帰ろう。」
思わず声をかけた。
「……うん。」
彼もゆっくりと立ち上がる。
きっと帰るきっかけをつかめずにいたのだろう。
しょうがないやつだな、と胸の内で苦笑した。
でも、ほんのり熱くなった自分の頬を、誰にも気づかれたくなかった。
エピローグ 20時 山手通り─静かな歩幅
冷たい夜風が二人の間をすり抜けていく。
海峡公園を後にして、私たちは無言のまま歩いていた。
もう“女子高生探偵”の出番は終わった。
今は、いつもの偉そうな私。
足音だけが静かに、冬の石畳に響いている。
通りのガス燈がぽつり、ぽつりと並び、まるで星の残像のように道を照らしていた。
すぐ隣にいるのに、話すことは思いつかなかった。
彼も何も言わない。
でも、不思議とその沈黙は苦ではなかった。
しばらく歩いたところで、彼がぽつりと短く言った。
「……椿さん。」
「ん?」
「来てくれてありがとう。」
その瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
私は顔を伏せる。
(……ずるい)
声には出さなかったけれど、そう思った。
私がどれだけの想いで、どれだけの遠回りをしてここに来たのか。
どれだけ自分の気持ちをごまかしてきたのか。
わかってない。
でも──
わたしは、誇らしかった。
私はそっと首を振り、当たり前だと言わんばかりの顔をした。
彼は私の顔を覗き込み、すぐに視線をそらしていた。
(……やっぱりね)
冬の夜空は静かだった。
吐く息が白く、静かに消えていく。
隣を歩く彼の歩幅に、自然と自分の歩幅も重なっていく。
この先に何があるのかは、まだわからない。
だけど──期待していいのかな……?
そんなことを考えながら、私は歩き続けていた。
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